第二十六話 わたしが行く
頭の中に数字が浮かんだ。
イリナの成功率:97%
……97%。あと2%だ。
朝、廊下を歩いていると、トワが小走りで追いかけてきた。
「久遠さん、大変です」
「何があった」
「殿下が……国王陛下に謁見を申し込みました」
俺は足を止めた。
「イリナが?」
「はい。今朝、自分から使いを出して。陛下も驚かれているようで、今城内がざわついています」
「謁見の内容は」
「使者との会談に自分が出る、と伝えたいようです」
俺はしばらく何も言わなかった。
……動いた。
自分から動いた。
謁見の間に向かうと、廊下がいつもより騒がしかった。
侍女が小走りで行き来している。貴族が数人、扉の前で集まって何かを囁き合っている。
頭の中に数字が流れる。
侍女たちの動揺値:81%
貴族たちの混乱値:74%
「姫殿下が謁見を申し込まれるなど、何年ぶりか」
「いや、初めてではないか。神託の後に一度だけあったと聞いたが、それ以来……」
「あの方が本当に使者と会うつもりなのか。いくら何でも……」
貴族たちが口々に言っている。
俺は謁見の間の扉をくぐった。
国王が玉座に座っていた。普段より表情が硬い。
両脇の貴族も、全員が一様に困惑した顔をしている。
部屋の真ん中に、イリナが立っていた。
白い長衣。銀がかった金髪。整いすぎた顔立ち。
震えている。肩がぷるぷると揺れている。視線は床を向いている。
でも、立っていた。
頭の中に数字が浮かぶ。
イリナの恐怖値:76%
外出継続意志:83%
83%。今まで見た中で一番高い数字だ。
「イリナ殿下」と国王が言う。声に、驚きと戸惑いが混じっている。「本当に、使者と会うつもりか」
「……はい」
声は小さかった。でも、はっきりと聞こえた。
「しかし、殿下。あのガルディアの使者は百戦錬磨の外交官です。殿下がいかに優秀でも、直接対峙するのは……」
左の貴族が口を挟む。
頭の中に数字が出る。
貴族の本音:殿下が失敗すると面倒になる 61% 本当に心配している 39%
今回は半分くらい本心が混じっていた。
「殿下、クオン・レン殿の指導はたしかに素晴らしいと聞いておりますが、いくら何でも時期尚早では」
別の貴族が続けた。
「殿下にもし何かあれば、この国の切り札を失うことになります。もう少し準備を整えてから……」
「準備は、できています」
イリナが言った。
震えながら。視線は床を向いたまま。でも、言葉だけははっきりしていた。
貴族たちが静かになった。
「……十年間、読み続けました。外交条約、交渉記録、大国の政治構造、ガルディアの内部事情、第二王子の性格傾向、クライン使節の過去の交渉履歴。全部、頭に入っています」
「しかし、知識と実践は……」
「わかっています」とイリナが言った。「震えると思います。うまく話せないかもしれません。でも、知識は本物です」
部屋が静かになった。
国王が、じっとイリナを見ていた。
「……レン殿」と国王が俺を見た。「お前はどう思う」
全員の視線が俺に集まった。
頭の中に数字が浮かぶ。
イリナの成功率:97%→98%
……上がった。
「止める理由はありません」
貴族たちがざわめいた。
「クオン殿、しかし……」
「殿下は準備ができています。知識も、判断力も、外に出る経験も。あとは本番を経験するだけです」
「そうは言っても……」
「バルタン殿」と俺は言った。
財務統括の貴族が口をつぐんだ。
「殿下が動かなければ、この国に切り札はありません。動かさないことのリスクと、動かすことのリスク、どちらが大きいですか」
沈黙。
「……陛下」とバルタンが国王を見た。「いかがなさいますか」
国王がイリナを見た。長い沈黙。
「……殿下」
「はい」
「怖くないか」
「……怖いです」
「それでもやるか」
「……やります」
国王がため息をついた。疲弊度は高いが、覚悟を決めた人間の顔をしていた。
「……わかった。殿下に任せよう」
貴族たちがまたざわめいた。でも、国王の言葉は覆らなかった。
イリナの肩が、少しだけ揺れた。震えではなく、息を吐いたような揺れだった。
謁見が終わり、廊下に出たところで、イリナが俺の隣に並んだ。
廊下を歩きながら、小さく言った。
「……緊張した」
「そうか」
「……手が震えてた。見えてた?」
「見えてた」
「……やっぱり」
少しの間があった。
「でも、言えた」
「言えた」
イリナが少し俯いた。歩きながら、足元を見ている。
「……レン」
「なんだ」
「……成功率は?」
頭の中に数字が浮かぶ。
イリナの成功率:98%→99%
止まった。
「99%だ」
イリナの足が、一瞬だけ止まった。
「……99%」
「ああ」
「……本当に?」
「本当だ」
また歩き始めた。でも、歩き方が少し違う気がした。
「……明日が、会談だね」
「ああ」
「……怖い」
「わかってる」
「……でも」
イリナが少し顔を上げた。廊下の先を見ている。
「……99%なら、やれる気がする」
俺は何も言わなかった。
言う必要がなかった。
頭の中で、99%という数字が静かに光っていた。




