第九話 信頼値3%
「また来た」
扉の向こうから、声がした。
「来ると言った」
「……物好き」
「よく言われる」
短い沈黙の後、かちゃりと音がして、扉が例の幅だけ開いた。一センチか二センチ。灯りが細く漏れている。
それが、毎朝の挨拶になった。
五日目。
「今日は何か持ってきた?」
「何も」
「……そう」
六日目。
「外、うるさかった」
「祭りらしい。城下で」
「……祭り」
少しの間があってから、ページをめくる音が再開した。
七日目。
「あなた、名前なんだっけ」
「クオン・レン」
「……レン」
呼び捨てだった。本人は気にしていないのか、それとも気づいていないのか。どちらでもよかった。
八日目の朝、廊下を歩いていると、前から貴族が二人やってくるのが見えた。
謁見の間で見た顔だ。目の細い、打算100%の男と、もう一人。
頭の中に数字が流れる。
貴族Aの打算:100%
貴族Bの打算:100%
変わらないな。
「クオン・レン殿」
貴族Aが足を止めた。愛想のいい笑顔を作っている。
「姫殿下とは、うまくいっておりますかな」
「まあまあです」
「ほう。それは……しかし、殿下はなかなか難しいお方でしてな。私どもも長年苦労しておりまして」
「そうですか」
「率直に申し上げますと、殿下のお部屋に毎日通うというのは、城内の風紀上、少々……」
頭の中に数字が動く。
貴族Aの本音:レンが殿下に取り入るのが怖い 71% 面倒なことになってほしくない 29%
「国王からは、殿下の補佐をするよう言われています」と俺は言った。「それに従っているだけです」
貴族Aの笑顔が少し固まった。
「も、もちろん、お役目は大事なことで……ただ、方法というものが」
「何か問題がありましたら、国王に直接お伝えください」
それだけ言って、俺は二人の脇を通り抜けた。
背後で二人が何かを囁き合う気配がしたが、振り返らなかった。
北棟の廊下に着くと、いつも通り扉の前に座った。
「おはよう」
「……遅い」
「廊下で少し止められた」
「誰に」
「貴族」
扉の向こうで、かすかに息を吸う音がした。
「……何を言われた」
「風紀がどうとか」
短い沈黙。
「……そう」
それ以上は何も言わなかった。ページをめくる音も、しばらく止まっていた。
九日目は、イリナのほうから先に声をかけてきた。
「レン」
「なんだ」
「貴族に、また何か言われた?」
「今日は何もない」
「……そう」
少し間があって。
「もし何か言われたら、教えて」
「なぜ」
「……わたしが、対処する」
扉の向こうの声は小さかった。でも、はっきりしていた。
俺は少し考えてから答えた。
「わかった。何かあれば言う」
「本当に?」とイリナが聞く。今度は少し違うトーンで。「言わない人が多い。面倒だからって、黙って去る」
「俺は言う」
また短い沈黙。
「……変な人」
「それも前に言った」
「また言いたかった」
ページをめくる音が再開した。
その夜、部屋に戻ってから、頭の中の数字を確認した。
イリナの信頼値:3%
低い。まだ低い。
でも、一週間前は計測すらできなかった。数字が出ることすら、なかった。
3%。
ゼロではない。
俺はしばらく天井を見ていた。
石造りの天井に、松明の影が揺れている。
急がなくていい。
数字は、少しずつ動いている。




