第六章その4
僕は優乃と弁天橋を歩いていた、彼女の横顔を見ると寂しげで名残惜しいそうだった。
「そんなに寂しい顔をしなくったって……ほんの三日程度だ」
「うん、わかってるけど……その失われた三日間は、もう戻ってこない」
優乃の言葉は重い、皮肉な話だがジェネシス彗星による地球滅亡がきっかけでこの今しかない時間が、いかにかけがえのないものかようやく実感できるようになった。
あのエーデルワイス団の人たちが、今しかない今を自分達のものにしようとしていたのか、今ならわかる気がする。
「それじゃあ帰ったら、三日分の埋め合わせを考えておかないと」
「今月の二九日、江津湖で花火大会があるの……その日は浴衣着て二人だけで過ごそ」
「うん、約束しよう」
僕は楽しみだと肯く。火の国まつりの時は先生や補導員の目を掻い潜るため、私服で目立たず、尚且つ見つかった時に逃げられるように動きやすい服装だった。
優乃の浴衣姿、楽しみだと思いながら歩くと、江ノ電江ノ島駅に到着する。
ここでしばしのお別れだ、改札口を通って僕は藤沢方面、優乃は鎌倉方面の電車に乗る。
「それじゃあ、もうすぐ電車も来る……優乃も行った方がいい」
「まだ時間はあるわ……一本くらい逃しても大丈夫よ」
わざわざ見送るために時間を作った優乃に僕はすまないと思ってると、藤沢方面行きの電車がやってきた。
「美咲君、必ず帰ってきてね……私待ってるから」
「勿論、必ず帰ってくるよ……死地に赴く兵士じゃないんだから」
僕は苦笑するが、まさかこの時あんなことになるなんて夢にも思わなかった。
僕は電車の一番後ろの車輌に乗り、見送る優乃の姿を焼き付けようと運転席近くの近くの扉から乗る。優乃の表情は不安と寂しさでいっぱいだ、僕は少しでも和らげようと笑顔で手を振ると、優乃も作り笑いして手を振る。
やがて電車の扉が閉まり、ゆっくりと発車して優乃との距離がどんどん遠くなる。
優乃は見えなくなるまで笑顔で手を振って見送ってくれた。
目が覚めると朝の六時だった。
美咲は起きるとリビングに出てお湯を沸かし、紅茶を入れる。テレビを点けると天気予報が今日の熊本地方は晴れで、気象庁により梅雨明けが発表されたと報じる。
そういえば今年はまだ蝉の鳴き声を聞いてないなと気付くと、一敏、直美、陽奈子、唯の順で起きてきた。
その間、美咲はトーストを焼いて昨日の残ったドリンクをコップに注ぎ、まるで修学旅行中の朝のように他愛ない話しをしてると、陽奈子はこんな提案する。
「ねぇみんな、朝御飯食べた後……辛島公園でバッカニアの友達と会ったら、みんなで下通に行こう。熊本で一番大きい町なの」
「でも横浜や渋谷には及ばないわね」
直美の言う通りだが、美咲の育った町だ。思い入れや思い出もある。
「熊本は半分田舎で半分都会さ」
「一敏、それ貶めてるのか? それとも誉めてるのか?」
美咲が苦笑しながら言うと、唯は意地悪な笑みで直美を見ながら言う。
「直美って都会っ子だからさ、文明にどっぷり浸かってる――」
「現代人という人種だろ? 以前ならスマホがない生活なんてあり得ないと思ってたけど、案外なんともなかったよ」
美咲は微笑みながら言う。記憶を無くした日にスマホも紛失してしまったが、すぐに不便な生活に慣れて自分でもまさかあんな順応性を持っているとは思わなかった。
直美は不満げに震えながら文句を言う。
「あ……あたしはあたし、美咲は美咲よ」
「でも二学期が始まったばかりの頃、ネットの通信網規制で禁断症状に近いものを起こしてたのは誰だっけ?」
唯はジーっと直美を見つめながら言うと、一敏は苦しそうに必死で笑いを堪える。
「もう、一敏も酷い!」
和気藹々とした雰囲気の中で朝食を食べ終えると、みんな身支度を整えてマンションを出る。優乃が生きてることを祈りながら熊本市電に乗り、辛島町停留所へと向かう。
美咲は一年前の光景があまり変わってないことに安堵しながらも、優乃と過ごしたあの夏があまりにも遠いという複雑な気持ちを抱きながら路面電車を降り、辛島公園に入って適当な木陰に入る。
「ここで待ち合わせするって、もう来る頃なんだけど」
陽奈子によればここでバッカニアの友達と待ち合わせらしい。
直美は何気なく疑問を口にする。
「どんな子かしら?」
「案外紺野と同類のタイプだったりしてな」
類は友を呼ぶと言いたいのか一敏、唯は少し期待した口調で口元を緩める。
「それならきっと可愛い子よ」
「あっ、もう来てるって」
陽奈子はスマホを取り出して見ると周囲を見舞わす。
美咲は周囲を見回すと公園で待ってる人たちが何人かいる、すると二人で待ち合わせしてる二人組の女の子の一人――見覚えのある麦藁帽子に淡いピンクのワンピースの女の子が立っていて美咲は歩き出す。
「あっ、おい美咲どこ行くんだ?」
一敏の声は耳に入らず、美咲は歩幅を広げて足早に歩み寄ると足音に気付いたのか彼女は振り向いた。
誰だろう? 彼女はそう思いながら振り向いたに違いない。
去年より髪は長くなって夏の爽やかな風になびいた。
目と目が合った瞬間、美咲は目を見開いて彼女も同じように見開き、お互いに見つめ合ったまま一瞬だけ硬直する。
「優……乃?」
「美咲……君」
優乃だ。
優乃が僕の前にいてちゃんと生きてる。
美咲は安堵と同時に優乃との思い出がフラッシュバックする。
初めて出会った入学式の日、同じクラスで文芸部に入部した日。
お互いに恥ずかしがりながら初めて文芸部で書いた作品を見せ合った日。
時にはすれ違って喧嘩したり、一緒に文化祭で発表する作品を一生懸命書いた日。
春の日も、夏の日も、秋の日も、冬の日も、優乃と一緒だった。
思いを伝え合い、心を通わせたあの夏の日々。
記憶を取り戻し、優乃とまた生きて会えたことでようやく宝物を取り戻すことができた。
次の瞬間、優乃の瞳から大粒の涙が溢れて口元を両手にやると美咲はゆっくりと歩み寄り、そして美咲は優しく包むようにこの手で抱き締めた。
「ただいま、優乃……ごめんね、遅くなって」
「おかえりなさい……美咲君、ずっと信じてた」
優乃も美咲の胸の中ですすり泣きながらギュッと強く抱き返した。
ようやく僕にとっての二〇二一年の夏休みが終わった。
そして新しい夏が始まる、優乃は涙を流しながら微笑んで美咲の瞳を見つめる。
心を通わせた今の僕たちに言葉は必要なかった、今の美咲は優乃と同じ気持ちだと確信しながら唇を重ねた。
離さないで、もう二度と……。
優乃とキスを交わし世界が僕たち二人だけになったかのように感じてると、懐かしい音が耳に入り、ようやく新しい夏が始まったと実感する。
「優乃……セミが鳴き始めた」
「うん、今年もまた……夏がやってきたよ」
優乃は精一杯の笑顔で肯いた。
よかったな美咲、愛しの彼女と再会できて。
一敏は微笑みながら抱き合う二人を見守る。あの子が織部優乃か、直美とはいい意味で正反対で優しそうな子だと安堵してると、優乃と一緒に来てた女の子が緊張気味に歩み寄ってくる。
「あ、あの……遅咲きのエーデルワイス団の方たちですか?」
紺色のショートボブで両耳の上には右だけ焼け焦げた二対の赤い髪留めを付けている。猫のような愛らしくも凛々しい目鼻立ちに、キュッと結んだ桃色の唇の女の子。
陽奈子が代表して肯いて自己紹介する。
「はい! 初めまして、紺野陽奈子です」
「こちらこそ初めまして、真島美由です……ようやく会えたね、陽奈ちゃん」
真島美由は陽奈子を愛称で呼ぶと、一敏はまさかと思って陽奈子に訊いた。
「紺野……まさか、バッカニアの友達って」
陽奈子は安堵に満ちた表情で話す。
「うん、美由ちゃんなの……音大の友達にね、高校のクラスメイトの彼氏君が行方不明って話してたの。その子熊本から来たって言ってたからもしかしてと思って美由ちゃんを紹介してもらったたの……最初は違うかなと思ってたけど、記憶が戻ってから間違いないと思って確信したの」
「だから昨日から頻繁にスマホを弄ってたのか、紺野……さすが――いや、ありがとう」
かつて自分に思いを寄せた女の子は美咲のために手を回してくれたことに感謝と敬意の眼差しで言うと、陽奈子は照れ臭そうに肯いた。
「ううん、いいの」
「陽奈子……ありがとう、あなたのおかげで心の隅で引っかかってたのが、ようやく取れた気がしたわ」
唯は瞳には微かに涙を浮かべていた。聞けば美咲は夏休みが終わってからも毎週のように湘南を亡霊のように彷徨い、毎週必ず唯のしらす丼屋で食べていたという。
陽奈子は唯に微笑む。
「そうか、唯ちゃんだもんね……卒業した後も水前寺君を間近で見てたの」
「皆さん、水前寺君のこと……本当にありがとうございました。なんてお礼すればいいか」
美由はペコリとお辞儀すると、唯は気さくな口調になる。
「いいのよ、君もエーデルワイス団ならあの夏を駆け抜けた仲間よ……あたしは奥平唯、唯でいいわ」
「う、うん……よろしくね唯ちゃん」
美由は初対面でも気さくに接する唯に少し戸惑った様子だが、歩み寄って照れ臭そうな表情で肯いた。すると、美咲と彼女である優乃がこれ見よがしに手を繋いで幸せに満ちた表情で歩み寄ってくると、美咲の表情は晴れやかだった。
「優乃、紹介するよ。僕の親戚で親友の灰沢一敏に彼女の鶴田直美さん、友達の奥平唯さんと紺野陽奈子さん」
「初めまして、織部優乃です。このたびは美咲君がお世話になりました」
礼儀正しく挨拶する織部優乃にみんなもお辞儀したりするが、直美だけ気まずそうな表情だ。無理もない、一度彼女から美咲を奪おうとし、思い出を壊してしまったのだから。
「あの……鶴田……さん?」
「あたし……あんたに謝らないといけないの」
苦しそうに言葉を吐き出す直美に、優乃は首を傾げる。
美咲は一歩前に出て励ます。
「鶴田さん、あの時のことはもういいんだ……これからまた、僕は優乃と一緒に思い出を作っていくから」
「美咲君、そちらの鶴田さんに何かあったの?」
「ああ、大量自殺事件の時に幼馴染を亡くして……心が病んでしまったんだ」
「まぁ……そうなのね、鶴田さん……私も去年の厄災でクラスメイトを亡くしたの」
優乃はゆっくり直美に歩み寄る、一敏は直美の肩にポンと手を乗せる。
「大丈夫だ直美、美咲も織部も……わかってくれる」
「一敏……」
直美は呟くと少し俯いて次の瞬間には晴れやかな表情で顔を上げて右手を差し出す。
「わかったわ美咲、もう気にしないわ! 初めまして、鶴田直美よ。よろしくね!」
「こちらこそ、よろしく」
優乃は安心した表情で直美と握手を交わすと、陽奈子は美由に訊く。
「ねぇ、聞かせてくれるかな? 美由ちゃんたちのエーデルワイス団の夏休み」
「勿論よ、これからあたしたちのマンションに案内するわ」
彼女たちのエーデルワイス団の物語、どんなのが聞けるんだろう? 一敏は今から楽しみだった。




