パン作り
週末、司と怜は西条家を訪れていた。
「すみません、咲さん。図々しいお願いをしてしまって。」
「ううん、寧ろ嬉しかったよ!!怜さんの方からパンの作り方教えて欲しいって言ってもらえて!」
満面の笑顔を見せる咲に、恐縮した様子だった怜はほっとした表情を浮かべた。
先週末の箱根からの帰り道で、咲、明、司のお勧めの場所を巡ったので、次は怜の行きたい所やしたい事はないかという話になった。相変わらずそういった事が浮かんでこない自分に失望しつつ、怜は考えておくと伝え、そして週の半ば頃に、以前咲がパンを一緒に作ろうと言っていた事を思い出し、厚かましいかと気後れしながらも、もし良かったら教わりたいと連絡していたのだった。
「怜ちゃんから連絡もらってから、咲はずっと楽しみにしていたんだ。だから気にしないで。」
エプロンを着けながら、明も楽しそうに笑う。
「はい。ありがとうございます。」
胸が温かくなるのを感じながら、怜も頬を緩めた。髪をいつものように無造作に束ねてエプロンを手に取る。
「…ねえ怜さん、ちょっと髪の毛、いじってもいい?」
「はい。構いませんが。」
何かを思い付いたのか、悪戯っぽく笑う咲に、怜は首を傾げながらも了承する。
「わあ、怜さんの髪サラツヤだね。触り心地最高~!」
咲は楽しそうに怜の髪を、自分と同じポニーテールに結い上げた。お揃いだと微笑む咲に、鏡を覗き込む怜も満更でもない様子だ。何時になく新鮮で可愛く見える怜に、司も相好を崩す。
いよいよパン作りを開始する。怜と司は咲に教わりながら、まずは小麦粉、砂糖等の材料を正確に量る。そして材料を混ぜ、水を少しずつ加えながら捏ねていく。明は時々咲に手伝わされているらしく、慣れた手付きで生地をひねったり揉み込んだりしながら捏ねていた。
「でもまさか、お前まで作ると言い出すとはな。普段料理もしないくせに。」
明が呆れたように司を見遣る。
「何だ、俺だけ仲間外れにする気だったのか?」
べたつく生地に四苦八苦しながら、司が明を軽く睨んだ。
「いいや。恋の力は偉大だなと思っただけだ。」
司をからかう明の言葉に、怜はドキリとする。先週から司が絡むと事ある毎にこうなってしまう。精神衛生上非常に宜しくないと、怜は小さく息を吐いた。
「良い傾向じゃない。これを機にお兄ちゃんもちょっとは自炊すれば良いのよ。怜さんも将来結婚するなら、料理が出来る旦那さんの方が良いよね?」
「わ、私は別に…。」
咲に急に話を振られ、怜の顔が一気に赤くなる。
「…ですが、司さんの場合、生活習慣が危ぶまれますので、自炊された方が栄養管理面において望ましい、とは思います。」
如何にも秘書らしい口調での怜の意見に、司は言葉も出なかった。
…自炊、始めようかな…。
司は怜をちらりと見遣る。やはり咲の言う通り、怜も料理が出来る男性の方が良いのだろうか。人間不信で結婚に興味がなくても、好みの男性のタイプくらいはあるのだろうかと思いを巡らす。
そう言えば、と司はふと二ヶ月前の事を思い出した。怜がプロポーズの返事を一旦保留にし、どうしても相手が見付からなかった場合のみ、条件次第で善処する、と言っていた事を。
どんな条件なのか、一度怜に訊いてみないといけないな…。
そんな事を考えながら手を動かしていると、べたついていた生地は次第に手に付かずにまとまるようになってきた。バターを入れて更に捏ねる。
「咲、そろそろ良いんじゃないか?」
「んー?じゃあ生地の一部を摘んで引っ張ってみて。」
司が言われた通りにしてみると、生地は途中でプツリと千切れた。
「まだね。捏ね不足だとあまり発酵しなくて、硬いパンになっちゃうわよ。」
咲曰く、薄くゴムのように生地が伸びれば捏ね上がりらしい。もう少し捏ね続けて咲のお墨付きを得た生地は、ボールに入れてラップを被せて発酵させる。
「さて、待ち時間も出来た事だし、怜ちゃんにリベンジさせてもらおうかな。」
にっこりと笑いながらトランプを持ち出して来た明に全員が吹き出しながらも、生地が十分に発酵するまで、四人でババ抜きを楽しんだ。