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第六章その2

 これは一年生の頃、三年生の先輩から聞いた話よ。

 私たちの細川学院高校――細高は昔、今では考えられないくらい校則が歪で厳しくて、休日も公私問わず制服で外出だとか、男女交際禁止だとか、頻繁な持ち物検査とか、本当かどうかわからないけど……違反してる生徒がいてそれを先生に密告したら内申点上がるという噂が出るくらい歪な学校だったの。

 曰く、時代に取り残された学校で当時の生徒たちは入る学校を間違えたって嘆くくらいにね。

 そんな中、縛りつける大人や先生たちの目を盗んで、今しかない今のために今を精一杯過ごす人の集まり……秘密結社の噂が流れたの。

 部活動でもなく、同好会でもない……生徒たちの間だけに受け継がれてきた秘密結社、それがエーデルワイス団――大人たちの手や目の届かない外に逃れるためだった。

 今は理事長先生が変わって大幅な方針変更と校則が見直され、だいぶ緩やかになったけど、エーデルワイス団のたった一度しかない今を精一杯過ごすという存在意義は変わらなかったわ。


 ある時は厳しくて歪な大人たちからの逃げ場所。


 ある時は学校に居場所を見出だせない人のための居場所。


 ある時はスクールカーストでの争いや役割を演じるのに疲れた人が本当の自分でいられる場所。


 時代によって変わっていたけど根本的な所は変わらなかったわ。


 彼女の話を聞いて僕は今のエーデルワイス団の存在意義を言葉にする。

「そして今は……人類の滅亡に未来を断ち切られ、心の整理と残された日々を精一杯すごすため」

「そうね……もし、もっと早くエーデルワイス団の存在が知られていたら、あの大量自殺事件で死んだ人を救えたかもしれないし……もしかしたら起こらなかったのかもしれない」

 急な石段を登りながら部長は汗を滲ませてるが、苦しい素振りは見せず、むしろこの暑い陽射しと絡みつくような湿った空気、喧しい蝉の鳴き声を楽しんでる様子だった。

 僕たちはサムエル・コッキング苑近くの頂上まで登り切り、自販機で冷たいジュースを買って休憩する。

「むしろ、あの事件が起きたからだと思うよ……卒業生の人がSNS――バッカニアを立ち上げ、残された日々を精一杯過ごしたい人たちを救い、亡くなった人たちの弔いと規範を強いた世の中への報復の意味を込めて作ったのかもしれない」

「そういう意味なら大成功だと思うわ、今こうして美咲君と一緒に歩いてる……滅亡の日が今日でも、素晴らしい人生だったって言えるわ!」

 真夏の太陽のように眩しい笑みで言われると、僕は照れ隠しに思わず笑みを返す。

 僕もできるなら彼女と今夜一緒に過ごしたい。思春期の健康な男の子が思わず抱いてしまう欲望を完全に抑えられるはずがない。

 サムエル・コッキング苑に入り、エレベーターで江ノ島シーキャンドルの展望台に上がると、彼女は設置されてる屋内双眼鏡に一〇〇円玉を入れ、覗き込んで僕は訊いた。

「どう? 何か見える?」

「うん、あっ! あそこだよね? 美咲君の親戚の子が通ってる高校前駅! 江ノ電が走ってる! 美咲君も見る?」

「うん、それじゃあ」

 彼女と交代して屋内双眼鏡を覗く、彼女の言う通り江ノ電が走って眼下の片瀬東浜海水浴場には沢山の人たちが海水浴を楽しみ、砂浜から少し離れた位置にはボートや水上スキー、ヨットが所々に浮かんでいる。

 江ノ島弁天橋にはぎっしりと行き交う人々が絶えず、自分もあの中の一人だったのかと思いながら動かしてると、時間切れになって視界が真っ黒になる。

 まるで僕たちの未来を暗示してるかのように。

「ねぇ、今度は屋外展望台に行ってみよう」

 僕の彼女はそう言うが、被ってる麦藁帽子が風で飛ばされないか心配だ。僕の心を見透かしたのか、彼女は微笑みながら帽子を脱いだ。

「大丈夫よ、飛ばされないように気をつけるから」

「それなら……行こうか」

 僕たちは屋内展望台の更に上にある屋外展望台に続く螺旋階段を登る。

 エアコンの利いてひんやりしたさっき展望台とは違い、屋外展望台に上がると相模湾沖合い――伊豆大島の方向には入道雲、容赦なく陽射しが照りつけるが吹いてくる潮風がとても心地よくて、僕の彼女は潮風を一身に受ける。

「いい風ね、こっちの方が好きかも」

「ああ、わかる気がする」

 エアコンの利いた部屋で勉強してるよりも、外で残された今を精一杯謳歌する。それがエーデルワイス団なんだと思いながら潮風を浴び、ガラスを通さずに見る景色を楽しむ。

 だけど今日は文芸部のみんなと熊本に帰る日で、時間もあまり残されていない。

「ねぇ……美咲君はこの時がずっと続けばいいって思ったことない?」

 彼女は寂しげな表情で訊く、僕は勿論肯いた。

「ああ、こんな楽しい日々がずっと続けばいいと思ってる」

「私思うの。さっき言ってたように例え今日死んでも……思い残すことはないのに。どうしてなんだろうね? 苦しい時は長く感じて……楽しい時はあっという間に過ぎていく、この最後の夏休みが……ずっと続けばいいと思ってる」

「みんなそうだと思う。でも……だからこそ、僕たちエーデルワイス団は今をかけがえのない思い出にしようとしてる」

 彼女と文芸部のみんなは鎌倉駅で合流するという、飛行機は夕方の便だが早めに合流しておいた方がいい。

 江ノ島シーキャンドルを降り、島の奥に行って恋人の丘の入り口付近にある売店で南京錠を買う。

「えっと……南京錠に名前を書いてフェンスに付ける奴だったんだよな」

「そうよ……確か鐘を鳴らしてフェンスに鍵をかけるの」

 彼女はそう言いながらお店の人から借りたサインペンを僕に渡す。

 僕が先に南京錠に名前を書き、そして彼女が名前を書くと、龍恋の鐘に続く森の道を少し歩く、二~三組のカップルがいて楽しそうにイチャイチャしてる。

 僕たちも知らず知らずのうちにイチャイチャしてたのかもしれない。

「じゃあ……僕たちも鳴らそうか」

「うん、一緒に鳴らそう」

 彼女は精悍さと柔らかさを兼ね備えた笑みを見せ、一緒に紐を握る。

 そこからはお互いに言葉は必要なかった、呼吸を合わせて紐を振りかぶって思いっきり叩くと、甲高い鐘の音が響いていつまでも耳に残った。

 そして僕たちはフェンスに鍵をかける、部長はこんなことを書いていた。


 どんな苦難も乗り越えられますように。


 そして裏には僕――水前寺美咲の名前と寄り添うように、ずっと思い出したかった彼女の名前が書かれていた。


 織部優乃(おりべゆうの)


 僕の彼女の名前は織部優乃。ようやく僕は全てを思い出し、現実に戻ってきた。


 美咲はその場で立ち尽くし、温かい涙を流した。今までとは違う、嬉しさと安堵で満たされた涙だ。

 誰も奪うことのできない自分だけの大切な宝物――思い出を、ようやく取り戻したのだ。

「優乃……優乃……」

 美咲は自分の胸に両手を当てると、胸に温かいものが宿ったかのように感じる。

 そして涙を拭って走り出した。今すぐにでも熊本に帰ろう、そして優乃や細高の仲間たちに会いに行くんだ!

 だけどその前に美咲にはやるべきことがあった、さっきしらす丼を食べた唯のお店に走って扉を開けた。

「いらっしゃ――水前寺君どうしたの?」

 汗だくになって戻ってきた美咲に唯はぽかんとした表情になって見つめると、美咲は微笑みながら伝える。

「奥平さん……記憶を失う前、僕と優乃はここに来てたんだ!」

「ゆうの? まさか!」

「ああ、僕と優乃はここでしらす丼を食べていた」

 美咲は肯くと、唯は少し間を置いて一息吐くと意を決した表情に変わる。

「帰るならさ……みんなで行こう、一人じゃ心配よ」

「奥平さん……わかった、僕もすぐ一敏に伝えるよ」

 美咲は唯の心情を察すると、すぐに肯いてスマホを取り出し、一敏にLINEで連絡する。

『記憶が戻った、これから熊本に帰る用意をする』

 メッセージを送ると美咲はすぐに帰る前にやるべきことを考え、行動に移す。

「奥平さん、僕は今から帰って用意する……航空券が取れるかわからないけど」

「こっちは今、陽奈子と連絡がついた、何かあったらまた連絡するわ」

 唯はスマホをいじりながら言うと美咲は「ありがとう」と礼を言って店を飛び出し、人の行き交う弁天橋を渡って灰沢家に急ぐ。

 帰り着くと幸いおじさんとおばさんが、家のリビングでのんびりとした午後の一時を過ごしていた。

「おじさん! おばさん!」

 肺と心臓を酷使し、息切れしながら汗だくになって帰ってきた美咲に、おばさんは驚いた表情になってソファーから立ち上がって歩み寄る。

「あらら美咲君、血相変えてどうしたの?」

 おじさんは何も言わずにただ固い表情で美咲を見つめていた。

「記憶が……戻りました、すぐにでも……熊本に帰ります!」

「ようやく、決心がついたんだね」

 おじさんは表情を緩めてゆっくりソファーから立ち上がると、淡々とした口調で話す。

「実はな、君の学校……細川学院高校に連絡しておいた。向こうの学校にも行方不明の生徒さん多くもいる、無事に帰ってくることを祈って休学にしてくれたそうだ。私も悩んだよ……君の父さんと母さんが死んで、記憶を取り戻さないまま一人熊本に帰すのは不憫だ。君は一敏と仲良く過ごしてる間に……決心がつくか、記憶が戻るか……待つことにしたんだ……君のバイト先には私からも話しておこう、さぁ……帰る用意をしなさい」

 おじさんのようやく戻ったことに安堵したかのような微笑みに、美咲は頭を下げた。

「今日まで良くしてくれて……ありがとうございました」

 美咲はしっかりお礼を言うと玄関のドアが開き、急速に足音が近づいてリビングに一敏が入ってくると、美咲を見るなり言い放った。

「美咲! 俺も一緒に行くぜ!」

「一敏……ありがとう」

 美咲は記憶を無くした夏休みの終わりの日々、得たものもあったと微笑んだ。


 それから美咲はまず、おじさんと一一ヶ月間お世話になったバイト先の会社に行って挨拶に行き、記憶が戻って熊本に帰ることを伝えた。

「よかったじゃねぇか! もし高校卒業――大学に進学しても就職先に困ったらまたおいで、今度は正社員で雇ってやるからな!」

 社長であるおじさんの旧友はどこまで本気か冗談かわからないことを言って、豪快に笑った。今の僕たちくらいの頃、バイクを乗り回してやんちゃしてたらしい。エーデルワイス団も彼らに負けず劣らず、違う意味でやんちゃしてたから人のことは言えない。

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