俺(の先輩)がファイナンシャルプランナー1級で異世界無双した話
休日の図書館で、俺はFP1級の問題集を前にして固まっていた。
分厚い。
高い。
難い。
難しい、ではない。難い。問題集のくせに、机の上で城塞みたいな顔をしている。
会社はこれを「推奨資格」と呼んでいた。
命令ではない。
受けないと評価面談で上司が湿った目をするだけだ。
しかも落ちれば受験料は自腹。資格のくせに、攻撃力が高い。
「お前、FP1級なんか取っても意味ないって思ってるだろ?」
背後から声がした。
振り返ると、会社の佐伯先輩が立っていた。休日の図書館にいるのに、妙に元気な人だった。人の問題集をのぞき込む距離が、やけに近い。
「まあ……はい。昇格のための勲章みたいなもんでしょ、実際」
「勲章?」
「こんな分厚い問題集を暗記しても、現場で使えませんって。試験終わったら忘れますよ。俺みたいなのが義務感で受けるから、合格率も下がるんでしょうし」
先輩の目が、かっと開いた。
「それは違う!」
図書館中の視線が刺さった。
「声」
「すまん」
先輩は咳払いをして、俺の向かいに座った。
「いいか。FP1級の知識は、世界を救う」
「資格予備校の回し者ですか?」
「そう……あれは、トラックにはねられて異世界転移した時の話だ」
「はあ」
止める気はなかった。
休日の図書館で会社の先輩が異世界転移を語り出した時点で、俺の休日はもうかなり負けていた。
◆
佐伯が目を覚ますと、床は白い大理石だった。
高い天井。金で縁取られた柱。壁には獅子と剣の旗。周囲には騎士、魔術師、神官。全員、今にも泣きそうな顔をしている。
玉座の前には、透明な棺が置かれていた。
その中で、銀髪の王女が眠っている。
「異界より来たりし勇者よ」
王が言った。
「どうか、我が娘を救ってくれ」
佐伯は棺を見た。王を見た。泣いている神官を見た。最後に、自分の鞄を見た。
スマホは圏外。
財布はある。
筆記用具もある。
そして、分厚い本が一冊。
表紙には『ファイナンシャルプランナー1級 学科試験 完全解説』と書かれていた。
「勇者様、それは……」
宰相が震えた。
「古の魔導書か」
「解説集です」
佐伯はページをめくった。
王女は百年眠る呪いにかけられているらしい。魔術士には解けない。神官の祈りも届かない。騎士たちは魔女を討とうとしているが、居場所も分からない。
佐伯は目次を見た。
「百年眠る。長期の生活設計。資産管理。社会復帰」
指が、ある章で止まった。
「あ、これライフプランニングだ」
◆
「そうはならんやろ」
俺はおもわず言った。
先輩は無視した。
◆
佐伯は羊皮紙を借り、線を引いた。
現在。
百年後。
起床。
王位継承。
婚約関係。
棺の維持費。
百年後の物価。
王がうめいた。
「勇者よ、それは救命の術か」
「家計相談です」
その時、棺の上に黒い霧が湧いた。
「やめよ」
老婆の声だった。
「我が呪いを、生活設計に入れるでない」
呪いをかけた魔女だった。
騎士たちが剣を抜く。魔術師たちが杖を構える。神官たちが祈る。
佐伯だけが、解説集を閉じなかった。
「百年後に起きるなら、起きた後の話が必要です」
「呪いとは絶望である」
「絶望にも維持費がかかります。棺の管理、警備、王女の資産凍結、婚約破棄時の違約金。最低限ここは整理しないと」
「呪いを事務処理するな!」
黒い霧が震えた。
「そもそも、百年眠ることによる社会復帰リスク、財産管理リスク、王位継承リスクについて説明しましたか」
「するわけなかろう。呪いだぞ」
「説明義務違反ですね。解除対象です」
「呪いに消費者保護を持ち込むな!」
霧が悲鳴を上げた。
棺に刻まれていた黒い紋様が、ぱきりと割れる。
「やめろおおお!」
霧はほどけた。
棺の中で、王女の指がかすかに動いた。
「姫!」
王が棺に駆け寄る。
佐伯は羊皮紙を宰相に渡した。
「目覚めた後に揉めます。先に決めておいてください」
「勇者様、これは……」
「姫様の百年分の人生設計書です」
◆
「……無理やり持ってきましたね」
先輩は言った。
「今や人生百年計画だぞ」
◆
次は火竜だった。
北の村に現れた赤い竜は、山ひとつ分の影を落としていた。翼を広げるだけで風が起き、鼻息だけで納屋の屋根が焦げる。
村人は逃げ惑い、騎士団は盾を並べ、魔術師は防壁を張った。
佐伯は解説集を開いた。
「火災。損害。補償。事故発生時の対応」
ぱらぱらとページをめくる。
「あ、これリスク管理だ」
◆
「なんか、急に雑に――」
先輩は無視して続ける。
◆
火竜が鼻から炎を漏らした。
「小さき者よ。我が炎で焼かれに来たか」
「確認します」
佐伯は解説集を片手に進み出た。
「今回の損害が火災扱いなら損害保険で補償されるかもしれません。ただし、魔物襲来免責なら揉めます。あと、あなたに損害賠償請求が来ます」
「ふざけるな。我は災厄だぞ。賠償責任はない」
「意思のある者は自然災害とはみなされません」
火竜はしばらく黙った。
「……竜害は約款上どこにも入っていないのか」
「この村の加入している損害保険にはありませんね」
火竜は翼を広げた。
「今日は見逃してやる。村を焼く気が失せたわ」
「リスク管理ですね」
◆
「えらく保険に詳しい竜ですね…」
「昔、洞窟に保険外交員が来たんだろう」
◆
最後に魔王が現れた。
黒い鎧。巨大な角。背後に燃える闇。玉座の間は、いかにも最終決戦という感じだった。
「よく来たな、異界の勇者よ。我が名は魔王ガルドレイン。世界を闇に沈める者」
騎士団長が剣を抜く。王女が祈る。宰相が腰を抜かす。
佐伯は解説集を開いた。
「死亡。資産承継。後継者。事業の継続」
指が止まる。
「あ、これ相続・事業承継だ」
◆
「いや、倒せよ」
「相続は事前に決めていないと揉めるからな」
◆
佐伯は魔王を見上げた。
「遺言書はありますか」
魔王の角が止まった。
「何?」
「魔王様ほどの資産規模ですと、死後の承継設計を怠った場合、魔界全土で争族が発生します」
「我はまだ死んでおらん!」
「だから今です」
魔王軍がざわめいた。
炎の四天王が隣を見た。
「魔王様が死んだら、魔王城は誰のものになるのだ」
氷の四天王が青ざめる。
「闇の鉱山は? あれは我が管理しているが、所有者は魔王様だぞ」
毒の四天王が手を上げた。
「四天王の地位は相続対象ですか」
雷の四天王が一歩前へ出た。
「そもそも我々は魔王様の家臣なのですか。それとも魔王軍という事業体に属しているのですか」
魔王は初めて、勇者ではなく部下たちを恐れた。
「貴様ら、今それを気にするのか」
「今まで気にしておりませんでしたが、言われてみれば重要です」
「ご長男とご次男で争いになった場合、我々はどちらに」「闇の軍勢は分割されるのですか」「魔王城の減価償却は」
佐伯は羊皮紙を広げた。
「まず魔王城は長男へ。ただし居住権と軍事使用権を分けます。闇の鉱山は法人化。四天王には持分を与える。呪いの森は長女に承継。魔王軍は持株会社方式で整理しましょう」
「我の死後設計を勝手に進めるな!」
「事業承継は早めが肝心です」
魔王軍はその場で魔王家承継対策会議に入った。
世界を闇に沈める計画は、事業承継対策のため延期された。
◆
「だから倒せよ」
俺はもう一度言った。
「顧客満足度の勝利だ」
先輩は満足げにうなずいた。
「こうして世界は救われた」
俺は無視して問題集を見下ろした。
分厚い。
高い。
難い。
「――で、先輩はFP1級持ってて、現実世界で役に立ったことあるんですか?」
「持ってない」
「はい?」
「わたし、試験会場に向かう途中で転移したから。戻ったのは昨日」
「さぼったんですね」
俺は少し考えた。
「じゃあ、一緒に勉強します?」
先輩は一瞬だけ固まった。
「……いいの?」
「俺も一人じゃ進みませんし」
先輩は鞄から解説集を出した。
表紙は焦げていない。
魔王の涙らしき染みもない。
ただ、付箋が一枚はみ出していた。
『最重要論点:隣席』
「ライフプランニングからでいいですか」
「……うん」
先輩と休日に並んで勉強するのは、少し落ち着かない。
ページをめくるたび、紙とインクの匂いに、甘すぎない香水が少しだけ混じった。
解説集を開いた先輩は、なぜか合格発表みたいな顔をしていた。
お読みいただきありがとうございました。
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ライフプランニングで呪いを崩し、リスク管理で火竜を黙らせ、相続・事業承継で魔王軍を止める。
現実では試験対策ですが、異世界ならたぶん魔導書です。たぶん。
資格勉強中の方も、そうでない方も、少しでも笑っていただけたなら嬉しいです。
お気に召した方は、他の短編『続きそうな短編集』もぜひ、ご一読ください。




