妙に似ている私達
障碍を持ってない人がたまたま集まった時、
「健常者同士、仲良くしようね!」
なんて、普通は言いませんよね。思いもしないでしょう。
そこに集まったのが、たまたま健康な人ばかりだったから――そんなアホな理由で全員の意見が一致して仲良くできるなら、戦争なんて起こりようがありません。ぶっちゃけ大統領や国王や大臣を、健常者に統一しておけばいいではないですか!
これと全く同じ理由で。
障碍者同士だから全員の意見や感じ方が一致する――そんなアホなこともありません。
一つの不適切表現(××禁止用語でもかまいませんが)が誕生する時、障碍者のあいだでは、しばしば議論の末に大げんかなります。
例えば“障害者”と書くと害の字の印象が悪いので、“障がい者”と書こう! という運動が持ち上がった時もそうでした。
「害という文字があると、何も知らない子供達が、害のある人だとかん違いするかも知れない。だから障がい者と書いてもらいたい」
「言葉狩り反対。言葉を変えても、差別者の意識は変わらない。もっと他にやることがあると思う」
「その意識を変えるためにも、害という強烈な印象を持った文字をなくすべきでは?」
「差別用語を一つつぶして新しい言葉を作ったら、その新しい言葉が新しい差別用語になるだけだ。いたちごっこはうんざりだ!」
「だけど私はその書き方でものすごく傷ついたことがある! 本当につらかった! 実は……(体験を語る)」
「え! そうだったのか」
「私は傷ついたことはないけど、それで傷つく人を減らせるならいいかも」
一同、黙り込み、うな垂れて賛成。
ひどく大ざっぱに書きましたが、流れとしては大体こんな感じ。
これって、ものすごーく何かに似ていませんか。
障碍を持たない人達のあいだで、同じような流れの論争が起こっているのを見たことあるんですが……。