理由
今回少し長めです。
その場を中断させたのは咲だった。雪原の顔色があまりにも悪い事を心配した彼女は、リラックス効果のあるハーブティーを入れ、雪原が落ち着くまで待つように厳命した。
明と咲が食器を片付ける中、司は雪原に声をかける。
「雪原君、すまない。君を傷付けたい訳じゃないんだ。君が本当に話したくないんだったら、無理に話さなくて構わないから。」
「…いえ、大丈夫です。先程は少し、嫌な事を思い出しただけですから。」
雪原の視線は先程からずっと手元のティーカップに落とされたままだ。顔色は大分良くなったが、表情には相変わらず生気がない。司は心底後悔した。いくら理由を知りたいとは言え、彼女にこんな表情をさせたかった訳じゃない。
やがて片付けを終えたらしい明と咲が戻って来た。二人共お盆を手にしている。
「怜さん、大丈夫?デザート用意したんだけど、食べられるかな?」
雪原の隣にしゃがんで顔を覗き込んだ咲は、アイスクリームを入れた器が四つ並べられたお盆を差し出した。雪原の目に光が戻る。
「…はい。ありがとうございます。」
器の一つを手に取る雪原に、三人は胸を撫で下ろした。
「良かった。あーくんから怜さんの好物はアイスクリームだって聞いたの。本当は何か作ろうかと思っていたんだけど、こっちにして正解だったわ。」
咲はコーヒーカップを置いていく明を振り返り、二人は顔を綻ばせた。
「お気遣い頂き、ありがとうございます。」
雪原はゆっくりと味わうように、アイスクリームを口に運ぶ。その様子を見守る司は、雪原への罪悪感から物を食べる気になれなかった。
「雪原君、良かったらこれも食べてくれないか。」
雪原が食べ終えたのを見計らって、司は手付かずの器を差し出した。
「…副社長は召し上がらないのですか?」
「ああ。今はちょっと食べる気になれなくてね。このままだと溶けてしまうだけだから勿体無いし、君なら食べられるだろ?」
「はい。ありがとうございます。」
二つ目の器も空にした雪原は、再びティーカップを手にしてハーブティーを一口飲んだ。
「…先程、副社長は私が恋愛に興味がない理由を知りたいと仰いましたが、恋愛に興味がない、と言うのは少々語弊があります。」
手元のティーカップに視線を落とした雪原がぽつぽつと話し始め、三人は雪原を注視する。
「正確には、私は恋愛に限らず、全ての人間関係に興味がありません。」
雪原の発言に、三人は絶句した。雪原は抑揚のない声で続ける。
「…母が私を妊娠した時、両親共にまだ未成年でした。父の家族は施設育ちの母との結婚を猛反対し、中絶を勧められた父は家族との縁を切ったそうです。父は私が生まれる直前に職場の火事に巻き込まれた為、父の顔は写真でしか知りません。母は昼夜を問わず働きましたが、生活は貧しく、私は穴が開いた服を着て学校に行っている様な状態で、よく馬鹿にされていました。当然友人が出来る訳もなく、一人で家にいる事が多かった私は、自然と家事を身につけて節約に励むようになりました。」
雪原はそこで言葉を切った。表情が次第に曇っていく。
「…中学の時に、色々あって…。」
司は咄嗟に雪原の手首を掴んだ。
「言いたくなかったら、言わなくて良いから。」
雪原は驚いたように司を見遣ると、こくりと頷いてハーブティーを一口飲んだ。
「…色々あって、人間不信になり…。母の結婚で転校してからは、私は伊達眼鏡をかけて地味な格好をし、極力人を避けてきました。高校入学の直前に継父の転勤が決まり、私は母に付いて行かせて一人暮らしをする事を選び、勉強とアルバイトに明け暮れました。二人は三年後に帰って来る予定でしたが、私が高三の時に事故に遭い…。…気付けば、継父の親族に家を追い出される事になっていました。期限を三月まで延期してもらって何とか寮付きの大学に合格し、奨学金とアルバイトで生活費を賄いながら大学を卒業して、今に至ります。」
語り終えた雪原は、僅かに残っていたハーブティーを飲み干した。
「…副社長、これでご納得頂けましたか?」
「…ああ。すまない。無理矢理話させてしまって…。」
司はそう言うのがやっとだった。人間不信に陥った彼女に、思い出したくもないであろう過去を語らせてしまい、どれ程の苦痛を与えてしまった事だろうか。司は拳を握り締めた。
重苦しい空気が漂う中、沈黙を破ったのは雪原だった。
「…咲さん、一つお尋ねしても宜しいでしょうか?」
「え…私?」
戸惑う咲に、雪原は頷く。
「私は伊達眼鏡をかけて地味な格好をする事で、仕事以外では極力人を寄せ付けないようにしてきました。実際それは成功していて、私は人の印象に残ってすらいない事も少なくありません。ですが、咲さんは三年前に一度会っただけの、それも挨拶を交わしただけの私の事を良くご存知でした。それはどうしてですか?」
雪原の問い掛けに、咲は口元を緩めた。
「私は凄く印象に残ったよ?勿体無いと思ったから。」
「勿体無い…?」
「そう。美人でスタイルも良い人なのに、それを全部隠してしまっているから勿体無いなあって気になって。次の日にお父さんに怜さんがどんな人なのか訊いてみたら、上機嫌で怜さんが如何に優秀か語り出すんだもん。お父さんが手放しで人を褒めるなんて滅多にない事だから吃驚しちゃった。それから正月に帰省した時に、お父さんが優秀な第二秘書をお兄ちゃんに取られたって嘆いてて。お兄ちゃんは女嫌いなのに、怜さんはすっかり定着したからまた驚いて。そんな訳で、会った事は一回しかなかったけれど、怜さんの事は良く覚えていたの。」
咲はそう言うと、席を立ち、雪原の隣にしゃがみ込んで雪原の手を握った。
「ねえ怜さん。私、怜さんと友達になりたいんだけど、駄目かな?」
咲の申し出に、雪原は目を丸くした。
「怜さんは人間不信だから嫌かも知れないけど、私は怜さんといると楽しいし、もっと色んな話をしたいし、もっと一緒に居たい。そうだ、今度一緒にパン作ろうよ!一人で作るより、一緒に作った方がきっともっと楽しいよ!」
屈託のない笑顔を見せる咲に、雪原は戸惑う。
「俺も怜ちゃんと友達になりたいな。怜ちゃんが嫌なら友達っていう認識じゃなくても良いけど、何かあった時に話が出来る人っていうのは、居ても困らないんじゃないかな?」
明も雪原に笑いかける。
「俺も、雪原君ともっと親しくなりたい。」
司は出遅れを感じながらも、戸惑う雪原の目を見つめる。
「今まで大変な思いをしてきた君には、これからは幸せになって欲しい。心からそう願っている。許してもらえるなら俺が君を幸せにしたいけど、まずは君が幸せになる手伝いだけでもさせてくれないか?」
三人の言葉に、雪原は狼狽するばかりだ。
「ねえ怜さん、お試し期間を作るっていうのはどう!?」
咲の提案に、三人は目を丸くして咲を見た。
「そうだな、期限はお兄ちゃんの誕生日までの二ヶ月間。私達と一緒に遊んだり、ご飯食べながら話したりして、楽しい思い出いっぱい作ろう!それで二ヶ月経った時に、怜さんがどうしたいのか、改めて訊いても良いかな?」
咲はじっと雪原を見つめる。戸惑った様子の雪原は、やがて小さく息を吐いた。
「分かりました。」
「やったあ!じゃあ早速だけど、次の日曜日に皆でリズニーランド行こうよ!怜さんは行った事ある!?」
「いえ、ありません。」
「そうなんだ。私とあーくんは何回か行った事あるから案内するよ!きっと楽しんでもらえると思う!」
嬉しそうにはしゃぐ咲を、司は横目で軽く睨む。
相変わらず一人で勝手に決めているが、一応人の予定は訊くべきだろうが。…どうせ俺は空いているけど。雪原君と一緒に行けるなら、たとえ予定が埋まっていてもこじ開けるけど。




