第二章 下弦の月③
「私はモモコ。キシベモモコよ。ここで、お母様が迎えに来るのを、ずっと待っているの」
急に声を掛けられ、心臓をひと跳ねさせた祥子が、恐怖に近い目でいつのまにか隣に座る老婆を見やった。
老婆は、襟にレースが施された白のぶらーすに赤いプリーツジャンバースカートを履き足をぶらぶらさせながら、まるで少女のような仕草を見せている。
「今日はね、私の大好物ばかり用意するから、母様がここで待っていなさいって言うのよ。母様が作るカレーライスはね、とってもおいしいのよ。あなたは……」
じんわりと汗ばむものを感じながら、祥子はまるで老婆の話が耳に入っていなかった。
目の前で話す老婆は、どう考えても60歳は当の昔に越してしまっているはず。
「あなたは、私のお母様と同じくらいかしら?」
小首を傾げて聞かれ、祥子は戸惑うように、ええとだけ答えて口を噤む。
「はい。これをお食べなさいよ。お母様は白いのが好きで、私はこの色が大好きなの」
白いエナメルのポシェットから大切そうに紙に包まれた金平糖だった。
――痴呆症。
祥子の頭に、そんな言葉が浮かんだ。
モモコは、嬉しそうにピンク色の金平糖を、祥子に見せる。
「はい。それじゃあ、あなたは黄色。タクちゃんは青いのをあげるわ。アキオクンにも持って行ってあげて」
「アキオクン、ご存じなんですか?」
祥子は、目を見開いて聞き返す。
「私はここで、母様を待っていなければならないから、動くわけにはいかないの。でも、大概のことは知っているわ。タクちゃんもアキオクンも私のお友達。寂しくなんかないわ」
祥子はひんやりとしたものを背筋に感じながら、目を見張る。
そんな祥子に目もくれず、モモコは風船をシャボン玉遊びでもしているかのように、風船を浮かべては割りを繰り返しながら、話を続けた。
「私のお母様はね、本当に綺麗でね、男の人にモテるのよ。みんな親切にしてくれるから、お礼はちゃんとしなくちゃいけないからって、母様はよく話していたわ。お酒を飲むのもその一つなの。母様は、私のために頑張っているのよ。だから、私、夜一人でいたって平気よ。寂しくなんかないわ」
微笑んだモモコの頬に涙が落ち、それを合図に姿が見えなくなる。
絶句したまま、祥子は辺りを見回す。
何事もなかった様に、滑り台やブランコで子供を遊ばせ、若い母親のグループが高笑いをしていた。間近にいた母親さえ、このことに気が付いていない様子で、祥子と目が合うが、行けないものを見てしまったかのように、それとなく目を逸らされてしまう。




