青天の霹靂
「怜、お弁当ありがとう。凄く美味しかったよ。」
一日のハードスケジュールをこなし、怜と連れ立って社長秘書室を出た司は、開口一番に礼を言った。挨拶回りでの移動中に食べた怜の手作り弁当は、お世辞抜きで非常に美味しく、怜の真心が感じられて司は心底癒されたのだった。
「お気に召して頂けて良かったです。」
笑顔の司に安堵したように、怜も嬉しそうににこりと笑う。
「本当に美味しかった。怜さえ良ければ、また食べたいな。」
「じゃあ、機会があればまた作りましょうか?」
「本当に!?是非お願いするよ!!」
顔を輝かせる司に、怜は口元を綻ばせた。
喜んでもらえて良かった。…誰かの為にご飯を作るなんて、久し振りだな。
何時以来だろう、と考えてみれば、高校以降は一人暮らしなのだから、自分と母の分を作っていた中学以前にまで遡る。中学からは母とは次第によそよそしくなっていってしまった為、自分の手料理を誰かに美味しいと言ってもらえたのは何年振りになるだろうか。久々に耳にする言葉に少し照れ臭さを感じ、緩んでいく頬を止められないまま、怜は司と一緒に役員専用のエレベーターへと乗り込んだ。
「怜、夕食は何が食べたい?何でも怜が好きな物を言ってくれ。」
スマホを取り出しながら、司が怜に尋ねる。
「私は何でも構いません。司さんのお誕生日なのですから、司さんが召し上がりたい物でお願いします。」
「俺は誕生日に怜と一緒に食事出来るだけで十二分に嬉しいんだ。折角なら怜にも喜んでもらいたいから、何を食べるかは怜に決めて欲しい。」
「では、司さんがお好きな物を食べたいです。」
「いや、だから…。」
不満げな表情の司に、怜はクスリと笑った。
「司さんの食の好みを、もっと知りたいなと思いまして。司さんがよく行かれるお店、お好きな食べ物、好まれる味付け、そういった物を私も共有したいんです。次に司さんの為に料理をする時に、参考にさせて頂きたいので。」
「怜…!!」
感激で司は胸が一杯になった。怜の優しさに触れ、心の底から愛しさが湧き上がる。彼女を抱き締めたいという衝動に駆られた刹那、チーンと無機質な音を立てて開いていく、無遠慮なエレベーターが恨めしく思えた。
「あれっ!?しゃ、社長!お疲れ様ですっ!」
「えっ社長!?本当だ!お疲れ様です!」
「キャー!!こんな時間にお会い出来るなんてラッキー!!」
「今日はもうお帰りなんですか!?珍しいですね!!」
一階のロビーに足を進めると、その場に屯していた社員達が驚いたように振り向き、女性社員は色めき立った。終業後からは少し時間が経っているものの、まだ早いと言える時間帯に自分達が退社するのが珍しいのだろう。挨拶を交わしながら、あちらは新入社員の歓迎会の待ち合わせでもしているのだろうか、と見当を付けた時、怜は視線を感じてその方向に目を遣った。本社ビルの入り口の外に立っている、黒いスーツ姿の背の高い男性がじっとこちらを窺っているようだ。顔に見覚えの無い怜は小首を傾げた。社員の誰かを待っているのだろうか。
「失礼。雪原怜さん、ですね?」
司と外に出た途端、その男性に話しかけられた怜は戸惑った。知らない男性が、何故自分の名前を知っているのか。ここ最近、ふとした時に視線を感じるような気がしていた怜は、気のせいではなかったのかも、と知らず鞄を持つ手に力が入った。
「失礼ですが、貴方は?」
「私はこういう者です。」
男性が差し出した名刺を受け取り、怜は素早く目を走らせる。
藤堂コンツェルン、会長秘書、角田義成…。やっぱり記憶に無いわね。藤堂コンツェルンって言えば、不動産業を中心とする大企業だけど、最上グループとの取り引きは無いし、そもそも会社関係であれば、社長である司さんの方に声をかける筈…待って、藤堂って、まさか…!?
ある可能性に気付いた怜は愕然として目を見開いた。顔から血の気が引いていく気がする。
「藤堂コンツェルンの方が、私に何か御用でしょうか?」
平静を装って、怜は男性を窺う。どうか違っていて欲しい、と願いながら、男性が口を開くのを待った。
「おや、ご両親からは何も聞かれていないのですか?貴女のお父様方のお祖父様に当たる、藤堂コンツェルン会長、藤堂雅樹が貴女にお会いしたいと申しており、私がお迎えに…。」
ビッ!!
男性の言葉が終わらぬうちに、怜は条件反射の如く手にしたばかりの名刺を真っ二つに引き裂いた。




