第二章その3
車内は案の定、地元住民と観光客で溢れていて座れず、それどころか東京都内の満員電車かと思うくらいだった。
唯にとっては事実上トンボ返りだが、直美はようやく以前のように接してくれた。
「唯ごめんね、こんなことならもっと早くエーデルワイス団を作ればよかった気がする」
「いいのよ、直美も元気出してくれれば羽鳥君も安心するわ、きっと」
唯は安堵しながら微笑むと、直美も笑みを返してくれた。そして直美は自然と美咲に話しかける。
「ねぇ美咲、何か思い出した?」
「いや……何も、ただ……乗ったことがあるような気がする」
「無理しなくていいよ、あたしたちが新しい思い出を一緒に作ってあげるから」
「すまない、いや……ありがとう」
優しく接してくれる直美に、美咲は微笑んで肯く。
「ねぇ灰沢君、今日こんな格好で来たけどやっぱり……変かな?」
「いや、そんなことないさ。紺野の私服姿……とても新鮮だ」
「えへへ……ありがとう」
陽奈子はあざといというくらいに一敏にアピールしている。ちょっと無理があるような気がするけど頑張れ、紺野陽奈子! そう思ってた時、電車がガタンと揺れた。
「ほわぁっ!」
吊革に掴まってなかった陽奈子の顔が、唯の豊満な乳房に埋まる。
「だ、大丈夫陽奈子?」
「う、うん……ごめんね唯ちゃん」
陽奈子の恥ずかしそうな表情に唯は必死に平静を装う、理性のダムが決壊寸前だった。
ほっひぃいいいいいいいいいい!! 陽奈子たんマジ天使!! 押し倒して、そのフリルのサマードレスを破いて生まれたままの姿にして、無垢な幼い体をペロペロ舐め回したいぃいいい!!
「ちょっと唯、なんか表情引き攣ってるけど大丈夫?」
直美に怪訝な目付きで見つめられると、辛うじて理性を失うの止めることができた。
「あ? うん、大丈夫よ!」
そうしている間に江ノ島駅に到着し、地元住民と観光客に混じって遅咲きのエーデルワイス団一行も降りる。
江ノ島駅で降りてみんなと他愛ないお喋りをしながら、真っ直ぐ海に向かって歩き、美咲も心を許してくれたのか、こんなこと言ったりした。
「なぁみんな、せっかく江ノ島に来たから、タコ煎餅とかしらす丼とかが食べたい」
「へぇ水前寺君ってもしかして美食家?」
なんとなく微笑みながら言った唯はふと、自分がさっき羨望の眼差しで見ていた人たちになってると気付き、いつも見ている江ノ島の景色が違って見えた。
その瞬間、唯はこの残り少ない最後の夏休みに何をするべきかを決めた。
このエーデルワイス団のために出来ることを精一杯やろう。
そう心に決めてみんなに言った。
「ねぇみんな、お昼はあたしの家でしらす丼食べよう! あたしが奢るわ!」
唯は店の手伝いで稼いだ有り金を全部使う覚悟で、スマホの時計を見ると既に開店してるところだった。
唯はなに食わぬ顔で店の扉を開ける、店内にはお客さんもそれなりにいた。
「いらっしゃいま――なんだ唯じゃない、店の手伝いしなさいよ!」
母親は営業スマイルから苛立った顔になるが、唯はニヤけながら腕を組んで横着な態度になる。
「そんなこと言っていいのかな? 今日はお客さん四人も連れてきたのよ」
「こんにちわ、唯さんのクラスメイトの鶴田です」
四人のお客さんを代表して直美が礼儀正しく挨拶すると、母親は上機嫌になって歓迎する。
「あらまぁいらっしゃい! すぐに案内するわ!」
「おじゃまします」
陽奈子はまるで初めて友達の家に上がるかのように、緊張した面持ちで店に入る。
「みんな、すぐに作るから待っててね」
四人を席に案内すると、唯はすぐに栗色の髪を結んで三角巾を被り、エプロンを着て石鹸で手を洗うと、父親の仕事場でもある厨房に入る。
「おっ? 唯? 出かけたんじゃなかったのか?」
「仕事中邪魔して悪いけどお父さん、お代はあたしが払うからみんなの分作らせて」
「あ、ああ……構わないが」
いつも以上に真剣な表情を見せる唯に、きょとんとした表情を見せる父親。
唯は今まで教わった知識と店番の経験を総動員して五人分のしらす丼を作る。休みの日や土日、繁忙期には休みなしで働かせられた経験が、まさかこんな形で活かされるとは思わなかった。
こんなことならもっと積極的に手伝えばよかった、唯は後悔しながらも、しらす丼屋の娘の意地とプライドをかけて友達のために振る舞った。
「お待たせ、みんな」
唯は自分を含めて五人分を作り上げ、エプロンと三角巾を脱いで椅子に席に座ると美咲は興味津々の眼差しで見つめる。
「これもしかして奥平さんが?」
「もちろん! 江ノ島名物、しらす丼屋の娘だからね!」
唯は胸を張って誇らしげに自信満々で言うと、母親がハッキリと響く声でツッコミを入れる。
「よくサボるけどね!」
それでみんなの笑い声で満たされる、そしてみんな手を合わせて「いただきます」とお昼ご飯を食べ、陽奈子と直美が早速誉めてくれた。
「これ唯ちゃんが作ったの!? 美味しい!」
「美味いじゃん唯! さっすが!」
「美味い……やっぱり江ノ島には……来たことがあるような気がする」
記憶喪失の美咲には思い出すきっかけになるようにと思ったが、それ以上のことは言わず一敏や直美、陽奈子とお喋りしながら食べる。
一敏も美味しそうに食べながら賞賛してくれた。
「うん、美味い。さすがしらす丼屋の娘だな」
「よかった……みんなが喜んでくれて」
急いで作ったから正直あまり自信なかったけど、みんなが喜んでくれてしらす丼屋の娘でよかったと不思議な充足感を得た。みんなしらす丼をあっという間に食べ尽くし、唯は自分のお店にお代を支払うため、立とうとした時だった。
「あっ、唯ちゃんちょっと待って、お米ついてるよ」
陽奈子は唯の唇の下に付いていた米粒を小さくて細い人差し指で取り、それを口に入れて天使のような笑みで小悪魔みたいにウィンクする。
「唯ちゃん小さな子どもみたいだよ」
「あ……ありがとう陽奈子……や、優しいのね」
ほっひぃいいいいいいいいいい!! 陽奈子たんマジ天使!! あたしが男だったらもうメロメロのぶひぶっひぃぃいいいい!! 興奮を表情に出すまいと必死で抑えているが、鼻から血が垂れて直美が慌てて揺さぶる。
「ちょっと唯! 鼻血! 鼻血!! ちょっと聞いてる!? 気持ち悪い顔になってるよ!!」
「ええっ!? ああ、ごめん直美!! 陽奈子がもう可愛すぎるのよ!」
しまった! つい本音が出てしまったと唯は慌ててポケットティッシュで拭った。
唯のしらす丼屋を後にすると、仲見世通りでタコ煎餅を買い、それを食べながら坂道を登る。江ノ島神社に近づく辺りから急な石段となり、美咲はなんとなくここに来たことがあるような気がしていた。
「ねぇみんな、江ノ島エスカーとか使わないの?」
頂上まで登りきり、江ノ島サムエル・コッキング苑前に来てふと唯が口にすると、直美は肩で呼吸しながらも強気の表情を見せる。
「だってさぁ……そっちの方が景色も楽しめるじゃない? ねぇ美咲?」
「ああ、この江ノ島の景色……見たことがあるような気がする。それも画面を通してではなく、この湿った空気と潮風……覚えてる気がする」
美咲は汗だくになりながらも、表情一つ変えない。
あの女の子ならきっと、弱音を吐かずにむしろ微笑みながらこの暑さと潮風を感じてるに違いない、あれ? どうして知ってるんだろう?
一方、陽奈子はとても苦しそうで、一敏は心配した表情で歩み寄る。
「大丈夫か紺野? かなり苦しそうだぞ」
「うん、大丈夫……私も……弱いままでは駄目だから」
「わかった……でも無理はするなよ」
「うん、ありがとう!」
陽奈子は息を切らしながら、健気ではにかんだ微笑みを見せて肯く、きっと一敏が気にかけてくれただけでも力になったんだろう。そうだ、丁度あの子に近いかも?
呼吸を整えた直美が気さくに声をかけて美咲を現実に引き戻した。
「ねぇ美咲、ここのサムエル・コッキング苑覚えてる?」
「えっ!? あっ……いや……でも初めてじゃない気がする」
「まあすぐに思い出せたら誰も苦労しないよね、入ってみよう」
直美の提案でサムエル・コッキング苑に入り、そこから江の島シーキャンドルの展望台に上がる。
地上からの高さは五九・八メートル、灯火標高は一〇七メートルあり、光達距離は民間灯台としては国内最大級の二三海里(四二・五九六キロメートル)で気象条件次第では茨城県つくば市の筑波山が見えるという。
展望室に上がるエレベーターを降りると、直美はガラスの向こうに指を差す。
「ねぇ、あそこがこの前隕石が落ちた所じゃない?」
「ああ……ここからでも見えるんだな」
幸い今日は快晴で、ぼやけているが富士山が見えるほどだ。早速美咲は設置された屋内双眼鏡に一〇〇円玉を入れて覗く。
あそこだ、おじさんやおばさん――つまり一敏の両親が言ってた場所だ。
僕たちの家族が泊まってたリゾートマンションは瓦礫の山になっていた。
あそこに落ちた隕石は住宅街を直撃して今も救出活動が続き、意識不明や昏睡状態の人もいるという。そういえば僕の家族はどんな人で、どうなったんだろう?
それが頭に過った瞬間、屋内双眼鏡の視界が真っ暗になる。時間切れになって目を離すと、一敏は躊躇いがちに訊いた。
「美咲、何か思い出したか?」
「いや、何も……僕に……家族っていたのかな?」
「……無理に思い出そうとするな、美咲……何かあったら俺や俺の親に頼れ」
一敏の表情と口調は妙に重かった、その重い雰囲気を打ち破るかのように陽奈子が一敏に跳びつく。
「ねぇ灰沢君も覗いてみたら? 何か見える?」
「そうだな。美咲、ちょっと俺も見ていいか?」
一敏は陰りのある笑みを浮かべながら財布から一〇〇円玉を取り出し、美咲は一敏に譲った。
それから展望台で過ごした後は江ノ島岩屋洞窟に行き、帰りは稚児ヶ淵~弁天橋を繋ぐ遊覧船「べんてん丸」に乗って降りた時、事件は起こった。