病室にて
20××年が明けた。夫が皮膚科、妻が小児科の医師という青木家は小さいながら開業しており、商店街の中にある自宅の1階で青木医院を営んでいた。正月3日間は病院も休みであるが、今日は灯りがともっていた。白衣姿の夫婦が見守る中、処置用のベッドには下半身裸になった長男の雄太が仰向けになり、不安そうな目つきをしていた。夫婦は雄太の男性器にメスを入れて包皮を切り取るかどうか、つまり包茎手術をするかどうかで話し合いをしているのだ。雄太も小学校6年生、春には地元の中学校へ進学する。
雄太が真性包茎であることに両親が気づいたのは4年生の時である。それを知った母は即座に手術をすることを提案した。しかし父は難色を示した。この時期に手術をして亀頭を露出させてしまうことはイジメにつながるという考えからだった。実は父自身は小学校2年生の時に亀頭包皮炎になり、有無を言わさず手術を受けさせられ亀頭が露出してしまった。それからプールや林間学校で友人からからかわれることが多く、小学生時代は大分苦労した。同じ思いを息子にさせたくないと考えていた。母から手術を告げられた雄太は泣いて嫌がった。手術も怖かったし、自分だけ違う形になることは怖かった。
それから両親は何とか真性包茎を治そうと試みた。風呂に入った時、少しずつ剥こうとした。包皮口に軟膏を塗りこむなど処置も行った。雄太自身も手術は嫌だということで毎日頑張っていたが、どうしても痛くて最後まで剥くことは出来なかった。夏休み、ついにしびれを切らした母は金属製の器具を雄太の包皮口に強引に差し込み、拡張させた。雄太は泣いて痛がり血も出たが、はじめて亀頭全体を外に出すことが出来た。一応真性包茎は治ったことになるが、それでも手で剥けるようにはならなかった。小学校最後のプールの授業も終わり、中学入学が迫ってきた正月、母は再び手術を提案した。
これからも剥けそうな気配がないとは雄太もわかっていた。また器具を差し込まれるのも嫌だし、毛も生え始めた性器を母に見られるのはそろそろ嫌だった。しかしだからといって手術を受ける覚悟が決まったわけではない。手術については一貫して断固拒否という意思を伝えていた。
仰向けに寝ている雄太の性器を手でつまみ、母は包皮を剥こうとした。やはり途中でとまってしまう。まだ小ぶりな性器ではあるが、5cmほどに成長していた。その先端1cmは皮だけの部分が朝顔の蕾のごとく閉じていた。「お父さんどうします?」との声に、今度は父が性器を調べた。雄太は父に助けを求めるような目で哀願した。しばらく沈黙があった後、父は静かに切り出した。
「もう中学生になるからな。いつまでもこのままというわけにはいかないし、中学生になれば剥けてる友達も出てくるだろうからからかわれる心配もないだろう。いい機会だからやっておこう」
「嫌だ~」と泣き出す雄太にかまわず、母は手術道具を手際よく並べた。準備が整うと「お父さん、お願いします」とだけ言って雄太の上半身を押さえつけた。父は注射器を取ると包皮の中に針を差し込んで麻酔を打った。「痛いよ~」と更に泣き出す雄太であるが、両親は顔色一つ変えなかった。麻酔が効くまで数分間かかる。
麻酔が効いたことを確認すると父はハンドメスを手にとり、包皮をつまんで腹側の一箇所に切り込みを入れた。一気に血が噴出し、処置台のシーツを赤く染めた。皮膚科ではあるが爪をはがすなど外科的な処置を施すことも少なくない父の手際は良かった。ものの20分もすれば雄太の亀頭は全て露出していた。最後にしっかり縫合して手術は終わった。それまで押さえつけていた母が処置を代わり、血が付着した雄太の亀頭に包帯をしっかりと巻いた。上半身が自由になった雄太も上体を起こし、完全露出してしまった自分の亀頭を見つめた。
学校が始まるまでの数日間は安静である。卒業までの2ヶ月でクラスメイトに知られることはないだろう。雄太は出来るだけ学校でトイレに行かないようにしよう、行くときも極力同級生が使わないトイレを使用して便器にピッタリくっついてしようと心に決めた。そして中学に入ってもしばらく、手術したことが誰にもばれなければ良いなとひたすら願っていた。今まで包皮で守られ続けていた亀頭はいきなり外界にさらされることになり、しばらくは痛そうだ。