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引きこもり天才姫は俺にしか懐かない〜存在しない者が、一人の姫の一生を見届ける〜  作者: アルコール吸引マシン5号
序章 扉が開くまで

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第四話 存在しない

「始めます」


神官しんかんが静かに言った。



神殿しんでんの内部は、思っていたより狭かった。

石造りの天井は高いが、部屋そのものの広さは謁見のえつけんのまの半分もない。中央に石の台座があり、その上に薄い紙が一枚置かれている。


白い長衣ながごろもを纏った神官が三人。トワが端に控えている。人の気配はそれで全部だ。


「神託の儀は、台座の前に立っていただくだけで構いません。自動書記が始まりますので、終わるまで動かないでください」


「自動書記というのは」


「紙に、あなたの能力が記されます。筆が自動で動きます。通常は数行で終わります」


「通常は、という言い方をした」


神官が少し間を置く。


「滅多にないことですが、長くなる場合もあります。ご心配なく」


頭の中に数字が浮かんだ。


神官の緊張値:34%


普通だ。慣れた仕事をこなす人間の数字だ。特に警戒していない。

俺も警戒する理由はない。台座の前に立つ。


石の床が冷たい。香の煙が薄くたなびいている。

筆が一本、宙に浮いている。魔法だろう。紙の上で静止している。


しばらく何も起きなかった。


それから、筆が動いた。



最初は普通だった。


筆がすらすらと紙の上を走る。神官の一人が小さく頷く。いつも通りの動きなのだろう。


でも、途中で変わった。


筆の動きが速くなった。

少しずつではなく、急に。がりがりと紙を引っ掻くような勢いで、文字が刻まれていく。


神官の緊張値:34% → 71%


「……っ」


一人が小さく声を上げた。


筆は止まらない。紙からはみ出して、台座の石の面にまで文字が走り始めた。石の上に文字が刻まれていく、ぎぎぎという音がする。


神官の緊張値:71% → 93%


「な、なにが……」


二人目の神官が後退る。筆はまだ動いている。台座を超えて、床の石にまで文字が広がっていく。


俺は動かなかった。


動く理由がなかった。何かが起きているのはわかる。ただ、自分が危険な状態にあるとは感じなかった。不思議なくらい、落ち着いていた。


床に刻まれていく文字を、静かに見下ろす。



いない。いる。いない。いる。いないいないいない。

存在しない。なんでなんでなんで。



「やめろ、やめろ、やめ――」


三人目の神官が頭を抱えて崩れた。

残る二人も、壁際まで後退して震えている。


トワだけが動かなかった。

端のほうで、俺と同じように床の文字を見ている。その表情が、俺には読めなかった。


頭の中に数字が浮かぶ。


トワの動揺値:88%


珍しい。この人がこんな数字を出すのを、俺はまだ見たことがない。


筆が、止まった。


静寂が落ちた。

香の煙だけが、変わらずたなびいている。


床一面に、文字が刻まれている。

台座から放射状に広がって、神殿の壁際近くまで届いている。


神官が一人、壁に背をつけたまま座り込んでいる。震えが止まっていない。


「……トワ」


俺が呼ぶと、トワがゆっくりこちらを向いた。


「これは、何が起きた」


トワはすぐに答えなかった。

数秒、床の文字を見ていた。それから、静かに口を開く。


「自動書記が暴走しました。前例がありません」


「俺の能力の記録か」


「はい。ただ……内容が、通常とは全く違います」


俺は台座の脇に移動して、床の文字を眺めた。

びっしりと刻まれた文字が、神殿の石の床を埋め尽くしている。見たことのない字形のはずなのに、意味が頭に入ってくる。

……読める。なぜか、読める。


確率可視化。超越身体再生。多言語解釈。存在しない存在。


壮観、という言葉が浮かんだ。感情的な意味ではなく、純粋に規模の話として。


トワが立ち上がった。俺を見た。その目に、さっきまでとは違うものがある。


動揺でも、困惑でもない。

もっと別の、奥の方にある何かだ。


「内容は……」


「確率可視化、超越身体再生、多言語解釈、存在しない存在。そういう記述だったが」


トワが少し目を見開く。「……もう読んでいたんですね」


「さっきから読めていた。これも能力のうちか」


「おそらく多言語解釈です。あらゆる言語を即座に理解する。あの文字は古代の異世界語で、通常は解読に数年かかります」


「存在しない存在」


「どこにも属さない物体。世界の法則の外側にいる存在。寿命がない」


俺はその言葉を頭の中で転がした。

寿命がない。法則の外側。存在しない。


「それは、どういう意味だ」


「異世界を行き来したことで生じる、特殊な状態です。詳しくは……場所を変えてから話します」


「今話せないのか」


「話せます。ただ、順序があるので」


神官の一人が、ようやく立ち上がった。震える手で壁を支えにしながら、床の文字を見ている。


神官の恐怖の内訳:文字 89% 俺 11%


文字か。まあそうだろう。


「久遠さん」


トワの声が、少しだけ変わった。

いつもの軽い敬語ではない。もっと低く、静かな声だ。


「一つ、聞いてもいいですか」


「聞け」


「施設に持ち込まれたとき、何か持っていましたか」


俺は少し考えた。

施設の職員から聞いた話だ。直接の記憶ではない。


「メモ紙が一枚。『Ren QWN』と書いてあったらしい。施設がそれを解釈して俺の名前にした」


トワが息を吸う音がした。


「……Renはエジプト語で『名前』。QWNは読み方。つまり、名前はクオン、と」


俺はトワを見た。


「なぜそれがわかる」


トワが答えなかった。

数秒、床の文字を見ていた。


「……話します。全部、場所を変えてから」


久遠蓮くおんれん


小さく、呟くように言った。それ以上は何も言わなかった。


しばらく、何も言わなかった。

神官たちが神殿の外に出ていく音がする。おそらく誰かに報告しに行ったのだろう。


残ったのは俺とトワだけだ。

床の文字が、松明の光を受けてかすかに輝いている。


「トワ」


「はい」


「何か、知っていることがあるだろう」


トワが俺を見た。


さっきまでの動揺値は、今は数字が出ていない。

代わりに出ているのは、俺にはまだ名前のつけられない数字だ。


「……はい」とトワが言う。「あります」


「話せるか」


「話します。ただ、場所を変えてもいいですか。ここは……少し、落ち着かないので」


床一面の文字を、トワが一度だけ見下ろした。

その目に、何かがじわりと滲んだ。


一瞬だけ。すぐに、いつもの顔に戻った。


「久遠さん」


「なんだ」


「驚かせることを話します。心の準備を、していただけますか」


俺は答えなかった。

答える必要がないと思った。


トワが先に歩き始める。

松明の揺れる廊下へ、石の扉をくぐって出ていく。


俺はもう一度だけ、床の文字を見た。


いない。いる。いない。いる。


トワの後を追った。

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