第二章その4
遊覧船を降りて次はどこに行くんだろう? 美咲は思わず楽しんでる自分がいることに気付いて苦笑するが、同時に胸が締め付けられる気持ちになる。この時を楽しんでいる暇があるのか? 心の奥底でもう一人の自分が問いかけているようだった。
そう思っていた時、派手で高飛車な感じの女の子が陽奈子を見かけるなり、馴れ馴れしく声をかけてきた。
「あれ? 紺野さんじゃない?」
すると取り巻きの女の子なのか、背の高い気の強そうなショートカットの女の子も陽奈子を見るなり、指を差す。
「あっ、本当だ。それに鶴田さんに奥平さんじゃない?」
「ええっ!? マジで!? 奥平さん鶴田さん、偶然ね」
もう一人の取り巻きらしき、ツインテールの派手目で小柄な女の子も美咲たちを見つけるなり大袈裟な反応を見せる。
「あっ、き……奇遇ね、木坂さんたち」
唯はリーダー格らしき女の子に気まずそうな口調で言って目が泳いでいる。美咲は思わず直美に訊いてみる。
「鶴田さん、知り合い?」
「うん、三組の……ちょっと付き合い辛い人たちなのよ、背の高い方が山崎さんで、小柄でツインテールなのが小原さん、そしてそのリーダーが木坂さんよ」
直美は小声で美咲の耳元で囁いて説明する、陽奈子を見るとさっきの朗らかで無邪気な笑みは消えて今は青褪め、この辺りを飛び回ってるトビに狙われたネズミのように怯えている。
一敏は無表情に見えるが、その瞳の奥には何かを燃やしていた。
「紺野……こいつらだろ? お前をあの日、冷たい海に身を投げるほど追い詰めたのは」
「ええ紺野さん、あれあたしたちだけの秘密って約束したよね? それに知ってるのよ、あんたがエーデルワイス団やってるって……先生たちに言っちゃおうかな?」
木坂さんの悪意に満ちた笑みと言葉で、陽奈子はガタガタ震えて動揺を露わにする。
このシチュエーションどこかで見たことがある。その瞬間、急速に意識が遠くなった。
ここは……夜の街? 繁華街? 周囲を見回すと僕は休日の夜以上に賑わう繁華街にいて、ここは熊本市の繁華街である上通だ。それも通町筋入口にある、びぷれす熊日会館前に立っていた。
「お待たせ水前寺君、行こうか!」
文芸部部長は半袖の淡いピンク色のシャツワンピースを着て、今日はコンタクトをしてるのか黒いアンダーリムの眼鏡はかけてない。
プライベートで愛用してるのか、青いショルダーバッグを肩にかけていた。
「う、うん!」
僕は早まる心臓の鼓動を感じながら恋人となった彼女の隣を歩く、ヤバいどう話せばいいんだろう? いつものように書店に寄って行こうかと思いながら横顔を覗くと、唇が妙に赤いと気付いて口にした。
「××さん、お化粧した?」
「うん、校則では禁止されてるけど……ちょっとやってみたかったの」
文芸部部長は悪戯っぽく微笑んでウィンクする。僕は心が躍って思わず、そしてさりげなく部長の手を握ろうと手と手が触れ、自然と繋がる。
「ふふふ……私たち、いつの間にか手を繋いでるね、美咲君」
名前で呼んでくれた彼女の声は世界で一番甘美な響きだった。美咲はただ肯くしかなく、一緒に歩いてると通町筋に面した歩道を歩く。
スピーカーから熊本県民の間ではお馴染みの曲が大音量で流れ、通町筋にはいろんな団体や企業から参加した人たちが浴衣や法被を着て、メロディに合わせて踊っている。
そうか、僕は今、毎年夏の熊本の恒例行事――火の国まつりにいるんだ。
踊っている人たちは明らかに年配の人たちが多く、若い人は少なくて全体的な人数は例年より少ない、部長もそれに気付いてた。
「なんか……いつもより少ないよね」
「……あの噂の影響かな?」
歩きながら僕は周囲を見回し、臨時横断歩道を渡って鶴屋デパート本館前を歩くと、僕たちと同年代や下の世代の子たちは祭りを楽しんでいて、表情が明るい。
一方、年配や年寄りの人たちの表情はどこか悲しげで不機嫌そうな顔をしている。
そんな時だった、下通に入ると僕たちの学校の制服を着た女子生徒とバッタリ鉢合わせした。
「あれ? ××さんに水前寺君? こんな所で何をしてるの?」
「!? ××さん? どうしてここに?」
僕の彼女はある意味先生以上に見つかりたくない人に見つかってしまったのか、毅然とした態度で平静を装うが、冷や汗が滲み出て静かに動揺していた。
顔の見えない女子生徒は嫉妬と嫌味を込めた口調で部長を責める。
「いいご身分ね。高校最後の夏に彼氏とデートなんて、私知ってるのよ。××さんが×コウのエーデルワイス団の代表だって……先生たちに報告しておくわ」
「×……××さんだって、今日祭りに来てるじゃない!」
「あら、私はこれから予備校に行くところよ。こんな日に祭りだなんて煩わしいわ……今日のこと、明日先生たちに言っておくから」
女子生徒は僕と部長を睨みながら人混みに紛れようとすると、部長はキッと覚悟を決めたような表情になって人目を憚らず大声で叫んだ。
「言えるものなら言ってみなさい!! その代わり、××さんは×コウにいる全てのエーデルワイス団を敵に回すことになるわよ!!」
それで女子生徒は立ち止まって振り向くが、ふんと鼻を鳴らしただけでまた雑踏の中に消えていった。その後が大変だ、周囲の人たちの注目が集まって部長は頬を赤らめ、困惑すると僕は咄嗟に手を握って逃走した。
「××、逃げよう!」
それから僕は覚えてない、ただとにかくここから離れて気が付いたら辛島公園にいた。
「はぁ……はぁ……ここまで来れれば大丈夫だろう」
僕は彼女に目をやると息を切らし、汗で髪を肌に張り付かせながらも、爽やかな微笑みを見せる。それは学校のエーデルワイス団をまとめ上げる代表者ではなく、恋人である僕にしか見せない愛らしい笑顔だった。
「……なんか……青春映画みたいだったね」
そう、青春映画でも小説でも漫画でもお馴染みのシチュエーションだと、僕はその後のシーンを想像して繋いだ右手を絡ませると抱き寄せて、左手で彼女の髪をゆっくりとかき上げて頬に触れる。
「み……美咲君?」
困惑した僕の彼女と目を合わせると、長い睫毛の揃った目を閉じる。君の全てを受け入れると心で言ってるように感じ、僕もゆっくりと近づくにつれて高鳴る心臓の鼓動を受け入れながら唇を重ねようとした。
その瞬間、美咲は現実に引き戻された。そして、次に何をするかが決まっていて美咲はあの時、あの女の子が見せた覚悟を今度は僕が示した。
「言いたいのなら、言えばいいさ。その代わり、あんたたちは全てのエーデルワイス団を敵に回すことになる……その覚悟があるならな!」
美咲は人目を憚らず突き抜けるような声と、全てを貫くような眼差しで木坂さんに言い放つと、揺らぎを見せた。
「な、なんなよ! 君に関係あるの!?」
「あるさ、僕も……エーデルワイス団の一員だからさ!!」
気迫に圧された木坂さんとその取り巻き、怯えていた陽奈子は驚いた表情で美咲を見つめると、次の瞬間には凜とした表情で向き直り、まるで別人のように振る舞った。
「そうよ! 木坂さんは私たちだけじゃない、ここにいる全てのエーデルワイス団が敵になるわ!! それでもいいの!?」
「くっ……生意気言うわね」
小原さんは陽奈子を憎たらしいと言わんばかりに睨むが、陽奈子は動じる様子もなく木坂さんは顰めっ面になって舌打ちし、踵を反す。
「ちっ!! 行こう、鶴田さん奥平さん、こんな奴と仲良くするの……あまり賢明な判断とは言い難いわ、それじゃ!」
「いーだっ!!」
山崎さんは陽奈子を挑発して、小原さんは何も言わず踵を反して人混みに消え、ようやく緊張が解けると陽奈子は気が抜けた表情で両足を曲げた。
すぐに唯は駆け寄り、陽奈子を支えて抱き締める。
「大丈夫陽奈子!? ごめんね……何もできなくて」
「唯ちゃん……大丈夫だよ。私が……唯ちゃんやみんなを守らなくちゃって思ったから」
陽奈子は豊満な乳房の持ち主である唯に抱き締められ、照れ臭そうに言う。一敏は感慨深そうな眼差しで見つめていた。
「紺野……強くなったな」
唯に抱き締められたままの陽奈子は一敏に満面の笑みでVサインした。直美も厄介者が消えて安心した表情になる。
「やれやれ、何はともあれよかったわね美咲――どうしたの!? あんた、泣いてるけど大丈夫なの!?」
直美に指摘されて美咲は気付いた。
「まただ……僕は……あの子を……思い出せない……」
まただ、美咲は涙を拭おうとして手が唇に触れた瞬間、あの女の子と交わしたキスの感触が甦り、溢れ出る大粒の涙と感情を止める術はなかった。