父の電話
司に電話がかかってきたのは、その日の夜の事だった。実家からだと分かった時点で嫌な予感しかしなかったが、だからと言って放っておくと後でもっと面倒な事になると分かっているので、渋々ながらも電話に出る。
『司!貴方好きな人がいるって本当なの!?』
即座に耳元で響き渡った、驚きを隠そうともしない母の大声に顔を顰めつつ、司は片手で頭を抑えた。情報源はおそらく咲だろう。いや咲しかいない。
「咲がそこにいるなら今すぐ代わってくれないか。」
『ちょっと司、質問に答えなさいよ。』
「咲に代わってくれたら、後でいくらでも答えるよ。」
電話の向こうから不満げな母の様子がありありと伝わってきたが、取り敢えず電話は代わってくれるようだった。
『もしもし、お兄ちゃん?』
「咲。何で母さんに怜の事を言ったんだ。」
司は苛立ちを抑えながら、努めて冷静に咲に尋ねる。
『仕方ないじゃない。今日作ったパンをお裾分けしようと思って持って来たら、お父さんもお母さんもお兄ちゃんの事心配していて、期限が来たらすぐお見合い出来るように準備しておこうかって話していたみたいだったんだもん。折角お兄ちゃんに好きな人が出来たんだから、もう少しだけ待ってあげて欲しかったし、あまり二人に心配させるのも良くないって思ったから、怜さんの事言っちゃったの。』
咲の説明に、司は溜息を吐き出した。
「そう言う事なら仕方ないかも知れないが…。俺はまだ彼女に振り向いてももらっていないんだぞ。それなのに母さんが知ったら会わせろだの、何時結婚するのかだの煩く言ってくるに決まっている。現に今もお前から話を聞いて、即行で電話をかけてきたみたいだからな。でも怜からしてみたら、告白されただけでまだ付き合ってもいない男の母親に会うなんて、プレッシャー以外の何者でもないだろうから、会わせる訳には行かない。だから、少なくとも一ヶ月後の期限までは、母さんが何と言おうが、我慢してもらえるよう協力してくれないか。」
『うん。あーくんも今お母さんに、まだもう少しだけそっとしておいてあげてもらえるように頼んでくれている所…だけど…。』
咲の語尾が小さくなっていき、司は眉間に皺を寄せる。
「どうかしたのか?咲。」
『…ごめん、お兄ちゃん。無理かも知れない。』
困惑気味の咲の声に、司の背筋に悪寒が走った。
『お父さんが今、怜さんに電話しちゃっているみたい…。来週末に皆で家でバーベキューするから来ないかって誘っているみたいなの。』
「なっ…!?」
司は絶句した。いつも先走るのは母なので、母さえ抑えておけば大丈夫だろうと踏んでいたが、まさか父が動くとは予想だにしなかったのだ。
『あ、怜さんから了承取れたっぽい…。』
呆然とした咲の声に、司はがっくりと項垂れた。
「…そりゃ取れるだろうな。社長直々の誘いを断る会社員など、そうそういないだろう。まして怜は元社長第二秘書だし、義理堅い性格だからな…。」
司は頭を抱えた。数時間前、冗談のつもりで口にした事が、まさか即座に現実になろうとは。今頃怜はどう思っているのだろうか。その事が心配でならない。
『お兄ちゃん、お父さんがバーベキュー日曜日にするから司も来いって伝えてくれって、上機嫌で言っているよ。』
呆れたような咲の声色に、司も溜息をついた。
「そうせざるを得ないだろう。怜一人だけ参加させる訳には行かないからな。」
『そうだね。まあ、こうなったら仕方がないから、皆でバーベキュー楽しもうよ!』
咲は楽観的に言うが、司は気が重くて仕方がなかった。
「取り敢えず父さんと母さんには、怜に余計な事を言って変なプレッシャーを与えないように念押ししておいてくれないか。俺は今から怜に電話して事情を説明しておくから。」
『うん、分かった。じゃあね。…あっ。』
電話を切り、怜の番号を呼び出そうとスマホを操作していると、再び電話がかかってきた。
『ちょっと司!後でいくらでも答えるって言ったじゃない!』
耳元で響いた母の怒声に、司は青ざめた。
しまった。忘れていた…。
「母さん、急用が出来たから、切っても良いかな。」
勿論そんな事が許される筈もなく、司は小言を含めて長時間、母の長電話に付き合わされた。