第二十四話 89%
頭の中に数字が浮かんだ。
イリナの成功率:89%
……89%。
あれから二週間が経っていた。
ガルディアの使者クラインには、もう一週間待ってほしいと伝えていた。返答を引き延ばすことへの不満は使者の表情に出ていたが、強引に出てくるほどではなかった。今は時間を稼いでいる状態だ。
その二週間で、成功率は大きく動いた。
21%、31%、44%、58%、71%、79%、84%、89%。
日を追うごとに上がった。信頼が戻ったことで、外出の練習も再開できた。中庭に毎日出るようになり、人の気配に少しずつ慣れていった。廊下で侍女とすれ違っても、今は足が止まらなくなっていた。
まだ震えはある。でも、止まらない。
「レン、今日は外に出る?」
「出られるか?」
「……出られる。たぶん」
「行こう」
東の中庭に向かいながら、俺はイリナの隣を歩いた。
手は繋いでいない。今日は一人で歩けている。
渡り廊下に差し掛かったとき、前から城の文官が二人歩いてきた。
ぴくっ、とイリナの肩が反応した。
でも、足は止まらなかった。視線を少し下に向けて、そのまま歩き続けた。
文官が通り過ぎていく。
「……通り過ぎた」
「ああ」
「……見られてた?」
「少し」
「……震えてた?」
「少し」
「……でも、止まらなかった」
「止まらなかった」
イリナが小さく息を吐いた。
頭の中に数字が動く。
イリナの恐怖値:52%→44%
前より低い。人とすれ違うたびに、少しずつ慣れてきている。
中庭に着いた。
石畳の上に午前の光が降りている。噴水の水音が静かに聞こえる。
イリナが石畳の上に立って、空を見上げた。
「……最近、ここに来るのが楽しみになってきた」
「そうか」
「……前は、外が怖いしか思わなかった。でも今は、来るたびに少し違う気がする。光の角度とか、風の感じとか」
「気づくようになったんだな」
「……うん」
イリナが噴水の縁に腰を下ろした。石が冷たいだろうが、気にしていないようだ。
「レン、成功率って今何パーセント?」
「89%だ」
イリナが少し顔を上げた。
「……89%」
「ああ」
「……高い」
「高くなった」
「……あと少しで99%じゃない」
「そうだ」
イリナが視線を噴水に落とした。水が光を受けてきらきらと揺れている。
「……なんか、実感がない」
「何の実感が」
「……自分が変わったって実感。数字では上がってるけど、わたし自身は別に何も変わってない気がして」
俺は少し考えた。
「さっき、文官とすれ違っても止まらなかった」
「……それは」
「一ヶ月前は、侍女二人とすれ違っただけでパニックになった」
イリナが黙った。
「……そっか」
「気づかないうちに変わることのほうが多い」
「……レンって、そういうこと、よく知ってるね」
「心理学を少し学んでいた」
「……そうなんだ」
噴水の水音だけが続く。
「……ねえ、レン」
「なんだ」
「……あと10%で99%でしょ。もうやれるんじゃないかな」
「まだ早い」
イリナが少し不満そうな顔をした。表情がわかったのは、今日は横顔が見える場所にいるからだ。
「……なんで。89%もあるのに」
「99%になるまで動かさない」
「……頑固」
「そういう決め方をしている」
「……99%になるのに、あと何日かかるの」
「わからない。でも、上がってきてる」
「……もう使者の返答期限も近い」
「わかってる」
「……間に合うの?」
「間に合わせる」
イリナがため息をついた。小さく、でもはっきりと聞こえるため息だった。
「……レンって、そういうとき、全然不安そうじゃないよね」
「不安に見えたほうがいいか」
「……別に。ただ、わたしはすごく不安なのに、レンが落ち着いてると少し楽になる」
「そうか」
「……それって、依存?」
「依存というより、安心だと思う」
「……違いは」
「依存はいなければ崩れる。安心はいなくても残る」
イリナがしばらく黙った。
「……まだ依存してるかも」
「今はそれでいい」
「……なんで」
「安心に変わっていくから」
また沈黙。噴水の水が、光の中で揺れている。
「……レン」
「なんだ」
「……成功率、89%から99%まで、あと何が足りないの」
俺は少し間を置いた。
数字は89%だ。知識も、分析力も、判断力も、もう完全に揃っている。外に出ることもできるようになった。人の視線にも少しずつ慣れてきた。
では、何が足りないのか。
「今すぐ答えを出せない」
「……なんで」
「考える必要がある」
「……いつ教えてくれるの」
「明日か、明後日か。答えが出たら話す」
イリナが俺を見た。
横顔ではなく、正面から。珍しいことだった。
「……約束して」
「約束する」
「……絶対に?」
「絶対に」
イリナが視線を噴水に戻した。
頭の中に数字が浮かぶ。
イリナの信頼値:21%→26%
5ポイント上がった。
「……じゃあ、帰る」
「ああ」
「……また明日」
「また明日」
イリナが立ち上がって、中庭から歩き始めた。
その後ろ姿を見ながら、俺は考えていた。
89%から99%への最後の10%。
何が足りないのか。
今の俺には、まだ答えがない。




