第二章 下弦の月⑥
「全部、話してみない?」
「そうそう、楽になるわ。私のお母様だって、きっとそうしたかったと思うわ」
若い母親と並んで座ったベンチの前、モモコは口を尖がらせて話に参加してきた。
「このことは、黙っておいてもらえないでしょうか?」
「どうして? こんな怪我までして、赤ちゃんだって、もしかしたら足の骨が折れているかもしれないのよ」
「赤ん坊は、すぐに治るから……」
言葉を失った祥子は、ただ茫然とその母親を見ていた。
「ごめんなさい。本当に大丈夫なんです。このことは誰にも言わないでください」
「本当に役立たずだよな」
逃げ帰るように去って行ってしまった母親を、引き留めることも出来なかった。
タクに苛立った声で言われ、ごめんなさいと小さな声で謝る。
「あの赤ん坊が死んだら、あんたのせいだ。何も悪いことをしていないのに。何であんな目に、遭わされなければならないんだ?」
タクに食って掛かられ、祥子は躰を引く。
「大人はいつもそうなのよ。子供より意気地なしなの。だから母様だって……」
舌打ちを一回打ったタクは、姿を消した。
「モモコさんは、あの親子のことを知っているの?」
タクの怒りとも哀しみとも取れない複雑な目が、祥子の胸に突き刺さる。
モモコが、無言で金平糖を差し出す。
「私にだって考えはあるの」
肩を竦めた祥子は一本の電話を入れた。
これは難しい問題なの。そんな簡単なことじゃない。誰かに言われて止められるものなら、どんなに楽なんだろうと思う。それが出来ないから苦しいの。
雅春の泣き叫ぶ声が、頭の中で木霊しだす。
人はそんなに強くない。けど、許されることでもない。
アパートの前で、祥子は救いの手を待った。
力なくうな垂れた若い母親の姿が、目に焼き付く。
もしかしたら、私も誰かに救って欲しかったのかもしれない。
目頭を熱くした祥子を見つけ、市の職員が二人、緊張した面持ちで頭を下げ近寄ってくる。
タクとアキオは少し離れた所で、それをじっと見ていた。
泣き叫ぶ母親から赤ん坊を取り上げた背広姿の男性職員が目の前を立ち去って行き、宥める女性職員の肩越しに、母親と目が合う。
突き刺さるようなその瞳に、祥子は居ても立ってもいられずその場から逃げ出した。
「うるせい、くそばば」
雅春の声が祥子を追いかけて来る気がして、耳を塞ぐ。
――お願い、そんな目で私を見ないで。
ぼんやりとした視界の中、何かを言いたげにしているアキオの顔が映る。
もう引き返せない。戻らない時間。
祥子は蹲るように、部屋の片隅で膝を抱え、息をひそめ、このまま時間が止まってしまえばいいと心から願った。




