変化
帰宅した怜は、荷物整理もそこそこに、ベッドの上に身を投げ出した。頭の中では先程の出来事がずっとぐるぐると回っていて、とてもじゃないが何も手に付きそうにない。司の温かくて大きな手だとか、抱き締められた時の広い胸や逞しい腕の感触だとか、至近距離で見た熱が込められた瞳だとかが、思い出すまいとしても次々に脳裏を過ぎってしまい、その度に怜は赤くなる顔を両手で覆ってベッドの上を転がった。
本当に司さんは、私の事、好き、なのかな…。
未だに半信半疑ではあるものの、口にしてしまった以上はちゃんと信じなくては失礼だろう、と怜は自分に言い聞かせる。今一自分に自信が持てないが、それでも、と司の言葉を思い出す。内面の魅力に惹かれた、と言ってくれていた。司だけでなく、咲も明もそうだと。自分が一番自信がなかった所が肯定され、怜は心が温かくなる。
暫くして漸く少し落ち着いた怜は起き上がり、身支度を済ませてベッドに入った。だが危惧していた通り、司の事が思い出されて満足に眠る事は出来なかった。
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翌朝、寝不足を訴える頭を叱咤しながら怜は普段通りに起床した。スーツを着て髪を束ね、伊達眼鏡をかけると漸く頭が回り始める。ネックレスを手に取った怜は、それが司からプレゼントされた物である事から、連鎖的に昨日の出来事を思い出して思わず赤面してしまった。この調子では仕事に影響が出てしまうのではないかと心配しながら出社し、仕事の準備を開始していると、カチャリ、と副社長秘書室の扉が開く音にドキリと心臓が跳ねる。
「おはようございます、副社長。昨日はどうもありがとうございました。」
「おはよう、雪原君。こちらこそ昨日はありがとう。楽しんでもらえたかな?」
「はい、お蔭様で。本当にありがとうございました。運転お疲れ様でした。」
やはり動揺はしてしまったものの、普通に受け答え出来た事に怜は一安心する。そっと司の顔色を窺うと、少し眠そうな目をしていた。昨日のお礼の意味も含めてコーヒーにバウムクーヘンを添える事にする。
「失礼します。」
副社長室に持って行くと、司は苦笑いを浮かべた。
「雪原君には敵わないな。ありがとう。」
笑顔で司に礼を言われ、怜の心臓が再び跳ねる。
困ったな…。取り敢えずは仕事に支障はなさそうだけど、心臓に悪い…。
自身の変化に戸惑いながらも怜は副社長室を後にする。その後ろ姿を見ながら、司は小さく溜息をついた。昨夜はあまり良く眠れていない。抱き締めた怜の細くて柔らかい身体の感触、初めて見た真っ赤になって慌てる可愛らしい顔、信じると言ってくれた時の高揚感が頭から離れなかった。それと同時に少しばかりの後悔の念に駆られる。
あの言葉は怜に無理矢理言わせたようなものだからな…。
司は自嘲気味に笑った。怜に恋焦がれる気持ちはどんどん強くなる一方だ。彼女を無理にでも振り向かせたいのは山々だが、以前恋愛に興味がない理由を強引に問い質し、嫌な過去を思い出させてしまった苦い記憶が蘇る。あんな全ての感情を抹殺したような、生気のない表情をした怜はもう見たくない。彼女を二度と傷付けたくないし、傷付いて欲しくない。そう思っていたのに、昨日は自分の気持ちが怜に伝わっていなかったと知って感情を抑え切れなくなり、彼女の気持ちを待たずに多少強引とも言える手法を用いて、追い詰めるようにして首を縦に振らせてしまったと反省する。
この先は怜が振り向いてくれるまでちゃんと待とう。期限なんて最早関係ない。俺はもう彼女じゃないと駄目なんだから。
少しずつでも良い。彼女との距離を詰めて、何時か想いを通じ合わせたい。そう願いながら、司は怜が用意してくれたコーヒーに口をつけた。




