自分の答え
数日後、司は怜から、藤堂会長に会うだけ会ってみようと思う、と打ち明けられた。未だ複雑に迷っているような表情を見せる怜を心配し、司が付き添いを申し出ると、怜はほっとしたように口元を綻ばせた。司が側に居てくれるのであれば心強い、と嬉しそうに礼を言われた司は、怜に頼られる喜びを噛み締めるのだった。
そして次の土曜日、司と怜は迎えに来た角田の車で、藤堂雅樹が入院していると言う病院に向かった。角田に案内され、個室の病室に入ると、直樹と絢子が立ち上がって迎える。絢子は先日同様、既に目を潤ませていた。
「怜さん、お越し頂き、本当にありがとうございます。最上さんも、お忙しい中ご足労頂き恐縮です。」
直樹が丁重に一礼する。
「貴方…。怜さんが来てくれましたよ。」
絢子の手を借りて、ベッドの上の老年の男性が身体を起こした。
「父の雅樹です。」
直樹に紹介された雅樹は、薬の副作用の影響か、顔色が悪く、痩せ衰えていた。それでもしっかりとした顔つきで、背筋をぴんと伸ばしている。
「今日は、来てくださってありがとうございます。そして、今までの事、本当に申し訳ありませんでした…!」
掠れ声を震わせながら深々と頭を下げる雅樹を、怜は無表情で見下ろしていた。直樹や絢子はおろか、司もその表情からは内心を読み取る事が出来ない。
この人が、藤堂雅樹…。
母を疑い、罵り、自分の存在を無かった事にしようとした張本人。父が縁を切るという選択をしていなかったら、自分がこの世に生を受けていなかったであろう状況を作り出した元凶。その姿を一目見た瞬間に怒りに駆られ、たとえ病人であろうとも罵詈雑言を浴びせてしまうのではないかと危惧していたが、実際にそんな人物を目の前にしても、不思議と怜の心は凪いでいた。寧ろ湧き上がってきたのは憐憫の情。頭を垂れたまま肩を震わせ、涙をぽたり、ぽたりと手元に落としていく弱々しい老人の姿が、小さく儚げに見えて、哀れに感じられた。
やがて怜は無言で雅樹の枕元に置かれているサイドテーブルまで移動する。そして、家から持って来た物を鞄から取り出し、皆に見えるように置いてやると、藤堂家の三人は息を呑んだ。
「怜さん、まさかそれは…。」
直樹が震える声で尋ねた。怜が置いた物は二つ。一つは父と母の写真が入った写真立て。そして、もう一つは。
「父の遺骨です。」
「「秀樹!!」」
「兄さん!!」
怜が口にした瞬間、三人は泣き崩れた。涙を流しながら次々に謝罪の言葉を口にする。せめて仲直りしたかった、だの、こんな事になるのなら幸恵さんとの結婚を許せば良かった、だの、幸恵さんに対しても申し訳なかった、だの。今となっては虚しいだけの言葉の数々を聞きながら、怜は三人と過去の自分を重ね合わせていた。継父と母の事を後悔するあまり、自分が嫌いで許せなくなった。それでも自分の場合は、自分を許して良いと言ってくれた司の言葉に救われた。
父と母がもしこの場に居たらどうするのか。その答えなど分からない。先日、司が言っていたように、自分が父と母と同じ体験をした訳ではないからだ。
だから、これは自分の答え。
藤堂の人達の心からの謝罪の言葉を聞く事が出来た。それで良いよね…?
怜は父と母の写真に視線を移す。未だにこの答えが正しいのかどうかは分からないが、少なくともこの光景を見て、心を動かさないような両親ではないと思う。
怜は再び三人を見遣る。雅樹と絢子は慟哭し続けているが、直樹は比較的落ち着いてきた。怜は静かに直樹に歩み寄る。
「写真と遺骨は少しの間お預けします。一週間後、この時間に取りに伺いますので。」
直樹は戸惑った様子を見せ、急いで目元を拭う。
「もう、帰られるのですか?」
直樹の問いかけに、怜はこくりと頷いた。
「私としては謝罪の言葉を聞けただけで十分ですので。父の死を貴方がたが知ったのはつい最近の事なのでしょう?気持ちを整理される時間が必要かと思いまして。」
怜の返答に、直樹は目を見開いた。
「ありがとうございます。ご配慮、感謝致します。」
深く頭を垂れる直樹に倣い、泣きながらも頭を下げる雅樹と絢子を背に、怜と司は病室を出る。病室の前に控えていた角田が付き従い、二人は角田が運転する車で病院を後にした。