第三話 ドレツァ王国
頭の中に、数字が浮かんだ。
門番の警戒値:79%
俺への敵意:4%
トワへの親しみ:63%
……なんだこれ。
朝の光の中、ドレツァ王城の正門は思ったより立派だった。
石造りの門柱に、鉄の装飾。東欧の古い城郭をそのまま切り取ったような佇まい。空気が澄んでいて、草と土の匂いがする。
昨夜は石造りの客間でそのまま眠り、朝になってトワに叩き起こされた。着替えが用意されていたので袖を通したが、詰め襟の長衣という格好は慣れない。
「おはようございます、久遠さん。よく眠れましたか」
「まあまあ。一つ聞く」
「はい」
「頭に数字が浮かぶ。人を見るたびに」
トワが目を細める。「数字、というのは」
「感情の割合みたいなものが見える。今お前を見ると、営業スマイルが97%と出ている」
トワが一瞬だけ固まった。
「……なるほど。それは面白い能力ですね」
「面白いで済む話か」
「済みますよ。むしろ好都合です」
頭の中の数字は、トワを見ると別の表示に変わった。
トワの営業スマイル:97%
本音:3%
……3%か。
正門をくぐると、広い中庭に出た。
石畳が整然と並び、中央に噴水がある。城の規模は想像よりずっと大きいが、人の気配が妙に少ない。行き交う使用人はちらほらいるが、活気というものがない。くすんだ空気が漂っている。
「静かだな」
「慢性的な財政難と、派閥争いで主要な役職が空席になっています。機能していない部署も多いです」
「王は」
「おられます。ただ……まあ、追々」
歯切れが悪い。追って説明する気があるのかも怪しい。
城内に入ると、廊下を歩くたびに視界の端に数字が浮かんだ。すれ違う侍女、廊下の角に立つ衛兵、遠くで書類を抱えて走っている文官らしき男。全員分の数字が自動的に流れてくる。
侍女の好奇値:88%
衛兵の眠気:71%
文官の焦り:94%
文官は相当追い詰められているらしい。関係ないが。
「人を見るたびに数字が出るのか、ずっと」
「今は全部見えている感じですか」
「ああ。廊下にいる全員分が流れてくる」
「……おそらく慣れると絞られてくると思います。意識を向けた相手だけに出るようになるんじゃないかと」
「推測か」
「前例がないので」とトワが苦笑いする。「一緒に確かめましょう」
ならいいが。今は全員分が流れてきてやや賑やかだ。
謁見の間に通されたのは、城に入って三十分ほど経ってからだ。
扉が開くと、玉座に男が座っていた。
五十代半ばか。白髪混じりで、目の下に濃い隈がある。着ているものは豪奢だが、それに見合う威厳が出ていない。疲れた顔をした王様、という印象だった。
両脇に貴族らしき男が三人ずつ、計六人。
頭の中に数字が流れる。
国王の疲弊度:83%
国王の期待値(俺への):51%
左の貴族の打算:100%
右の貴族の打算:100%
……貴族はわかりやすいな。
「よく来てくれた、クオン・レン殿」
国王が口を開く。声は低く、悪くない。ただ覇気がない。
「ドレツァ王国国王、ヴァルク・ドレツァだ。トワ殿からは話を聞いている。早速だが、我が国の現状を把握しておいてほしい」
「はい」
「ドレツァは今、大国ガルディアから強い圧力を受けている。三年以内に属国化の条約に署名しなければ、軍事介入もあり得ると言ってきている。我が国にそれを跳ね返す力はない」
淡々と、しかし重い言葉だ。
国王自身、もう諦めに近いところにいるのかもしれない。疲弊度83%というのはそういうことだろう。
「切り札はイリナ殿下だとトワから聞きました」
国王の顔が少し動いた。
「……そうだ。ただ、殿下は今も自室におられる。もう何年も、ほとんど部屋から出ていない」
「部屋から出られない理由は」
「我々にはわからん」
左の貴族が口を挟む。四十代、太り気味、目が細い。
「姫殿下は幼いころから扱いが難しい方でしてな。神託は確かに素晴らしい。しかし現実に動いてくださらなければ、意味がない。私どもも長年、様々な手を尽くしたのですが」
頭の中の数字。
貴族の本音:姫が怖い 68% 姫が邪魔 32%
……正直な内訳だ。
「イリナ殿下に直接会うことはできますか」
国王が再び口を開く。
「それを、あなたに頼みたいのだ。私も、この者たちも、もう殿下の扉を開けることができない。ただ……」
「ただ?」
「殿下は最近、何か調べているようなのだ。城の文献室から、ここ数日で大量の記録が運び込まれているらしい。何を読んでいるのかは、わからない」
国王が小さく息をついた。
「……ともあれ、今日は神託がある。準備が整い次第、神殿へご案内しよう」
「はい」
謁見が終わり、廊下に出る。
トワが隣を歩きながら小声で言う。
「貴族たちの数字、見えましたか」
「見えた。打算100%だった」
「まあそうでしょうね」とトワが笑う。「あの方々は殿下の力を利用したいのか、それとも厄介払いしたいのか、自分でもわかっていないと思いますよ」
「国王は」
「疲れた人です。でも、殿下のことは本当に心配している。それだけは本物だと思います」
本当に、という部分に少し力がこもった。
俺は特に返事をしなかった。
廊下を曲がると、石造りの階段が見えた。
上の方から、かすかに本のページをめくる音がする。風で動いているのか、それとも。
……あの部屋か。
「神殿の準備ができましたら、お呼びします」とトワが言う。「それまでは自由に城内を見て回っていただいて構いません」
「わかった」
「あ、ただ、北棟の三階だけは近づかないでください」
「なぜ」
「殿下のお部屋がありますので。今はまだ」
今はまだ、という言葉に含みがある。
俺は頷いた。頷きながら、階段の上に視線をやった。
数字は出なかった。距離が遠すぎるからか、それとも壁の向こうにいるからか。
ただ、ページをめくる音だけが、かすかに聞こえていた。
午後になって、トワが迎えに来た。
「神殿の準備が整いました」
「わかった」
「久遠さん」
「なんだ」
トワが少し間を置く。
「神託は、多少驚くことになるかもしれません。ただ、どんな結果が出ても、冷静にしていてください」
「冷静にしていろというのは、そうでない可能性があるということか」
「……念のため、です」
頭の中の数字が、一瞬だけ揺れた。
トワの不安値:41%
珍しい数字だ。
この人が不安を表に出すのを、俺はまだ見たことがない。
石畳の廊下を歩く。
神殿は城の奥にあった。重い石の扉が、ゆっくりと開いていく。
中から、かすかに香の煙が漏れてくる。
俺は扉をくぐった。




