送り道
「よーし!じゃあ二次会行こうぜ!」
「おー!!」
菊池の店を後にし、雑居ビルを出た所で、声高らかに叫ぶ明に皆が同調した。
「明さん、私はこれで失礼します。」
雪原が丁寧に頭を下げる。
「えー。怜ちゃんも行こうよ!」
「そうだよ!俺まだ雪原さんと話し足りないし。」
そうそう、と男性陣が揃って雪原を引き止める。
「いえ、お気持ちは有り難いのですが、本日は失礼致します。後は皆様で旧交を温めてください。」
きっぱりと断る雪原に、明は仕方ない、と苦笑した。
「じゃあせめて駅まで送って行くよ。」
「いえ、結構です。一人で大丈夫ですので。」
「駄目だよ。女の子をこんな遅い時間に一人で歩かせる訳には行かないだろ。」
「いえ、本当に大丈夫ですのでお気遣いなく。皆様、本日はどうもありがとうございました。」
雪原は深く一礼すると、素早く身を翻す。
「あ!待って怜ちゃん!」
明は慌てた。女性には紳士的に振る舞うのが明のモットーだ。夜道を一人で帰らせるなど以ての外。自分が連れて来た女性なら尚更である。
「明、お前幹事だろ。雪原君は俺が送るから、皆を連れて行ってくれ。」
後を追おうとする明を制止し、司が雪原を追い掛けた。
「雪原君!一人じゃ危ないだろ。」
雪原は追って来た司に目を丸くして立ち止まる。
「副社長、皆様の所にお戻りください。今日何方の為に明さんが同窓会を開いてくださったとお思いですか。」
「分かっているよ。俺の婚活の為だろ。でもだからってこのまま君を一人で帰す訳には行かない。」
「普段からもっと遅い時間に一人で帰っているので問題ありません。」
そう言われると立つ瀬がない。仕事で仕方ないとはいえ、遅く帰してしまっているのは自分だ。
「それは…すまないと思っている。せめて今日くらいは送らせてくれないか。その…俺を助けると思って。」
司の言葉に、雪原は怪訝そうな顔をした。
「どういう事ですか?」
「あのまま二次会に行っていたら、どうせまた大谷に始終付き纏われるのがオチだ。それくらいなら君を送って、ある程度時間を潰してから戻った方が、まだ席を選ぶ事が出来る。さっきの大谷のようにね。」
司の言葉に、雪原は得心がいったようだった。
「分かりました。では駅までお願いします。」
最寄り駅までの道を、二人は連れ立って歩く。荷物を持つ、と言う申し出は今度は固辞されてしまった。
「それにしても、君があんなにアイスクリームが好きだとは知らなかったな。食べるのは良いが、お腹を壊さないように。」
司は先程の光景を思い出して口元を緩ませた。菊池に遠慮せず、と勧められた事もあってか、雪原は全五種類あった単品のアイスクリームを全て制覇している。
「ご心配には及びません。最高で十一個食べた事がありますが、お腹を壊した事はありませんから。」
「十一個!?」
司は驚いて雪原を見た。流石にそれは食べ過ぎではないだろうか。
「社長第二秘書になりたての頃、社長のインドネシア出張に同行した際に、ホテルの朝食バイキングで。全八種類のアイスがあり、少量ずつですが全種類制覇しました。その後特に美味しかった三種類をお代わりしたら、社長に爆笑されて神崎さんに呆れられました。」
あの父が爆笑。そして神崎が呆れる。司は開いた口が塞がらなかった。
厳格な性格の父は笑う事すら珍しい。最後に笑ったのを見たのは何時だったか。その父が爆笑。
そして神崎。社長第一秘書を勤める彼は常に冷静沈着で、柔和な笑顔を絶やさず大抵の事には動じない。その彼が呆れる所など司は想像が出来なかった。
だがアイスクリーム十一個はそれを上回る破壊力が有り過ぎた。
「ブッ…アハハハハ!!」
司は思わず吹き出した。声を上げて笑ったのは久し振りのような気がする。暫くの間、思う存分笑わせてもらった。
「そんなに笑う事でしょうか?」
漸く司が落ち着いた頃、雪原が不満げな顔で尋ねる。
「いくら好きでも、流石にアイスを十一個も一気に食べられる人はそうそういないんじゃないか?」
「そうでしょうか。確かに私も食べ過ぎかなとは思いましたが、それ程笑われるとは心外です。」
雪原が口を尖らせる。可愛い、と司は思った。
今日は色々な表情の彼女が見れたな、と司は思い返す。目を丸くしたり、焦ったり。心底嬉しそうな笑顔に拗ねた顔。基本無表情である事に変わりはないが、普段は眼鏡と前髪で隠されてしまっているその奥で、いつもこんな風に色々な表情を見せていたのだろうか。
そこで司ははたと気付く。
「そう言えば雪原君、今更だけど、眼鏡をかけていなくてもちゃんと見えているのか?」
地下鉄の階段を下りながら司は尋ねた。
「はい。眼鏡に度は入っていませんから。」
司はその言葉の意味がすぐには理解出来なかった。
「えっと…つまり、あれは伊達眼鏡なのか?何の為に?」
「その方が面倒事に巻き込まれなくて済みますので。」
にべも無く言った雪原は、階段を下り切った所で司に向き直った。改札口は目の前だ。
「副社長、送ってくださってどうもありがとうございました。二次会楽しんで来てください。では失礼致します。」
言葉の意味を問う間もなく、雪原は改札を通って行ってしまった。




