ぬいぐるみ
「怜さん、抹茶とストロベリーチーズ美味しい?」
「はい。咲さんもどうぞ。」
咲は歩きながら、ダブルのアイスクリームを怜から受け取って口に運ぶ。
「うん!こっちも美味しい!」
仲良く分けながら食べ歩く咲と怜の後ろで、司と明は頬を緩ませる。
「怜ちゃんの機嫌を直すには、アイスクリームに限るな。」
「ああ。彼女のアイス好きは、筋金入りみたいだからな。」
アイスクリームショップで二人が口喧嘩している間に、怜も咲もアイスクリームを食べ終わってしまっていた。司に文句を言う明に、怜は新しく買い直して明が食べ、もし残れば自分が食べると申し出た。だが、司に即刻却下されたうえに明にまだ食べるのかと失笑され、むくれた彼女にお詫びとしてダブルのアイスクリームを奢って今に至る。
「あ、怜さん、あそこ行ってみようか!今なら空いているみたい!」
午後は比較的空いているアトラクションを見付けて乗ったり、パレードやショップを見て回ったり、キャラクターと写真を撮ったりして過ごした。レストランで夕食をとり、音楽に合わせた花火を楽しんだ後、混雑を避ける為閉演時間前にリズニーランドを後にする。
「怜さん、今日は楽しかった?」
後部座席の咲と怜の会話に、運転席の司は聞き耳を立てる。
「はい。色々な事を初体験できて良かったです。」
どこか明るさのある怜の声色に、三人は相好を崩した。
「良かった!来週もまた一緒に遊ぼう!何処か行きたい所はある?」
咲の質問に、怜は少し考える。
「…いえ。咲さんのお勧めの場所はありますか?」
「そうだなー。私の一番のお勧めは今日行ったし。他にも行きたい所は色々あるけど、何処が良いかな?」
「だったら、来週は俺のお勧めにするって言うのはどう?」
助手席の明が振り返って提案する。
「今日は咲のお勧めだろ?怜ちゃんの行きたい場所が特にないなら、来週は俺のお勧め。で、再来週は司でどうだ?」
「あ、それいいね!」
明の案に、咲も目を輝かせる。
「俺も賛成だ。でも、もし怜に行きたい場所が出来たら、その時はそこを優先するよ。」
「分かりました。私も異存はありません。」
司も怜も賛同し、明は白い歯を見せて笑った。
「おし!決まりだな。じゃあ怜ちゃん、来週楽しみにしておいて。」
「ねえあーくん、何処にするの!?」
「それは秘密。」
「えー!教えてくれたって良いじゃない!」
楽しそうにじゃれ合う明と咲の会話を聞きながら、怜は自分の膝に視線を移した。膝の上には黄色い熊のぬいぐるみが置かれている。夕方、ショップの一つを出た所で、司からプレゼントされた物だ。
ぬいぐるみって…。私もう二十七だし、子供じゃないんだけどな…。
咲の買い物に付き合って店内を見て回っている間、手触りが良いなとずっと頭を撫でていたら、気に入ったと勘違いされてしまったらしい。断ろうとしたものの、遠慮していると判断した司の有無を言わさぬ笑顔に屈服して受け取らざるを得ず、少々扱いに困っているのが現状だ。
勿論、そんな事はおくびにも出してはいないが。
やがて車は明と咲のマンションの前に到着した。
「司、運転ありがとうな。今日はお疲れ。」
「お疲れ。こっちこそ、色々助かったよ。」
「じゃあね怜さん、また来週!」
「はい。今日はどうもありがとうございました。」
妹夫婦と別れ、司は怜を朝迎えに行った時と同様、家の最寄り駅まで送る。
「怜、本当に駅で良いのか?もう暗いんだから家まで送るぞ?」
「いえ、道が少し細くて入り組んでいるので、車なら駅の方が良いと思います。それに、駅からは近いので問題ありません。」
はっきりした怜の物言いに、司は小さく息を吐いた。
「…分かった。その代わり、家に帰ったら連絡してくれ。心配だから。」
「分かりました。」
怜を家まで送り届けられない事にもどかしさを感じながらも、司は安全かつ迅速に車を運転する。明日は平日だし、今日一日慣れない行動をした怜は、いつも通り表情に出してこそいないが、それなりに疲れている筈だ。もっと一緒に居たいのはやまやまだが、今は少しでも早く帰宅させて休んでもらいたかった。
「怜、もうすぐ着くから。」
「はい。ありがとうございます。」
怜は髪を手早く束ね、伊達眼鏡をかけた。朝会った時も、車に乗ってから眼鏡を外して髪をほどいていたので、その姿が彼女なりの用心だという事は司も見当が付いている。
車を駅前に止めた司は、後部座席を振り返った。
「着いたよ。本当に気を付けて帰るんだぞ。それと、今日は疲れただろうから、ゆっくり休むように。」
「はい。司さん、今日は本当にどうもありがとうございました。」
車を降りた怜は、もう一度司に一礼し、周囲に気を付けながら夜道を歩いて帰宅する。就職が決まってから必死で見付けた家賃の安いアパートは、お世辞にも防犯が良いとは言えず、女性の一人暮らしには向かない事くらい怜も良く分かっていた。道が細くて入り組んでいるのは本当だが、それ以上に高級車でアパートまで送ってもらって、降りる所を誰かに目撃されればそちらの方が面倒な事になりかねないし、こんな所に住んでいると知られたくもない、と言うのが彼女の本音だ。
アパートが見えてくると、怜は徐々に現実感を取り戻していった。先程までの明るく賑やかな世界は、やはり自分には場違いだと思う。アパートがいつもよりやけに冷たく暗い建物に感じられるのは気のせいだ、と自分に言い聞かせながら、軋む廊下を静かに歩き、玄関の鍵を開けた。荷物を置き、司に帰宅報告とお礼のメールを送った怜は、ぬいぐるみの置き場所に当惑し、取り敢えずベッドの上の目覚まし時計と並べて置いておく。
風呂を済ませてベッドに入ったが、体は疲れている筈なのになかなか寝付けそうにない。思い出すのは今日一日の出来事、自分には無縁だと思っていた、煌びやかに輝く宝箱の中のような夢の世界。嬉しそうに笑う司、楽しげに自分の手を引く咲、肩を震わせて笑う明。
何度も寝返りを打った怜は、溜息をついて目を開けた。暗闇の部屋には慣れている筈なのに、何故か不安感に襲われる。明日は仕事だと言うのに、ベッドに入ってからそれなりの時間が経ってしまっている筈だ。目覚まし時計を確認しようと体を起こした怜は、見慣れない熊のぬいぐるみに思わず目を見張る。
そう言えば、子供の頃からぬいぐるみにも縁がなかったな…。
貧しい母子家庭だった為、その日の食事にも苦労する有り様で、余計な物を買おうという気すら起こらなかった。怜はぬいぐるみを少しの間見つめ、おもむろに布団の中に入れて抱え込む。プレゼントだと言って渡してくれた司を思い出すと、少し胸が温かくなった。
もう子供じゃないんだけどな…。
そんな事を思いながらも、漸く一日の疲れが出たのか、怜は徐々に睡魔に襲われ、眠りに落ちていった。