表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
引きこもり天才姫は俺にしか懐かない〜存在しない者が、一人の姫の一生を見届ける〜  作者: アルコール吸引マシン5号
序章 扉が開くまで

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/35

第十八話 外に出ろ

「レン、昨日の続きを聞いてもいい?」


「どうぞ」


「あの手記の外交官、震えながら言い切ったって書いてたけど、その後どうなったか覚えてる?」


「交渉は成立した。相手国が折れた」


「……震えてても、ちゃんと言葉は届いたんだ」


「届いた」


扉の向こうで、少しの間があった。


「……そういうこと、もっと教えて」


「何を」


「震えながら動いた人の話。たくさんある?」


「探せばある」


「……探してきて」


「わかった」


ページをめくる音が始まった。でも、いつもより速いリズムだった。何かを確かめるように、急いでいるように。


頭の中に数字が浮かぶ。


イリナの成功率:51%→54%



それから三日間、俺は城の書庫で資料を探した。


震えながら動いた人間の記録。怖がりながら前に出た人間の話。引きこもっていた人間が何かのきっかけで動き始めた事例。


そういうものが、歴史の記録の端々に残っていた。


名もない商人の日記。城仕えの女官の手記。神官の記録。どれも派手な話ではない。でも、怖かった、震えた、それでもやった、という言葉が、静かにそこにあった。


毎朝、それを一つずつ扉の隙間から差し入れた。


「これ、読んでみろ」


「……何の本」


「百年前の女官の日記。王の代替わりで全員解雇になりそうになったとき、一人で大臣に直談判した話が書いてある」


「……女官が、大臣に?」


「怖くて足が震えたと書いてある。それでも行った」


受け取る音がした。


翌日。


「あの日記、読んだ」


「どうだった」


「……泣いた」


俺は少し間を置いた。


「なぜ」


「なんか、わかる気がして。怖いのに行く気持ち。でも……」


「でも?」


「……わたしには、行く理由がないから」


その言葉を、俺はしばらく頭の中で転がした。


行く理由がない。

部屋の中にいれば安全だ。本がある。知識がある。誰にも怖い目を向けられない。


「お前には、ある」


「……何が」


「この国を、知っている人間がお前しかいない」


「知ってるだけじゃ意味がない」


「知っていて、動ける人間がいれば意味がある」


扉の向こうが静かになった。


「……レン」


「なんだ」


「わたしが動けなかったら、この国はどうなるの」


「三ヶ月で大国に属国化される」


「……そっか」


また沈黙。今度は長かった。



その日の夜、俺はしばらく天井を見ていた。


成功率:54%。


このペースだと、三ヶ月で99%には届かない。信頼を積み上げるだけでは間に合わない。何か、もう一段階必要だ。


扉越しの会話だけでは、外の空気に慣れることができない。

壁の向こうにいる限り、人の視線に慣れることができない。


答えは一つしかない。


外に出てもらう必要がある。本番ではなく、練習として。



翌朝。


「一つ、提案がある」


「……なに」


「外に出る練習をしてほしい」


扉の向こうで、気配が固まった。


「……外」


「本番じゃない。練習だ。城の中庭に出るだけでいい。人のいない時間帯を選ぶ。俺が隣にいる」


「……無理」


「なぜ」


「外に出たら、誰かに見られる。怖い」


「人のいない時間帯を選ぶと言った」


「それでも……」


「廊下に出たことはある。ドアを開けたこともある」


「……あれは、レンがいたから」


「今回も俺がいる」


長い沈黙が続いた。


扉の下の隙間から、灯りが揺れている。中に気配がある。動いていない。


「……怖い」


「わかってる」


「怖い、って言ってるのに、なんで」


「怖くてもやれることを、お前は知ってるはずだ」


「……知らない」


「女官の日記を読んだだろう」


「……あれは、別の人の話」


「そうか」


俺はしばらく黙った。


急かすべきではないかもしれない。でも、時間がない。三ヶ月という期限は変わらない。


「イリナ」


「……なに」


「お前が動かなくていい理由を、俺は一つも思いつかない」


「……っ」


「怖いのはわかる。でも、怖いままでいい理由にはならない」


扉の向こうで、小さな音がした。


衣擦れの音だ。動いている。


「……レンは、わたしのことを怖いって思ったことある?」


唐突な問いだった。


「ない」


「なんで」


「怖がる理由がないから」


「……わたしは、ずっと怖かった。外が。人が。目が」


「知ってる」


「知ってるのに、なんで外に出ろって言うの」


「怖いままでいることと、怖くても動くことは、別だから」


また沈黙。


頭の中に数字が浮かぶ。


イリナの外出意志:19%

恐怖値:77%


19%。低い。でも、ゼロではない。


「……もし出て、誰かに見られたら」


「俺が間に立つ」


「……もし、声が出なかったら」


「出なくてもいい。今日は出るだけでいい」


「……もし、足が動かなかったら」


「そのときは戻ればいい」


扉の向こうで、長い沈黙が続いた。


ページをめくる音もしない。灯りだけが揺れている。


「……何パーセント?」


小さな声だった。でも、はっきりと聞こえた。


「何が」


「わたしの、成功率」


俺は少し間を置いた。


「今は54%だ」


「……低い」


「上がってきてる」


「……何パーセントになったら、外に出ていい?」


「71%になったら、出よう」


「……71%」


「ああ」


また長い沈黙。


「……今から上げる方法、ある?」


俺は扉を見た。

灯りが、かすかに揺れている。


「ある」


「……教えて」


「まず、扉を少し広く開けてみろ。今日から、毎日少しずつ」


しばらく何も起きなかった。


それから、かちりという音がして、扉が開いた。


いつもの一センチか二センチではない。

十センチほど。


灯りが廊下に漏れてくる。


「……これで、上がる?」


「上がる」


頭の中に数字が浮かぶ。


イリナの成功率:54%→57%


3ポイント。


「……また明日」


「ああ」


扉が、十センチの幅のまま、そこにあった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ