第六章その1
第六章、滅亡後の夏の始まり
一一ヶ月後、二〇二二年七月九日。
ジェネシス彗星が世界にもたらした厄災は世界で二億人以上の命が失われ、日本だけでも死者行方不明者二〇万人――これは災害関連死を含めた話しで、あの日に亡くなった人は一〇万人だった。
その年の冬は全国的で記録的な大寒波と大雪に見舞われ、劣悪な避難所生活してる人々の命を容赦なく奪った。
その後の災害関連死は明らかな人災だと世間では批難が相次ぎ、その前に起きた大量自殺事件も明らかな人災にも関わらず、まるで風化を待つどころか、それを押し進めようとしていた。
美咲は江ノ島サムエル・コッキング苑内で倒壊し、そのまま放置されてる江ノ島シーキャンドルの前をただ無表情で突っ立っていた。
あの日、偶然にもみんなは江ノ島に集まっていてお互いの無事を喜び合った。
江の島に落ちた欠片は二つで、一つは岩屋洞窟の真上に直撃したが洞窟内にいた陽奈子と唯は無事で、もう一つは美咲の目の前に落ちてシーキャンドルを倒壊させた。
「目の前で落ちて無事だったなんて……どんだけ運がいいのよあんた」
直美は苦笑しながらそう言ってた。
美咲の記憶は夏休みが終わっても結局戻ることはなく、二学期から今日までおじさんの旧友が経営する会社で復興事業のアルバイトしながら灰沢家に居候し、今日は仕事が休みだった。
あの日以降しばらくは混乱と東日本大震災の時のように自粛ムードが起きたが、最近は湘南にも観光客が戻り始めてるとおじさんは言っていた。
休みの日のたびに美咲は江ノ島を訪れ、意味もなく亡霊のように彷徨う日々を送った。
急に寒くなり始めた短い秋の日も。
雪に閉ざされ、氷河期の訪れが騒がれた長い冬の日も。
遅くやってきた短く暖かい春の日も。
そして暑くなり始めた今日の夏の日も。
だけどまだ蝉の鳴き声は聞こえない、去年が早かったのか? この厄災で絶滅したのか? 実は後者じゃないかと思うくらいだった。
行き交う家族連れ、犬を連れた人、友達グループやカップル、彼らは去年の夏をどんな風に過ごしたんだろう?
遅咲きのエーデルワイス団のみんなは無事に高校を卒業して一敏と直美は近くの大学へ、陽奈子は都内の音楽大学へと進学した。取り残された美咲は一人島内を亡霊のように彷徨う、アップダウンの激しい江の島を歩き回ると体力を使うし腹も減ってくる。
昼飯を食べる店はいつも決まっていた。
「いらっしゃいませ……水前寺君、いつものにする?」
行きつけの店――唯の家族が経営するしらす丼屋に入ると栗色の髪を結んで三角巾を被り、エプロン姿の唯が変わらぬ笑顔で迎えてくれた。
「ああ、いつものしらす丼を頼む」
美咲は注文する、お冷を飲みながら周囲を見回すと観光客は去年ほどじゃないが戻っていて、唯は進学も就職も決まらず自嘲気味に本職ニートでしらす丼屋の仕事は副業だと言っていた。
唯によれば学校のみんなは無事だったが厄災の影響で、就職も進学も決まらないまま卒業した生徒は半分ぐらいだという。美咲は卒業できただけでもマシだと思ってる間に、唯が注文のしらす丼と味噌汁を持ってきた。
「どう? 記憶は?」
「相変わらずだよ……もう、戻らないのかもしれない」
「そんなら、うちの学校に編入したら?」
「それもいいかもな……だけど、女々しくて情けないけど……諦めたくないんだ」
美咲はそう言って箸を取ると、唯は羨まし気に言う。
「一途だね、あんたとなら恋人の丘に言っても別れない気がするわ」
「えっ? 別れる?」
「江ノ島でデートしたカップルは別れるってジンクスよ。江ノ島に祀られてる弁天様って、嫉妬深い女神様で、カップルを見ると嫉妬して別れさせるそうなの」
唯の話しを確かネットかどこかで聞きかじったような気がする、恋人の丘にある龍恋の鐘か……あの子と鳴らしたのだろうか? ふと頭の中に甲高い鐘の音が過る。
あの子と鳴らしたのか? しらす丼を食べる間、疑問が頭にくっついて離れなかった。
「毎度、ありがとうございます……これからの予定は?」
「奥平さんが言ってた恋人の丘に行ってみるよ、行く気がしなかったからね」
「そりゃあ周りがカップルだらけで自分一人なんて、気が滅入るわ……もし思い出したら言ってね。週一で必ずやってくるお客さんがいなくなったら寂しいから!」
唯の言葉に、美咲は背中を押してもらったように感じた。
「ありがとう、思い出したらまた来るよ」
美咲はお代と礼を言って店を出ると、すぐに恋人の丘へと急ぐ。今はデート中のカップルが多く賑わってるが構うもんか、確かめてやる!
恋人の丘、龍恋の鐘は相模湾を見渡せる見晴らしのいい場所にある。
相模湾を背景に龍恋の鐘を二人で鳴らして、金網に二人の名前を書いた南京錠をつけると、永遠の愛が叶うという。
その南京錠は、固い絆で結ばれた二人の証だ。
美咲は生い茂る森の道を歩くとその鐘に着く間、心を落ち着かせて自分に言い聞かせる。
大丈夫、きっと無駄には終わらないさ、だけどもし何もなかったら? という不安を必死で押し殺す。
龍恋の鐘には予想通り何組かのカップルがいて、不安を掻き立てるがこのまま何もしないよりはいい。美咲は一人で鳴らすのを気にせず、まるで強大な敵と対峙したような眼光で紐を強く握る。
そして鐘を叩き壊すんじゃないかという勢いで、思いっ切り鳴らして甲高く響かせると意識が遠くなる、これが最後かもしれない。
気が付くと僕は巨大な水槽の前に立っていて目の前を体長一・五メートル程のサメが横切る。その隣に僕の彼女が麦藁帽子に淡いピンク色のワンピース姿で立っていて、素朴な疑問を口にした。
「ねぇ美咲君、彗星が地球に落ちたら海の生き物もみんないなくなっちゃうのかな?」
目の前を泳ぐ魚たち、少なくとも何割かの絶滅は免れないだろう、だけど。
「少なくとも浅い所にいる生き物は津波で押し流されるけど、深海魚なら生き残るかもしれない……オウムガイやシーラカンスは深海に逃れたからペルム紀や白亜紀の絶滅を生き残ることができた。もしかすると今度も生き延びるかもね」
僕は彼女と二人っきりだった、もしかすると文芸部のみんなが気を利かせてくれたのかもしれない。水族館でのデートが定番中の定番な理由がよくわかった。
「ほら見て美咲君、この魚可愛くて綺麗!」
彼女は小さな水槽を泳ぐ、小さくてカラフルな珍しい熱帯魚を指先と視線で追いながら瞳を輝かせる。
「ああ、まるで泳ぐ宝石だな……命という名の小さな宝石」
僕は思わずカッコつけて言う。水槽の魚を観察するよりも、彼女の無邪気で豊かな表情を覗き見るのが楽しかった。
「ふふふふ……美咲君、なんか詩人みたいね。でもその台詞いいわね」
彼女の微笑みにはどこか陰りがあって、僕はそのたびに心がチクリとした。
順路を通って上の階に上がってテラスに出ると江ノ島が一望できた。僕たちのいる場所は新江ノ島水族館だとわかる。
彼女とイルカショーを見て水族館を後にすると、もうすぐお昼だった。
「それじゃ、お昼御飯はあそこで食べようか」
彼女の視線の先には江ノ島、僕は微笑みながら肯く。
「ああ、しっかり食べておいた方がいいよ……江ノ島は石段のアップダウンが激しいから、覚悟しててね」
「勿論よ、江ノ島デートで破局するカップルは多いって聞くけど……それって裏を返せば弁天様から与えられた試練を乗り切れなかったことだと思うの」
「僕たちは試されてるってわけか」
僕は嫉妬深い女神様に苦笑しながら弁天橋を渡り、仲見世通りにあるしらす丼屋に入るとそこは唯の家族が経営するお店だった。
「いらっしゃいませ、二名様ですね。どうぞ」
出迎えた店員は唯だった、僕と彼女は既に出会っていたんだ。唯に案内されて席に座ると、すぐに唯はお冷やを持ってきて屈託ない笑みでテーブルに置く。
「お二人さん、デートですか?」
「はい、実は高三なんですけど旅行に来てるんです」
彼女はにこやかに言うと、唯は羨ましげに言う。
「あら同い年なんですね、あの噂が本当かどうか知りませんけど」
「そうですね、生しらす丼二つで」
「はい、かしこまりました!」
彼女からの注文を承った唯はすぐに厨房の方へと向かうと、彼女は僕にしか聞こえないくらいの甘い囁き声で言う。
「ここにもエーデルワイス団の人たちとかいるのかな?」
「さぁ……少なくとも江ノ島に遊びに来てるエーデルワイス団は僕たち以外にもいると思うよ」
僕は今まですれ違った人たちの中にもいるかもしれないと口元を緩め、江ノ島名物であるしらす丼を彼女と食べる。
「ありがとうございました、よい夏休みを」
唯に見送られてしらす丼屋を後にし、江ノ島神社に続く坂道の途中でタコ煎餅を買って食べながら歩いてると、彼女はさりげなく衝撃の事実を口にした。
「美咲君、みんなにも話してなかったんだけど……エーデルワイス団、うちの学校が発祥なの」
「!? 発祥の地?」
僕は最初冗談なのかと思ってると、彼女は微笑みながら話す。




