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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

アフターグロウ

作者: 水島

 友人が失踪したと聞いてまず思ったのは、死だった。彼女は彼女自身の理想を捨てきれず、それに従ってしまったのだろうと。

 彼女は人気者だった。そのくせ一人でいたがるような子だった。私はそんな彼女が大好きだった。私には友達がたくさんいたけれど、どれも上辺だけのような気がしていた。彼女だけが、私の世界で輝いていた。つまり、「彼女の失踪」は世界の終わりとイコールである。そう考えた時期は確実にあったのだ。

 彼女との出会いは高校一年生の時。たまたま同じクラスで、彼女は自己紹介で静かに立ち上がった。あまり頭のいい高校とは言えなかったし、中学からの知り合い同士もそれなりにいる中、引っ越してきたばかりだという彼女は緊張するでもなく、淡々と名前だけを述べ、座ってしまった。不思議な空気をまとった子だった。どことなく孤独を感じさせる、寂しい空気。けれど、それが正しいのだと思わせる、芯の強さもある。

 人と連みたがる子ではなかったが、お昼に誘うと大体断らなかった。べたべたした付き合いが嫌いなだけなんだろうなと思った。そんな彼女にとって私は、都合のいい存在なのかもしれなかった。

 何度かのお昼が何度も重なって、私たちは毎日一緒にお昼を過ごすようになった。だんだん、私は彼女と仲がいいと周りに認識されるようになっていった。彼女は私を受け入れてくれていたのだろうけれど、それでもやはり、周りの反応はいいものばかりではなかった。

 付き合ってみると、彼女は思っていた以上に変わった人間だった。彼女と深い話をするのが好きで、彼女の考えていることを知りたくて、人気者な彼女に追いつきたくて、私は話をよく聞いた。彼女の話すことは幻想的で退廃的な、ある種の絶望と希望を感じさせるものだった。


「あんなぁ柚樹、私は溺死いうのんが理想なんや」

「なによそれ」

「心中って素敵や思わへん? 好きな人と海で死ねるなんて、そんな至福あらへんと思う」

「……言ってることは、分からなくもないけど」

 彼女はことあるごとに溺死と心中を語った。私には、何が彼女をそんなに死に駆り立てているのか分からなかった。けれど別にそれで構わなかった。彼女が私に、抱えているものを話してくれているというそれだけで、充分だった。輝いている彼女が、人気者の彼女が、そんなことをこんな私に吐き出してくれることが、私の誇りだった。

 そんなある日のお昼、そんな彼女は突然私に言った。

「好きな人ができてん」

「……えっ?!」

「私もびっくりしとうわ」

 彼女の顔を見ても、表情に大きな変化はない。本当にびっくりしているのかと疑わしくなった。たぶん彼女よりも私の方がびっくりしていただろう。だって、この子に好きな人なんて。想像もできなかったし、じゃああの心中の話は、どこにいっちゃったの?

「えっと……どういう人なの?」

「せやなあ」

 恋バナの雰囲気は全くなかったがとりあえずよくある質問をすると、彼女はのんびりと考える仕草をした。好きな人のことを考える彼女の顔を隣から眺める私は、どんな顔をしていたのだろう。

「ええ子やで。私のくだらん話にも付き合ってくれる真面目な子」

「……年下?」

「なんで?」

「子って言うから」

「ああ。まあそうとらえてもかまへんで」

「なによそれ……」

「あんたそれ口癖やろ」

「……そうかもね。あなたがなにそれってことばっか言うからね」

 呆れたように言う私に、柔らかく笑う彼女。派手に笑うことのない彼女の笑みはいつも美しかった。光だけでは生み出せない美しさ。影がかかっているからこその月明かりだ。

 結局、好きな人というのがどこの誰だったのか分からなかった。彼女があれ以上話してくれなかったのだから、知る術がなかった。たぶん、これからもないのだろう。


 ふっと意識が現在に戻される。水滴が、汗が、顔の上に落ちてきた感覚。顔をしかめそうになることも、もうない。汗ぐらい我慢できる。汗をたらした目の前の男越しに天井を見つめると、自然とまぶたが下りてきた。そして自然と、唇が合わさる。男の息がかかる。違う。違うけれど、私は受け入れる。求める。溶けそうになるほど、交わう。触れられなかったものを思いながら、別のものと溶け合う。息と、声と、液と、心が、漏れる。

 友人の失踪から、今日で四ヶ月になる。そんな日に私は、見知らぬ男と交わっている。この人は今日会うのが初めて、一昨日の人は三度目、その前の人も三度目、明日のお誘いがあった人は二度目? 馬鹿げている。馬鹿げた現実。とても、心地の悪い事実だった。

「ユキちゃん、何だかぼーっとしてたね? 何かあった?」

「何もないわ。ねえおじさん、おじさんなら、消えたくなった時どこに行く?」

「ええ、消えたくなった時? 不思議なこと聞くねえ……」

「そういう時ってあるでしょ」

「まあ……やっぱり、誰も僕のことを知らない遠くの町とかかなあ」

「ふうん。なるほどね」

 男から視線を外し、髪を耳にかける。まだ何か続けているが、別にこの男の考えにはそこまで興味がない。遠くの町か。ありきたりな答えだ。彼女が行きそうな遠くの町。そこまで遠くはないけれど、生まれ故郷が正解なのだろうか。探しに行くほど行動力があるわけでもないのに、そんなことを考える。大好きだと、失いたくないと思っていたのに、いなくなったら探すあてもないからと諦める、そんな自分がとてつもなく嫌だった。

 心のどこかで彼女に置いて行かれたように感じている自分の醜さに、吐き気がした。


「運命の人と心中するのが夢やの。運命の人と、海で、ひっそりと、静かに死に至るの、素敵やろ?」

「運命なんて信じてるの? 意外だわ」

「柚樹はさ、好きな人がおったらその人が運命の人やと思わへんの? 信じる信じないやのうて、そういうことやで」

「言いたいことは分かるけどね」

「海というのは、死の象徴やねん。静かで暗い、そして全てを受け入れる広さがある。一人で海に行くことあんねんけど、水平線見とって、あそこまで行けたら私は完全に一人きりになれるんや思う。それで、孤独になれば死に近づけるんよ。けど孤独死は嫌やん。せやから運命の人と二人で死にたい。恋愛なんていらんねん。ただの運命に流されて死に至りたいねん」

「私は死んでほしくないわよ。勝手に死なないでよ」

「別に今は死んだりせんよ。柚樹は私に生きててほしいんやろ」

「当たり前でしょ……」


「軽蔑するわよ」

「せんよ」

「するわ」

「せえへん」

「……知らない人よ。お金もらってるの」

「ああ。なるほどな」

「なるほどじゃないでしょ」

「かわいそうにとでも言えばええんか?」

「……」

「やめろなんて言わへんよ。言いたくないこと言わせてもうて悪いな」

「……駄目だって分かってるのよ」

「やめたいん? 私は、それが柚樹の心の調整になっとうんなら責めたりもせんし、むしろ続けてええと思うで」

「あなたは身勝手だわ」

「今更やしお互い様やろ」

「それはそうね」


「海行ったことあるん?」

「うーん、昔、家族旅行で行ったくらい」

「今度一緒行かへん?」

「えっ、いいけど。ほんとに海好きね」

「柚樹と行きたいんよ」

「そう。私も海には行ってみたいなあ」

「ほんまに?」

「ほんまに」


 運命の人。なんなんだろう。そんなのどこにいるんだろう。どうやって見つけるっていうんだろう。前世とか、そういうものがあるの? 非現実的。私は嫌だ。そんなことを考えて生きるのは、嫌だ。でも、彼女の求めた運命の人がどこかの知らない誰かだったら、その方が嫌だ。……私であってほしいと思っているわけではないけれど。

 今頃彼女はどこで何をしているのだろう。海にいるのだろうか。海で孤独を感じているのだろうか。それとももう、海の一部になってしまったのだろうか。

 会いたい。彼女の空気をもう一度、一度でいいからまといたい。

 愛が欲しいと、それだけのために、私は彼女の幻影を追う。


 それからさらに一ヶ月後、十月。日曜日の昼頃に知らない番号から電話がかかってきた。知らない番号であることに疑問を覚えつつ、私は確かに何らかの期待を持って受話器をとった。

「もしもし」


「はあ、はあ……」

「柚樹。久しぶりやなあ」

「久しぶりじゃないわよ……!今までどこにいたの?!」

 目の前の彼女は、五か月前と何も変わっていないように見えた。長いストレートの髪に、血色のいい肌、ほどよく筋肉のついた身体。私の知っている彼女だ。

 彼女からの電話で地元の駅に呼び出され、私は準備もそこそこに家を飛び出していた。走れる限り走って、彼女の幻影が現実になる瞬間を何度も描いた。なんで? 色々に対する疑問がここに向かっている時からずっと、頭の中を駆け巡っている。

 私の問いには答えず、彼女は「ごめんなあ」と言った。

「柚樹のこと不安にしたかってん」

「は、はあ?」

「先生からなんて聞いとう?」

「いなくなったって……クラスでは地元に帰ったって言ってたのに、私だけ呼び出されて」

「頼んだんよ」

「私に言えって? ……嘘でしょ」

「とりあえず行こか。暇やろ?」

「えっ?」

 どこに? と聞く前に彼女は駅に向かって歩き出していた。慌てて追いかける。切符売り場で迷わず二枚の切符を購入し、その片方を何も言わずに私に渡してきた。聞きたいことはたくさんあったけれど、彼女にほほ笑みかけられて、ぐっと言葉を押さえ込む。切符を受け取り、彼女に続いて改札に滑らせた。

 そこから彼女は一言も喋らなかった。私は私でだんだん目的地が分かってきて、黙って座っていた。改札を通り過ぎて数分しか経っていないのに、切符は既に元の形を保っていない。左手にぐちゃぐちゃの切符を持ち、空いた右手を閉じたり開いたりする。そうして現実を感じながら、隣の彼女をちらと見る。長い髪がかかっていて、横顔だけでは分からない。彼女は何を考えているのか、窓の外を見つめていた。だから私も、また景色に意識を戻す。

 来慣れているのだろう、まっすぐに彼女は歩く。そこに向かう人は私たちの他にはいないのか、人通りはほとんどない。今日の人には後で電話しないとな、とぼんやり考える。彼女の背中を見つめて、この子も、何かの信念を抱えて生きているのだろうなと、想いを馳せる。その信念を吐露してくれることが私の望みなのだろうな、と、ため息を吐く。私のため息に気づいてか、彼女がちらと後ろを振り向いたが、すぐに向き直ってしまった。

 砂浜にたどり着くと、彼女がスニーカーと靴下を脱いでビニール袋に入れ、歩いていってしまう。ズボンを膝まで上げようと立ち止まったところで、たまらず声をかけた。

「パ、パンプスなんだけど!」

「んん? 脱いでまえばええやろ」

「ええ……」

 ためらっている間にも彼女はどんどん砂浜を進んでいく。……仕方ない。両手に靴を持ち、砂に足を取られながら小走りに追いかけた。

 ケータイを確認する。日が傾き始める時間だ。遠くにカップルが一組座っているのが見える。別れ話でもしているのだろうか。そんなわけないか。

「柚樹!」

「うわっ」

 波打ち際で彼女が水を蹴る。ストッキングに染みる。その感触自体は不快なのに、楽しそうな彼女の姿に笑みが漏れた。まるで子供みたいな笑いを浮かべる彼女。これが本来の彼女なのだろう。

 やっぱり輝いている。色褪せることなんてなかった。そのことにとても安心した。

「どこまで行くのよ」

「どこまでやろなあ」

「ねえ、なんでいなくなったりしたの?」

「あんたを困らせたかったんや」

「違うわよ。そうじゃなくて」

「そうなんよ」

 彼女の横顔がどこか寂しそうに歪む。膝に手をつき、長い髪で表情を隠してしまった。

 私を不安にしたかった? 困らせたかった? そんなことして、何になるっていうの?

 口に出さなくても私のその空気は伝わったのだろう。彼女は表情が見えない姿勢のままに大きく息を吐き出した。彼女の持つビニール袋が海面に触れ、音を立てる。

「寄りかかってほしかったんや。私に、依存してほしかったんよ」

「なによ、それ」

「……心中なんてでけへんのや」

「心中?」

「理想は理想やった。せやろ?」

「……ちょっと、よく分からないけど。まあニュアンスは分かるわ」

 ニュアンスしか分からないわ。という小さな棘を投げる。

 ──まさかな。そんなわけはないし、そうだとして、私が期待に応えられないことをこの子は分かっていたはずだ。

 瞬間、私の中の憶測が一つの推測に収束する。

 ……ああ。分かっていたから、なのか。そういうこと、なのか。

「ほんまはな」

「うん?」

「酷なことを言うようやけど」

「うん」

「援交なんてしてほしうないんやで」

「……」

「私がその穴を埋めてやりたかってん。けどたぶん無理なんよ。それがたぶん、そういうことやねん」

「あなたなら埋められるって思ったわ」

「私は柚樹が求めてるものをあげられる人間とちゃう」

「なんでそんなこと言うの?」

 思わず涙声になってしまう。彼女がはっと体を起こして私を見た。ふくらはぎのあたりが浸かってしまうようなところから、私のいる砂浜と海水の境目までじゃぶじゃぶと歩いてくる。空が、海も、オレンジ色に染まっている。そのオレンジを背負った彼女は、何故か泣きそうな顔をしていた。

「泣かないでよ。なんで泣くのよ」

「泣いてへん。ていうかこっちのセリフやわ」

「ほんとはなんでいなくなったの?」

「ふらっといなくなりたくなった、って言うた方があんたは安心すんのやろうなあ」

「私のことよく分かってるじゃないの」

「敵わんわ。……ほんまになあ」

「安心させてよ。あなたは私を安心させる人であってよ」

「……はは……なあ、柚樹は、好きな人っておる?」

「いないって言ったら安心する?」

「めっちゃ安心する」

「いたら援交なんてしないわ」

「せやろな」

 彼女が持ってきていたシートを浜辺に敷き、そこに並んで座る。ケータイを見ると不在着信が二通。どちらも今日会う予定だった人からだ。待ち合わせの時間が過ぎてまだ数分だというのに、まめな人だなあ。とりあえず謝ろうと、その番号にかけ直す。

「もしもし、ユキです。……ごめんなさい、今日用事入っちゃって、どうしても行けないのよ。明日の夜ね?」

 隣を見たら彼女が声を出さずに笑っている。おかしくてたまらないといった笑い方。ちょっとむかついたので腕を叩いた。

 電話を切った後、彼女が水平線を指さした。

「あれ、あそこに行きたい」

「さっきなんで笑ったのよ」

「なんやおかしくなってもうて」

「綺麗なオレンジね」

「せやろ?」

「あれを目指したらどこまで行けるの?」

「知らん」

「そうでしょうね」

 きっと彼女にとって大事なのは、どこまで行けるかではないのだろう。私は俯いて腕から垂れるブレスレットの金具をいじる。腕との隙間に指を入れると、ブレスレットはちりちりと音をたてた。なんだか今日は、珍しく彼女の視線を感じる。

「なんも聞かへんのやな」

「聞いてるのに答えないんでしょ」

「聞かんでも分かるんやろ」

「ニュアンスしか分からないわよ」

「ええねん、それで」

「あっそ」

 終わったな、と思った。彼女との間に残されていた可能性が、最低ラインの一つだけになってしまったのだな、と。

 海を眺めていたらまた泣きそうになった。けれど、本当に泣きたいのはきっと彼女だろうから、我慢した。

 何も知らないでいた方が彼女も私も幸せだったのかもしれない。それでも……。

「あんたと溺死がしたかった」

「ありがとう」


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