違うから同じで、同じだから違って
ちなみに私が今、障碍者と書いているのは、無難な道を歩きたいからです。
突っ込みを入れたくなるような理由だなあ。
いつもは障害者と書いているんです。害をひらがなで書いてもなんだか違和感あるしなぁーという感じで。
けどまあ、障害者と書かれると嫌だという人もいるし、逆に障がい者だとむかつくという人もいるし。昔は障碍者と書いていて、こちらが本家本元だという意見もあるし。
その上“碍”には、害悪の害という含みがないんですってよ、奥様! 妨げるっていうだけの意味なんですって。お得じゃございませんこと?
――妨げるとかに、いい印象があるかどうかは分かりませんけど。
つまり単なる表記の違いで争いに巻き込まれたくないというセコイ考えなので、この書き方にいらいらする人だって、きっといます。
それにはっきり言うと、“障”だっていい意味じゃないです。目障り、差し障り、気に障る、などなど。辞書で調べると“害”や妨げになることってはっきり書いてあるので、意味ねーなと思いつつの付和雷同なんです、私って。
多数派に寄っておけば安全かな? なんていう考えは、らしくないでしょうか。だけど長いあいだ当事者家業やってる奴の中にも、こんなのがいるんです。
「結局、私達その辺は同じなのよねー」
今の“私達”は、障碍のある人もない人も全部ひっくるめて、文字で表現する仲間のことです。こういう話題に興味がないブロガーさんなんかも含みます。
統一見解がないという意味においては、同じなんだ。
だからこその表現の自由、と思ったりするのだけれど、どうなんだろう……と思います。