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異世界転生で勇者になったけど魔王がいなかった

作者: うみたか

三人称の習作です。ご指摘、ご感想頂ければ嬉しいです。

 ナツミが異世界にやって来たのは、ほんの数日前のことだった。

 高校へ向かうためのバスが事故を起こし、ナツミは死んでしまった。しかし女神様とやらに導かれて、勇者という肩書きを背負う代わりに異世界に転生したのだ。


 ナツミは勇者がやるような、悪に鉄槌を下したり、人助けをしたりというような事には全く興味がなかったが、異世界というワードに心を動かされて勇者になることを決めた。魔法をぶっぱなしたり、チート能力で魔物の軍団と一人で渡り合ったり、そんな非日常的なことに憧れていたのだ。それに死にたくもなかった


 しかし――


「あー、暇だー」


 とある酒場。路地裏にひっそりと佇み、店主とナツミ以外は誰もいない伽藍道とした店内で、ナツミは呟いた。

 ナツミの座るテーブルの前には、黄金色をしたビールの注がれたジョッキがおいてある。ナツミはそれを豪快に飲み干し、「ぷはー」と大きく息を吐き出す。

 そしてまた「暇だぁ」と呟いた。


 結論から言うと、何もなかった。

 ナツミは勇者として異世界に転生したにも関わらず、この世界には倒すべき敵がいなかったのだ。

 魔王は既にどこぞの王国が討伐し、魔物の数もそれに伴い減少。勇者が出動すべき緊急事態はおろか街の兵士が出向くようないざこざすら起きない。

 今では魔物を見たことがない人間すらいる。


 ナツミがその事実を知るのには、そう時間はかからなかった。街の様子を見て不思議に思ったナツミは、街の人々に聞き込みをしたのだ。

 結果、勇者であるナツミが動くような事件などはなく、今こうして昼間から酒を飲んでいるのだ。


「てんちょー、もう一杯」


 ナツミはカラになったジョッキを掲げる。その顔はアルコールで少し赤くなっていた。


「はいはい」


 スーツのような黒服を着たオッサン店主がジョッキを受け取る。


「お客さん、昼間っからずいぶんと飲みますな。何か嫌なことでもありましたかい?」

「まあなぁー」


 ナツミは適当に返事をした。


「お客さん、ずいぶんと若くみえるが、その歳で酒に頼るってのは関心しませんぜ」

「うるせぇ。別にいいだろんなもん。こっちの世界では法律に引っかからないからいいんだよ」


 そう、この世界では、未成年の飲酒が許されている。そもそも日本のようにしっかりとした法律が整っていないため、許されているというより、禁止されていないと言う方が正しいのかも知れない。

 ナツミはそれを知り、興味本位でビールを飲んでみたところ、独特の風味と酔っ払う感覚にハマってしまい、今にいたる。

 本人は健康に障害が出ると分かっているが、やめるつもりは毛頭ないらしい。


「あいよ」

「あんがとさん」


 ナツミは新しいジョッキを受け取ると、今度はチビチビと飲み始めた。

 酒独特の苦味を感じながら、今後のことを考えてみる。


 金はあまりない。魔物がいない今、冒険者のような職もないし、そもそもナツミに働く気がない。自分はスリル満点な冒険を楽しむためにここに来たのであって、働きに来たのではない。結果財源は無し。最初に女神様に貰った金も殆ど酒に費やし、残りは宿屋三日分くらいだ。


「なら街の外に出るのは……」


 その案も却下された。

 街の外に出ても、現れるのはせいぜい盗賊くらいである。

 外でなら魔法をぶっぱなしてストレス解消なんてこともできるが、以前それを実行したら山が二つほど吹っ飛んでしまったので、それ以降は控えている。だから魔法も却下である。


「他には……」


 ナツミは酒を飲みながら考えてみたが、なかなか暇つぶしになるようなことは思いつかなかった。そして次第にその思考は、女神への愚痴へと移り変わる。


「全くよぉ……あの女神、アリア様だっけ? あいつも適当なもんだよなぁ。勇者にならないかーとか言って誘っといて、そんで乗ってみたらこのザマだ。女神とか名乗っといて、実際はただの詐欺師じゃねえか」

「おいおいお客さん。何言ってるかサッパリだが、アリア様の愚痴なんか言ったらバチが当たりますぜ」

「当たるなら当ててみろってんだ、あの駄女神」

「駄女神って……お客さん、この辺りはアリア教の信者も大勢いるから気をつけてくだせえ。どこで誰が聞いてるか……」


 アリア教というのはナツミは初めて聞いたが、恐らくあの駄女神を崇拝している愚かな者達だろうとナツミは思った。


「てんちょーはアリア教じゃねえの?」

「私は自分の力しか信じないたちでしてね」

「真っ当な判断だ」


 ナツミはそう言うとビールを最後の一滴まで飲み干し、代金である銅貨を数枚カウンター席に投げ捨てた。そして椅子を立って店外へ向かう。


「また来るぜ、てんちょー」

「おう。待ってるぜお客さん」


 ナツミは振り返って店長の彫りの深い笑顔を見てから、軽く笑いながら店を出ていった。



 □■□



 この世界の街並みは、定番の中世ヨーロッパ風である。

 レンガ造りの家々が規則的に並んでいて、幅二十メートルはあろうかという大通りを馬車や人や、エルフ、獣耳を生やした獣人など、様々な種族の通行人が行き交っている。道の左右には果物屋、武器屋など様々な店が並び、話し声が絶えない。


 そんな和気あいあいとした大通りを、ナツミは歩いていた。酒のせいで顔はほんのり赤いが、足取りはしっかりしている。特に行く宛はない。暇つぶしと酔い覚ましにぶらついているだけである。


「……暇だ」


 もはや口癖になりつつある言葉をナツミは呟く。

 街をぶらついても、やる事は特にない。ただジッとしているより暇を感じるのが少ないだけで、実際は何も変わらない。暇だ暇だと考えて歩いているうちに日が暮れる、それだけである。

 だから今回は少しでも変わったことをしようと、ナツミは向かう先を武器屋に変更した。金はないが、ウインドウショッピングならできる。ナツミ自信、買わないのに売り物を見るのはあまり好きではないが、この際少しでも暇が潰れそうなら何でもよかった。


 人混みを避けつつ、武器屋に向かう。

 武器屋は大通りの真ん中辺りにあり、結構大きい。日本で例えると、商店街に佇むスーパーだろうか。武器屋と言いつつ防具も売っているその店は、大通りに軒を連ねる店よりも二まわりほど大きい。

 その大きさと豊富な商品から、店内はかなりの人でごった返していた。


「結構儲かってんだな」


 店の中を行き交う客は、皆強者のようだった。頬に傷のある年配、美しい光沢のある鎧を身につけた若者、カリスマオーラをバンバンに出している女騎士。常人には何とも近寄り難い雰囲気が店内を包んでいる。

 しかしナツミは躊躇うことなく店内に入った。ナツミはチート能力を持っているので、この店の誰よりも圧倒的に強い。その自信から、ナツミに躊躇いの気持ちはなかった。

 店内は適当に眺めるだけで、色々な武器が目に付く。大剣、レイピア、槍、斧、弓。鎧に盾、兜もある。その中でも特にナツミの目を引いたのは、日本人であるナツミには縁の深いものだった。


「お、あれは……」


 すらっと細長い鞘、銀色に光る鍔、赤と金色の糸で包まれた柄。

 そう、日本刀である。

 人混みを押しのけ展示スペースに向かう。


「この世界にもあるのか」


 ナツミは幾つか飾られている刀の一本を手に取った。ずっしりとした重みがあり、柄を握ってみるとまるで長年愛用していたかのようなフィット感がある。刀身を少しだけ鞘から出してみると、美しい波紋がキラリと光を反射した。

 素人のナツミから見ても、業物であることはすぐに分かった。


「明らかに日本刀だよな、これ」


 何故この世界に日本刀があるのかは分からないが、日本刀など手にした事はないナツミは高揚感を感じた。

 ナツミも男だ。このような武器を持てば、好奇心や冒険心を擽られる。

 試しに軽く素振りしてみたいが、店内には人がごった返し、そんなスペースはないので、大人しく刃を鞘に収めた。

 少し残念だが、どうせ自分にこれを買う金はない。ナツミはため息をつきながらも、他の手ごろな価格の武器を探し始めた。


「お、この剣安いな」


 ナツミが目をとめたのは、何の変哲もないショートソードだ。柄の部分には荒々しく動物の皮が巻かれている以外、何の装飾もない。

 ナツミはそれを手に取ってみた。先程の刀とは違い、プラスチックの玩具を持ったような軽々しい感触だった。素材に鉄を使っているのか怪しいほどの軽さだ。


「これはボツ」


 ナツミの中では、武器はある程度武器らしいものがないといけないという、謎の基準があった。それは形であったり、重みであったりで、性能の問題ではない。今回のショートソードはあまりにも軽く、武器を扱っている感がなかったのでボツにした。

 値段も銀貨一枚と、百円ショップの製品並に性能を信じれない値段だ。


 そナツミ自身は気づいていないが、最初は何も買うつもりはなかったのに、本人は既に何かしらの武器を買うつもりで商品を物色していた。今後の宿屋代や食事代のことは頭の中からすっかり抜けていた。

 ウインドウショッピングなんてそんなものである。


 続いて弓、槍と見ていく。しかし弓は使えないし、槍はナツミのイメージ的にかっこ悪かったのでボツになった。斧も似たような理由でボツ。消去法で小型武器の売り場にたどり着く。

 木でできた粗末な棚には、様々な種類のナイフ類がこれでもかと並べられていた。ナツミはそれを一つずつ見ていく。


「お、これは」


 その中でもナツミの目を引いたのは、一本のコンバットナイフだった。鞘と刀身が分けて展示されていて、どちらも目立った装飾は無く、黒一色で染められている。暗殺者などが扱っていそうな禍禍しささえ感じる。

 ナツミはただその見た目が、ダークでかっこいいと思い注目したのである。

 刃の形状には特に変わったところはないが、シンプルイズベストだ。ナツミはそれを手に取ってみる。

 小さい見た目とは裏腹に、文鎮を持ったときのような重みがあった。持ち手には何も処理されていないにも関わらず、握る手に吸い付くような感触がある。

 文句なしの持ち心地だ。


 試しに振ってみる。ちょうど周りには人がいなかったので、上下左右にブンブンと振り、逆手で持ち直して同じように振る。ナイフはヒュんヒュんと音をたてる。

 最後に指でペンのようにクルッと回し、小さな鞘に収めた。

 その間ナイフには、ナツミの身体の一部になったような違和感のない使い心地があった。

 使い心地も文句なしである。


「問題は値段か……」


 ナツミの所持金は限られている。今の手持ちは銀貨二十枚、宿は一泊銀貨三枚なので、最低でも二日分の銀貨は残しておきたい。

 値札がないので、店の中を歩いている店員らしき男に声をかける。


「ちょっといいか? このナイフなんだがいくらする?」

「ああこれですか。こちらは銀貨五枚ですね」

「銀貨五枚!?」


 思わず大きな声を出してしまったナツミ。店内の視線が一気に集まり縮こまる。

 銀貨五枚は破格の値段だ。刃物に精通のないナツミでも、このナイフが良品であることくらい、先程の素振りで分かっている。本当に呪いでもかかっているのではないかと疑ってしまう。


「なんでそんなに安いんだ?」


 ナツミは質問をぶつけてみた。しかし返ってきたのは、ごく普通の返答だった。


「このナイフ、飾りけがないじゃないですか。そのうえ戦士には不吉な黒一色。だから全く人気がなくて売れ残って、今のような値段でさばくしかないんですよ。まったく、誰がこんな悪趣味な武器を造ったんだか」


 店内は訳が分からないというふうに手をひらひらさせる。

 しかしナツミには都合のいい話だ。ナツミは別に黒を不吉と思わないし、飾りけがないのもシンプルで扱いやすい。それで値段が下がるなら願ったり叶ったりだ。

 ナツミは即決した。


「これ買うよ」

「本当ですか? ナイフならこれより良いものもありますが……」

「いや、これが気に入ったから。代金は銀貨五枚だな?」


 ナツミは財布(と言ってもただの巾着袋だが)から銀貨を五枚取り出し、店員に投げ渡した。店員は突然のことに驚き、銀貨を落としそうになりながらも全て受け取る。

 ナツミは店員が銀貨を受け取ったことを確認すると、ナイフを棚から取り早々に店の出口へと足を進めた。


 黒光りするナイフを眺めながら、自分がナイフを使っている場面を想像する。

 ナイフを使った戦闘スタイルといえば、機動力を活かした高速戦闘だ。敵の周りを縦横無尽に動き回り、横から後ろから少しずつ、しかし確実にダメージを与えていく。そして最後は喉元をひとかき。息の根を止める。

 剣や斧のように派手な戦いは出来ないが、忍者や暗殺者アサシンみたいでカッコイイ。

 相手に攻撃のターンを与えない一方的な攻撃。ナツミの頭の中では完璧なイメージが出来上がっていた。


「でもなぁ……」


 そう、それを試す相手がこの世界にはいないのだ。

 ナツミのチート能力を持ってすれば、運動神経を無視して身体を想像通りに動かすのは朝飯前だ。しかしそれは相手がいてこそ。相手がいなければ必然的に戦いは起きない。


「ああクソ。どこかで都合よく事件が起きないかなぁ」


 そんなことをボヤきながら店を出ると、突然大きな音が聞こえてきた。

 爆発音だ。音の大きさからしてそこまで大規模ではないが、広場の群集の目を一点に集めるには充分過ぎる大きさだった。それに少し距離もありそうだ。

 音のあった方を見ると、細長い黒煙が空に上がり始めていた。辺りの通行人は「なんだなんだ!」「魔物か!?」等と騒いでいる。


 しかしナツミは、嬉々とした表情で黒煙の元へと向かい始めた。

 事件だ。望んだ事件が起きたのだ。何かしらの騒動を望んでいたナツミは、湧き上がってくる高揚感を抑えながらも爆発現場に向かっていった。



 □■□



 爆発現場は、広場から少し離れた通りだった。通行路には既に野次馬でごった返している。

 ナツミはそれをかき分けかき分け、爆発地点へと向かう。


「はいはい、ちょっと通りますよ! すんません!」


 やっとの思いで人の壁を抜けると、少し開けた空間の中に二人の男が立っていた。

 一人はとても身体が大きく、筋肉で身体がゴツゴツとしている。背丈は二メートル近くあるようにも見える。スキンヘッドの頭と身体の各所に見受けられる古傷が、その男の威圧感を何倍にも膨れ上がらせている。右手にはこれまた大きな棍棒を携えている。

 もう一人は、鼻の高い貴族風の男だ。白い糸で刺繍があしらわれた赤地の貴族服に身を包んでいる。身体はモヤシのように細く、軽く殴っただけで手足がポキリと折れてしまいそうだ。

 そんな二人が、野次馬の輪に囲まれていた。その見た目は、チンピラが騒動を起こした図そのものだった。


 しかしナツミの目は、男達ではなく、もう一人の人物に注目していた。

 二人の男から少し離れたところに、女の子が横たわっていたのだ。


 身体の大きさから、まだ子供だということが分かる。10歳くらいだろうか?

 そんな女の子が、服も身体もボロボロの状態で横たわっている。

 いや、横たわっているというより、倒れているだろうか。所々黒く焦げた服を身につけ、身体中に怪我を追って倒れているその姿は、さながらボロ雑巾のようだった。


「へっへっへ! どうよ、俺様の爆裂魔法の味は?」


 もやし男が女の子の前に立ち、見下ろす。

 女の子は微かなうめき声を上げるだけで動かない。


「そうかそうか。声も出ないか。それは愉快、実に愉快だ!」


 もやし男は膝を叩いて盛大に笑う。


「痛いか? 痛いだろう! それが俺様から金を盗もうとした罰だ! 裁きだよ!」


 男はにんまりとピエロのように薄気味悪い笑顔を浮かべると、女の子の手のひらを思い切り踏みつけた。バキャ、という聞きなれない音の後に、女の子の甲高い絶叫が響き渡る。それを聞いた男の頬はさらに釣り上がり、あひゃひゃと高笑いを始めた。

 観衆は皆、その光景から目を逸らしたり、その場を見なかったことにして立ち去るだけだった。

 誰一人として、女の子を助けようとはしなかった。


 そんな中、ナツミはもやし男を狼のような鋭い目で睨んでいた。


「なるほど……」


 外道だな。

 男の口ぶりからすると、恐らく倒れている女の子はあのもやし男の金を盗もうとしたのだろう。しかしそれは失敗に終わり、逆に爆裂魔法を打ち込まれた。

 明らかにやり過ぎだ。

 爆裂魔法は習得するのが難しい分、とても威力が高いのが特徴だ。初級レベルのただの爆発でさえ、人に風穴を空ける威力を持っている。

 あのもやし男は、それを幼い女の子に撃ち込んだのだ。女の子が強盗だったとはいえ、やり過ぎである。

 しかももやし男は、怪我を負って倒れた女の子を愉快と笑い、さらに痛めつけている。


 これを外道と呼ばずして何と言うか。


 ナツミには正義の心や悪を憎む気持ちはない。

 しかし、いたぶられる子供を見て、それを見て見ぬふりするほど落ちぶれてもいなかった。


「おい、もやし男」

「お、誰だオメェ?」


 足を踏み出したナツミに、観衆の注目が集まる。


「お前、今もやし男とか言いやがったな? テメェ何様だ!」


 もやし男は憤慨し、その怒りをぶつけるように足元の女の子を蹴飛ばした。男の蹴りは女の子の横腹に当たり、女の子は大きく咳き込む。


 その行為がナツミの心を煽った。


 瞬間、ナツミは目にも止まらぬ速さで男の背後に回り込む。

 チート能力を使った身体強化だ。身体の敏捷性をはね上げる魔法を自身にかけることにより、ワープにも近い速度で移動が可能になる。

 一瞬のことで、男はナツミを捉えることさえ叶わなかった。

 ナツミは男の首元を腕で締めあげると、空いた左手でナイフを抜き取りもやし男の首に突き立てた。

 磨き抜かれている刃は不気味に黒光りしている。

 刃先が皮膚に当たり、傷口から真っ赤な血がツーと流れ落ちる。

 男は驚きのあまり口を半開きにしたまま固まった。


「俺が何者かって?」


 ナツミは思った。

 今、ここで言うべきだと。


「勇者だよ」


 辺りは静まり返り、誰一人として身動きをしない。

 観衆はナツミともやし男を食い入るように見つめている。

 そんな中で動いたのはもやし男だった。


「は? 勇者?」


 はは、と軽く笑う。


「勇者、勇者だって? はは、あひゃひゃ! 笑わせるねぇ!」


 再び馬鹿笑いを始めようとするもやし男の首を、ナツミはさらに強く締めあげる。

 男は咳き込み声を出して笑うのをやめた。しかし、顔にはピエロの仮面のような気味悪い笑顔が張り付いている。


「テメェどこぞの田舎もんか知らねぇけどな、テメェみたいなカスが勇者なんざ名乗るのは百億年はえぇんだよ!」


 もやし男が叫んだ瞬間、ナツミの腕を掴む男の手のひらから光が発せられる。本能的に危険を感じたナツミは男を手放し思い切り横っ飛びする。チート能力を使う暇はないので自前の脚力だ。

 ナツミの身体が移動を始めたその時、もやし男から激しい光が発せられる。

 視界が白一色に染まる。

 そして次の瞬間には、耳を裂くような轟音と共に吹き飛ばされていた。

 体勢を崩して受身も取れず、地面に投げ出される。

 身体を打ち付けた痛みを感じながら顔を上げたナツミは、何が起きたのかをすぐに悟った。


 爆発だ。

 恐らくもやし男が魔法を放ったのだろう。一瞬前までナツミの立っていた地面にサッカーボール程の穴が空いていた。

 直撃すれば、さすがのナツミでも危なかった。


「チッ、避けたか」


 もやし男は舌打ちをした。しかし薄気味悪い笑顔は崩れていない。

 突然の爆発に恐怖を覚えた観衆達は、我先にと逃げ始めた。数十秒もないうちにナツミと男二人、そして女の子が広い大通りのど真ん中に取り残された。


「よく避けたなぁ。この小娘といいお前といい、ハエのようにちょろちょろと。鬱陶しいんだよ!」


 男は怒りに身を任せ、再び爆裂魔法を打ちにかかる。

 しかし同じヘマをするナツミではない。男の手が光り始めたのと同時に身体強化を使い、男が爆発を起こす頃には数メートル横に移動していた。

 またもや目にも止まらぬ移動を見せつけられた男は眉をひそめる。


「その動き、確かにただ者ではないようだな。身体強化、もしくは空間魔法の使い手か?」

「答える義理はないね」


 もやし男に応じつつ、横目で女の子の様子を伺う。先程の爆発には巻き込まれていないようだが、やはり傷の状態が良くなさそうだ。

 先程男に踏まれた手に関しては、あらぬ方向にぐにゃりと曲がっている。それと身体の所々に火傷が見られる。


「殺るのが早いか、助ける方が早いか……」


 男を倒してしまえば簡単に女の子を助けられるが、なにせ二対一である。大男がまだ動きを見せていないのは幸いだが、もやし男動揺何かしらの特殊な戦闘手段を持っているだろう。あの魔法と交われば厄介だし、ナツミがチート能力を使えば女の子を巻き込みかねない。

 しかし女の子を助けたとして、その後がない。

 どっちを選べばいいのか……


「戦闘中に気を抜くと命取りだぜ!」


 男の手が光る。

 反応が遅れたナツミだったが、これも難なく交わす。

 しかし――


「今だ! やっちまえ!」

「うおおおお!」


 ナツミの直ぐ後ろ。

 大木のような棍棒が勢いよく振り下ろされる。

 ナツミは避けることを諦め腕でガードの体勢を取った。

 ドゥガンと、おおよそ鈍器からは発せられないであろう轟音と激しい衝撃がナツミの左腕を襲う。

 身体強化である程度の耐久力を持ったナツミの腕でも、大男の渾身の一撃は耐えきれなかった。


「うがっ!」


 ミシミシと腕が悲鳴を上げる。鈍い痛みがだんだんと大きくなっていく。

 たまらずナツミは横に飛んだ。棍棒は支えを失ったことにより振りぬかれ、地面に激突する。

 地響きと共に、棍棒の落下地点には大穴が穿たれた。

 とんでもない威力だ。

 歯を食いしばるナツミの姿を見て、もやし男は何度目かの笑みを見せた。


「どうだ、我が個分の一撃は? なかなかに痛烈だろう」


 もやし男は大男の隣に立ち、銅像を自慢するかのように語る。


「コレは身体強化魔法の使い手でねぇ、こと近接戦闘に関しちゃあ王国の騎士団一小隊分の働きをみせる。実に素晴らしいだろう!」


 あひゃひゃと不快な笑い声が響く。大男は地面にめり込んだ棍棒を引き抜くと、まるでホームラン予告をするように切っ先をナツミに向けた。


「さあ、今降参して土下座するなら、一撃で楽にしてやるけど、どうだ? どうせその左腕じゃあまともに戦えないだろう」


 確かに、ナツミの左腕は確実に折れている。ナツミ自身医療系の知識は持ち合わせていないが、前腕の異常な腫れと痛みを考えれば、素人でも分かる。

 治療魔法をかければ治すことは出来るが、それには時間がかかるため今すぐには無理だ。

 左腕を使わないまま戦うしかない。


 もちろん、骨折ごときで負けを認めるナツミではないが。


「誰が土下座だって? 逆にお前らの土下座姿をあの娘に見せやるよ」

「勇者様は弱き者を助けるってか? あひゃひゃ! やっぱりお前は面白いなぁ!」

「言ってろもやし」


 ナツミの言葉に、もやし男が露骨に顔を歪める。どうやらこの男は自分のことを馬鹿にされることが怒りの引き金らしい。


「個分、やれ」

「うおおおおお!」


 大男が獣のように吠えながら突っ込んでくる。ナツミはナイフを右手で握り直すとすぐに身体強化を使った。

 振り下ろされる棍棒。

 ナツミは右にサイドステップを踏み交わす。

 そのまま動きを止めずに大男の懐へと潜り込んだ。

 大柄なうえにパワー型、ならば素早く相手の懐に入ってしまえば追撃は無いとナツミは考えたのだ。

 思った通り大男はナツミの動きに合わせられず、地面にめり込んだ棍棒を引き抜くのに手こずっている。

 ナツミはガラ空きの男の横腹をナイフで切りつけた。鮮血が軽く吹き出す。

 あのもやし男は魔法を使える。ならば死なない程度の傷なら治癒魔法で治すだろう。だから躊躇いはいらない。


 返す刃でもう一度切りつけ、ナツミは男の背後に離脱した。ナイフを逆手に持ち替えて、素早く動けるように構える。

 男はようやく棍棒を引き抜くと、ぐるりと大きく回転してナツミと向き合った。腹の傷からはまあまあな量の血が流れているが、大男は全く気にする素振りを見せない。さすが、大柄なだけあってかなりタフだ。


「おいおい勇者様、その程度じゃ俺の個分は倒せないぞ」


 もやし男が離れたところからあざ笑う。しかしナツミはそれを気にすることなく、今度はこちらから切り込む。

 男の正面向かって直線で突撃。

 大男はそれに反応して棍棒を大きく振り上げる。

 ナツミの狙い通りだ。またもやガラ空きになった胴体目掛けて、ナツミは一気に踏み込む。

 目にも止まらぬスピードで、今度は男の胸を大きく切り裂く。さらに棍棒を握る右腕にも二、三回斬撃を入れてから離脱する。


 再び男の背後に陣取った。

 しかし、それを読んでいたのかもやし男がナツミに向かって爆裂魔法を放った。ナツミは反射的に横飛びをして、直後に爆発が起こる。

 爆風に飛ばされるナツミ。その先にはいつの間にか棍棒を構える大男がいた。棍棒をバットのように引き、宙を舞うナツミ目掛けてぶんと振り抜く。

 ナツミは咄嗟に腕でガードをするも、男の圧倒的パワーと遠心力の乗った一撃か凄まじく、またもや左腕からバシンという嫌な音が聞こえた。

 ナツミは勢いのまま吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。肺から空気が吐き出されて胸が苦しい。


 顔を上げると、大男が追撃しようと棍棒を振り上げる姿が見えた。ナツミは素早く横に飛ぶ。

 大男の二撃目を交わしたところで、双方の動きが止まった。


「おー、今の一撃を受けてまともに立っていられるとは。さすがの俺様も感激だぜ」


 もやし男はパチパチと乾いた拍手をする。


「だが無傷ではないようだな。どうだ、その左腕? 痛いだろう?」

「……………………」


 痛くはなかった。

 左腕の感覚が完全に無くなっていた。

 真っ青に晴れあがった左腕は、棒切れのようにダランと肩から垂れ下がっている。使いものにならない程度では済まないであろう怪我であることは明白だ。

 しかし、


(大丈夫だ、これくらい後で治せる。でも問題は……)


 このままではあの男達に勝てない。もやし男のように魔法を使えば瞬殺だが、この辺りの全てを吹き飛ばしかねない。そうなればあの女の子も巻き込んでしまい、元も子もない。

 しかしこの左腕のハンデは大きい。痛みがないことは幸いだが、操作できない身体の部位なんて重りのようなものだ。チート能力を使っても先程レベルの瞬間移動はできない。無論左腕自体を能力で動かすこともできない。


 ナツミはいまだ横たわり動かない女の子を横目で見ながら思考を巡らせた。


「おいおいまた考え事か? もう諦めた方がいいんじゃねぇの? あひゃひゃひゃ!」


 もやし男は笑いながら爆裂魔法を放つ。ナツミは素早く避けるが、またもやいつの間にか移動した大男が行く手を阻む。恐らくナツミ同様移動にも身体強化を利用しているのだろう。

 棍棒は何とか避けたが、ここでナツミは悟った。


 逆手で握ったナイフを突き出しながらスライディングし、大男の股の間をくぐり抜ける。そしてすれ違いざまに両足太股の根元を深く切った。

 さすがの大男もこれには堪らず、崩れ落ちて膝を地につける。

 ナツミはスライディングの勢いを殺さないまま、倒れ込む女の子の元へと移動する。女の子を右手の脇に抱え持った。


 こうなったら逃げるが勝ちだ。魔法をぶっぱなせない今、あの男達には勝てない。

 ナツミは女の子をしっかりと抱えると、男達に背を向け一目散に逃げ出した。騎士や侍なら恥ずべき行為なのだろうが、そんなもの元一市民であるナツミには関係ない。


「うぉい! 待ちやがれ!」


 もやし男が爆裂魔法で追撃するも、ナツミのスピードに合わせられず明後日の方向で爆発が起きた。

 ナツミは振り返ると、お土産に初歩魔法をばらまいてやった。

 氷柱や火の玉が幾つももやし男目掛けて飛んでいく。一発にそこまで威力はないが、追撃を振り切る弾幕くらいにはなるだろう。

 もやし男は回避に手一杯で、もう一撃を放つ余裕はなかった。


「じゃあな! とっつぁん!」

「くっそー! 覚えてやがれ!」


 魔法の着弾する爆発音ともやし男の声が、街中に響き渡った。



 □■□



「おういらっしゃ…………お客さん、今度はどうしたよ」


 路地裏の酒場。男達と出会う前までナツミが酒を飲んでいた酒場である。ナツミは逃げ場所を考えるにあたって、立地的に見つかりにくく、且つ安全なこの店を選んだのだ。

 店主は優しい人だし大丈夫だろう。ナツミはそう思って女の子を抱えたまま入店したわけだ。


 しかしさすがの店主も驚きを隠せないようだ。


「ちょっと喧嘩してきた。この子は被害者」

「うぅん、大雑把過ぎて何も分からんが……さっきの爆発音とかはお客さんがやったんですかい?」

「あれは喧嘩相手」


 ナツミはそう返しながら、机をベッド代わりにして女の子を寝かせる。一応息はしているし意識も僅かながらあるので、命に別状はないだろう。

 しかし、容態が悪いのは変わらない。

 相変わらずあらぬ方向を向いている右手。火傷は身体中にあるが、特に首の付け根から左肩までが酷い。皮膚が焼けただれてシワシワになっている。正直かなりグロテスクな見た目になっている。

 この傷のレベルになると、ナツミの治癒魔法でも治療が終わるまでに三十分はかかる。普通の治癒魔法使いが処置をすれば丸一日かかることを考えればかなり速いが、ナツミはそうは思っていないようだ。

 治癒魔法は万能ではない。もし万能だったら、この世界から死人は出ないだろう。

 恐らく女の子の右手も、完治はしないだろう。ある程度は人間の自然治癒能力に任せるしかない。


「で、その女の子が被害者と。まさかお客さん、ドンパチやってその女の子巻き込んだんですかい?」

「まさか。この子はチンピラ共にこんなんにされたんだよ」

「ああ、そこをお客さんが助けて、チンピラ共とドンパチやったと」

「てんちょー察しがいいな」

「伊達に店長やってるわけじゃありやせんぜ」

「店主と察しの良さに何の関係があるんだよ」


 はは、と笑うナツミ。


「で、その女の子はどうするんです? 相当酷い怪我してるみてぇですが……」

「決まってるだろ、治す」


 右手を女の子に触れ、治癒魔法を発動させる。

 ナツミの手のひらから緑色の光が発せられる。それが徐々に大きくなり、女の子の身体を伝って広がっていく。光が触れた箇所からみるみるうちに傷が治っていき、軽い切り傷や小さな火傷は一瞬で傷跡を残すことなく治ってしまった。

 店主はその様子を見て、再び驚いていた。


「こりゃあ驚いた! お客さん、相当な治癒魔法の使い手じゃあありませんか!」

「まあな。ちょっと集中するから、てんちょーは俺の酒でも用意して待っててくれ」


 ナツミはそう返すと、目を瞑って集中し始める。

 すると光がより大きくなり、女の子の傷をどんどん治していく。

 顔、腕、胴体、足。小さな傷は数秒で消えていく。しかし、やはり腕と首元の火傷はなかなか治らない。

 治癒魔法の威力を上げるため、光を首元の火傷に集中させる。この状態でもやはり治りは遅い。


 五分で半分は治ったが、ナツミには汗が滲んでいた。治癒魔法はかなり体力を使うのだ。

 ナツミは集中を切らさないように、視線を火傷一点に合わせる。深呼吸を繰り返して呼吸を乱さないように心がける。


「あぅ……」


 しばらくそうしていると、女の子の意識が鮮明になってきた。まだ身体は動かないようだが、目はしっかりと開いてナツミをとらえている。

 その目は不安を訴えているように見えた。


「大丈夫だ、すぐ治してやるから動くなよ」


 ナツミは勤めて笑顔で返し、また集中する。女の子はしばらくナツミを見つめ続けたが、最終的には目を瞑って動かなくなった。

 店主も気をきかせたのか、いつの間にか店内から姿を消していた。


 じわじわと焼けただれた皮膚が治っていく。その様は、まるで逆再生の映像を見ているようだった。

 そしてまた数分――合計で十分程だろうか――たったころ、火傷が治った。火傷のあった部分の皮膚の色が日焼けのように黒くなっているが、それくらいは許容範囲だ。ナツミは一息ついて汗を拭うと、すぐに手の治療に入る。


 手首から不自然に捻れた右手。ナツミはそれを軽く握り、治癒魔法をかける。青紫色に腫れた手首から腫れが消えていき、ものの二、三分で肌は元の色に戻った。それから徐々に捻れた手が戻っていく。

 萎れた花が再び息を吹き返すかの如く、女の子の右手は正常な位置へと戻った。仕上げに身につけている布の服を直してやった。

 これで終わりだ。ナツミは女の子の手をそっと離すと、大きくため息を吐きながら地面に座り込んだ。

 しかしまだ自分の治癒が残っている。ナツミは床に座り込んだまま、自分の左腕を治療した。こちらの傷はすぐに治ってしまった。


「はぁぁあ! 終わった!」

「お、お客さん終わりましたかい」


 タイミングを見計らったように店主がカウンターの奥から姿を現した。手にはビールの入ったジョッキが握られている。


「これはサービスしときますぜお客さん」

「おおマジか。なら遠慮なく」


 ナツミは立ち上がり、カウンター席に腰を下ろしてからビールを半分まで一気に飲み干した。スカッとした炭酸と独特の味がナツミの口内を満たす。


「カーッ! やっぱてんちょーのビールはうめぇな!」

「当たり前だろ」


 店主はガッシリとした胸を張った。

 ナツミはそれを見て軽く笑ってから、一口ビールを飲んだ。そして後ろを振り返る。

 視線の先には、机から降りて、こちらを見て立ち尽くす女の子がいた。視線があちこち移動していて落ち着いていない。彼女からすれば、知らないところに連れられて、知らない男二人が目の前にいるのだ。不安になったり落ち着かないのは当たり前だ。

 ナツミは席を立ち、女の子の前に移動した。ナツミの胸下程の身長しかない女の子に目線を合わせるため、しゃがみこむ。

 女の子の大きな青色の瞳にナツミが反射する。金色の長い髪がフルフルと震えている。

 ナツミは勤めて笑顔で向き合ったが、それでも女の子は怖いようだ。さすがのナツミもそれには心を痛めた。


「えぇと、君、名前は?」

「……………………」

「お兄さんはナツミって言うんだけど」

「……………………」


 らしくない子供向けの口調を使ってみたが、慣れないことはするもんではないな、とナツミは思った。女の子は口をわなわなと動かし、目を忙しそうにあっちこっちへ動かしている。

 これはおてあげだ。


「てんちょー助けてくれ」

「悪いが私も子供は不慣れでしてね」

「まよなぁ……」


 ナツミは苦笑するしかなかった。

 どうしようかと頭をポリポリ掻くナツミ。女の子は恐怖で動けないという様子だ。

 しかしそこで、ナツミはあることを思いつく。


「右手、痛くない?」

「……………………」


 女の子はさっと右手を身体の後ろに隠した。そして地面とにらめっこを始める。

 これは図星だな、と確信した。


「ほら、出してみろ」

「……………………」

「黙ってたって何もないぞ。何か言ったらどうだ? 別に俺は君に悪いことしようと思ってるわけじゃないら」


 女の子はやはりフルフルと震えるばかりであったが、しばらくナツミの鋭い目に見つめられているうちに、右手をナツミに差し出して口を開いた。


「……リーファ」


 可愛いらしい、子供らしい声だった。


「そうか、リーファって言うんだな。よしリーファ、俺の魔法でも君の手は完全に治せてない。今から処置するからな」

「しょち?」

「怪我を治すことだよ。ほらそこ座って」


 首を傾げる女の子を近くの椅子に座らせる。

 処置といっても、ナツミは医療方面の知識を持っているわけではない。強いて言うなら、高校の保険で習った応急処置を軽く覚えている程度である。

 なので今回は、その知識をフル活用してみる。


「てんちょー、この店包帯とかない?」

「さすがにありませんね」

「じゃあ何か適当な布持ってきてくれ。それと板」

「布と板か。分かった」


 店主は一度カウンターの奥に引っ込み、ボロボロになったテーブルクロスと蒲鉾板くらいの木の板を持ってきた。ナツミはそれを受け取り、魔法を使う。

 錬成魔法だ。素材さえあれば、あらゆるものを作ることができる。今回はテーブルクロスから包帯、板から当て木を作った。


「ほんと、魔法って便利ですなぁ」

「てんちょーも魔法習ってみたら?」

「私は無理ですよ」


 そんな会話をしつつ、ナツミは女の子の手の大きさを見ながら当て木の大きさを調整する。


「さ、手を出して」


 女の子はまだ不安なのか恐る恐る手を差し出した。しかし、ちゃんと話を聞いてくれるあたり恐怖は消えたのだろう。

 まず、木を女の子の手にそって当てる。それを固定するように、包帯をグルグルと巻いていく。少しキツめに巻いたせいか、女の子は痛がる素振りをみせたが、言葉には出さなかった。

 最後に包帯の端を結んで終了である。


「はい、終わった。お疲れさん」

「…………」


 女の子は包帯でグルグル巻にになった自分の手を不思議そうに見てから、ナツミに「あ、ありがとう……ございます……」と言った。その姿は小動物のようでとても可愛いかった。


「あぁ、ロリコンの気持ちが分かる気がする……」


 ナツミは頭を振って煩悩を振り払った。


「さて、無事治療も終わったことだし、事情聴取でもしますか」


 全く後先考えないであの場からリーファを助けたナツミだったが、元を辿ればこの子が盗みを働いたせいであの男達に絡まれることとなったのだ。その辺りはハッキリさせておかなければならない。


「ならリーファ。なんで君は、あの男二人組からお金を盗んだんだい?」

「…………お腹。お腹空いてた」


 リーファは俯きながらもちゃんと答えた。どうやら応じる気はあるようだ。


「お腹空いてたってことは、食べ物が食べれないくらい貧乏ってことか?」

「…………うん」


 リーファの顔に影がさす。さすがに今のはデリカシーにかけていたなと反省する。


「えぇと、とりあえず金は俺が幾らかやるから、今日のところはもう家に帰りな。もう盗みなんてするなよ? 親御さんが悲しむからな」

「……………………」


 ブンブンと首を横にふるリーファ。


「どういうことだ? 今のは何に対しての否定?」

「……お父さんお母さん、いない。家も……ない……」

「お、おぅ……」


 どう反応すればいいかナツミは分からなかった。リーファはどうやら相当切羽詰っていたようだ。まあ、そうでもなければあのヤバそうな男達に盗みを働こうなど思うわけもない。

 親がいない、家もない、金もない、食べ物もない。その先に待つのは餓死だけである。


 ナツミは突然リーファにどう接すればいいか分からなくなってしまった。つい数週間前まで平和な日本に住んでいたナツミからは、リーファの置かれている状況はあまりにも浮世離れした話である。


「えぇと、その……なんか済まない」


 リーファは特に反応を見せずに俯いたままだった。ナツミはそれ以上何か言おうにも言葉が出ず、重たい沈黙が店内を包む。


 しかしその沈黙は、数秒ほどで破られた。

 リーファのお腹がキュルキュルと可愛らしく鳴ったのだ。

 一瞬固まったナツミだったが、次の瞬間には「はは」と声を出して笑っていた。カウンターで黙々とグラスを磨いていた店主も、これには堪らず笑い声をあげた。リーファは恥ずかしそうに顔を赤らめわなわなとしている。その姿は、貧困に苦しんでいる少女とは思えない。年相応の可愛らしさがあった。


 ナツミはそれを見たら、つい先程までの気まずさなんてすぐに忘れてしまった。

 そう、勇者である自分のやる事は、いつだって決まってる。


「なあリーファ」


 ナツミは未だに恥ずかしそうに顔を俯けるリーファの頭に、手をぽんと置いた。


「お前、俺と生活しないか? いやしろ。そうしろ!」

「………………ぁぁ」


 リーファはぽけっとしたまま固まった。ナツミの言った言葉を理解できていないようである。しかし店主はしっかりと聞いていたみたいで


「お客さん、そりゃあこの子を引き取ればこの子は救われるが、大丈夫なんですかい?」

「大丈夫、と言いたいところだけど、ぶっちゃけ財政的に辛い」


 残念ながらナツミの手元には、二人分の生活費はない。しかし、これも仕事を探すいい機会だろう。ナツミはそう思った。


「で、リーファ。返事は? 俺と来る?」


 リーファはまたもわなわなと慌て始めた。「えーと、その、あの」と言葉を詰まらせながら、視線を左へ右へと動かし続ける。

 そんな姿をみたナツミは、こりゃダメだなと思った。


「あの、えぇと……その……ぁぁ……」


 リーファはしばらくそうしていた。ナツミは急かすことなく、リーファの頭を優しく撫でながら返事を待った。

 そして、


「ついて行き、ます。はい」


 リーファはやはり顔を俯けながらボソボソと言った。ナツミはそれを聞くと、二カッと笑ってリーファの頭をガシガシと強く撫でた。リーファはなされるがままに髪を振り回される。


「よし、そうと決まりゃ早速行動だ。まずは飯だな、飯。俺もちょうど腹が減ったところだから」


 ナツミはそう言うと、リーファの手を引いて立ち上がらせた。そしてその手を握ったまま、店の外に出ていく。


「さて、何が食べたい?」


 リーファは手を繋がれた焦りで、それどころではないようだった。この子はいちいち大変だなとナツミは思う。

 しかし、それでも助けてしまう自分は、案外正義の心とかを持っているのかも知れないな。と、ナツミは「はは」と笑った。


「さ、行くかリーファ」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 要らない勇者という設定は面白いとは思います [気になる点] 文章が報告書でも読んでる気分です、続きが気になると言うのも一切ありませんでした チートは分かりましたが使いすぎだとおもいました…
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