第一章その3
江ノ電藤沢駅を降りると、いきなり陽奈子から待ってて欲しいと足止めされた。
これじゃまた直美が機嫌を損ねるなと一敏は苦笑しながらスマホを見ると、直美もスマホを見ただけでまた鞄に戻した。
「返事は送らなくていいのか? きっと心配してるぞ」
「余計なお世話よ……唯がここで待ってて欲しいってさ」
「奇遇だな、俺も紺野がここで待っててくれって」
紺野は何の用だろう? もしかして告白かもしれない。あの日以来、陽奈子とは頻繁に連絡を取り合っていた。夏休みに入ってからは減ったが自殺未遂を起こした子だ、会うたびに一敏に気があるような素振りを一生懸命、精一杯見せていた。
でも俺は紺野の気持ちには応えられない、俺は直美のことが好きだからだ。
どうすれば傷つけずに紺野に伝えることができるのだろう? そう思ってると、観光客や制服を着た学生たちの人混みに混じって美咲の姿が見えた。
「美咲!? おーい!」
一敏の呼び声に気付いた美咲は少し驚いた表情になるが、すぐに歩み寄ってきた。直美も顔を上げて美咲の姿を見るなり、微かに瞳から光が戻ろうとしていた。
「誰あの子? 友達?」
「水前寺美咲、同い年の親戚の子だ……ちょっと事情があってね」
一敏が言うと美咲は歩み寄ってくるなり、労いの言葉をかける。
「登校日お疲れ一敏、今から帰るところ?」
「ああ、紹介するよ。クラスメイトの鶴田直美だ」
一敏は直美を紹介する、直美は意外にもあの日以前のように気さくに振る舞う。
「あっ……初めまして鶴田直美よ、よろしくね」
「こちらこそよろしく、もう昼飯は食べた?」
美咲が訊くとそういえばまだ食べてなかった、紺野にも紹介しておこうと思いながら一敏は首を横に振る。
「いや、まだだ美咲。一緒に食べよう、紹介したい友達がいるんだ」
そういえばこいつに彼女いたっけ? 顔立ちはいいし、記憶を無くす前だが優しい性格で人当たりもいいから、いてもおかしくない。
だからこそ今は一人にしておくわけにはいかなかった、性別問わず美咲には友達が必要だ。
「ねぇ水前寺君、これからあたしの友達も来るの、一敏の友達が来たら五人で食べよう!」
「う……うん、よろしく」
初対面の女の子に美咲は少し困惑を隠しきれてないようだ。一二分待つ間、直美は美咲にいろいろ話しかけていて、美咲も打ち解けて直美を信用したのか、自分から記憶喪失のことを切り出した。
「実は僕……昨日から記憶がないんだ、気が付いた時には一敏に助けられて何が起きてるのかわからなかったんだ」
「ええっマジッ!? 冗談じゃないよね?」
「初対面の君に冗談を言うほど僕は口達者じゃないよ」
驚く直美に美咲は甘い微笑みを見せ、直美は少し躊躇いがちな口調で訊く。
「どこの学校に通ってたとか……彼女がいたかどうかということも?」
「うん、どこで生まれて育ち、どうしてここにいることもね」
美咲は苦笑しながら両腕を軽く広げると、江ノ電の特徴的な電車がホームに停車。降りてきた人々の中に陽奈子ともう一人、意外にもクラスメイトである奥平唯も一緒だった。
「あれ? 奥平も一緒なのか?」
一敏は垢抜けたギャルの唯と、大人しくて真面目な陽奈子という対照的な組み合わせに意表を突かれ、こちらを見つけたのか唯が「おーい!」と通った声で手を大きく振る。
「直美! 灰沢君! お待たせ!」
「唯……どうして紺野さんと?」
直美も驚きを隠せないようだった。ついさっき物怖じせず自分を罵倒した陽奈子が、一番の友達である唯と仲良さげに歩いてるのだから。陽奈子は合流すると申し訳なさそうな表情になって謝る。
「灰沢君、いきなり呼び止めてごめんなさい」
「いや、俺は気にしてない……なにか話したいことがあるんだな?」
「うん、どうしても話したいことがあるの……鶴田さん、さっき訊いたよね? あたしの何がわかるのって……私にはわからないよ。でも、そこで諦めたくないから」
直美を見つめる陽奈子の表情と眼差しはとても優しく、直美は複雑な表情で唇を噛んでいた。美咲は一敏を見つめると、一敏は美咲を唯と陽奈子に紹介する。
「奥平、紺野、紹介するよ。遠い親戚の子でちょっと事情があって俺の家に暮らしてる水前寺美咲だ」
「初めまして、水前寺美咲です……記憶を失って、一敏の家に居候してます」
「紺野陽奈子です」
「奥平唯よ、水前寺って珍しい名字ね」
陽奈子と唯も初対面の挨拶を済ませると、陽奈子と唯に先導されて藤沢駅近くのファーストフード店であるマクミランバーガーに入る、唯は周囲を見回すと辛うじてみんなに聞こえるくらい小声になる。
「それでさ、みんな……今日のニュースで見たと思うんだけど、ジェネシス彗星破壊作戦……成功するかどうかわからないじゃない? それで……残り少ない夏休みをどう過ごすか考えて欲しいの……最後になるかもしれないから――」
唯はふいに言葉を途切れさせ、口にするのを躊躇う表情を見せると美咲は言葉を先読みしてたのか、周囲を見回すことも躊躇うことなく口にする。
「作るのか? エーデルワイス団を?」
「うん、唯ちゃんと話して決めたの……私たちのエーデルワイス団を作ろうって」
陽奈子の瞳には強い意志が宿っていて、一敏は直美に訊いた。
「直美、俺は話しに乗るぞ……このままは塞ぎこんでるよりはいいと思う」
「そうね。いいわ……水前寺君の記憶を探すという口実で活動すれば、少なくとも理由にはなるんじゃない?」
直美は美咲に眼差しを向けると、美咲は首を横に振った。
「いや……エーデルワイス団の活動に理由なんかいらない、ルールに反しない限り……ただ残された時間を精一杯過ごす」
「美咲……まさかお前、思い出したのか? エーデルワイス団にいたこととか」
一敏は縋るように訊くと美咲は首を横に振る。
「いや、ただ……いたような気がするんだ、だけど……」
美咲はみんなを一人ずつ見回して淡々とした口調で言った。
「僕のことは二の次でいい、残された時間は少ない……誰かが教えてくれた。エーデルワイスの花言葉は『勇気・忍耐・大切な思い出』だ。僕には大切な思い出がないんだ……だから新しい思い出も作りたい……それが、エーデルワイス団だと思う。みんなとの思い出作りを通して、僕の大切な記憶を思い出せるかもしれないんだ」
美咲の言葉に一敏は肯いて今の気持ちを言葉にする。
「俺はそれでいいと思う、破砕作戦が成功して滅亡しなかったら……その後から美咲の記憶を探しても遅くない」
みんなもそれぞれ色々な思いを秘めた表情で肯いた。
「まぁ……どうせあと二週間しかないし、やってみようか」
直美は最後の悪足掻きをしてやろうという、後ろ向きな決意を感じる眼差しだったが、それでも一敏には直美が再び歩き始めたことが嬉しかった。
唯は頼もしげな笑みを浮かべて横目で陽奈子を見つめる。
「これで決まりだね陽奈子、早速何しようか?」
「そうだね、みんなと色んな所に遊びに行きたいな」
陽奈子はこれから始まるエーデルワイス団の物語に、心踊らせてるかのような笑みを見せていた。
その日の夕方、ニュースでジェネシス彗星への核攻撃の結果が報じられた。破砕には成功したが粉々になった破片が地球に降り注ぎ、九割九部は大気圏で燃え尽きるが残りは地表に落下する可能性が高いという。