第2話「最適解とバグ」
白瀬アリスは、無音の教室でひとりモニターを見つめていた。
周囲に人はいない。
昼休みの喧騒から切り離された、演算分析室。
壁一面に展開されたホログラムの中で、ひとつの映像が繰り返されている。
——九十九零。
「……非効率」
ぽつり、と呟く。
動きは遅い。
入力は冗長。
無駄なモーションが多すぎる。
通常のレンダラーであれば、即時処理される工程を、わざわざ分解している。
——理解できない。
だが。
「……勝っている」
そこだけが、事実として残る。
アリスは指先を動かし、ログを再生する。
零の動作をトレースし、予測ラインを表示する。
通常であれば、未来は一本の線として収束する。
だが——
「……?」
線が、分岐した。
二つ、三つと分かれ、そのまま収束しない。
ノイズのように、揺らいでいる。
「ありえない」
演算を再実行。
精度を上げる。
補正をかける。
それでも——同じ結果。
「予測不能……?」
その言葉が、初めて彼女の中に浮かんだ。
未来が確定しない。
最適解が存在しない。
そんな現象は、この世界には存在しないはずだった。
アリスの視線が、わずかに鋭くなる。
「……バグ」
小さく呟く。
だがその声音には、わずかな興味が混じっていた。
同時刻。
「いやだからモテるって言ってんだろ」
「無理だって」
教室の隅で、零とユウがいつものやり取りをしていた。
「見たか昨日のあれ」
「見たよ。“風起こしただけの技”な」
「違う、あれは再現だ」
「再現度ゼロだったけど?」
「いやいや、溜めの感じとか完璧だったろ」
「そこ評価ポイントじゃねぇんだよ」
ユウは呆れた顔でため息をつく。
「お前さ、なんでそんな無駄なことに全力なんだよ」
「無駄じゃねぇって」
零は腕を組む。
「意味ある」
「ない」
「あるって」
「ない」
しばしの沈黙。
零がぽつりと呟く。
「……なんか、来るんだよ」
「だからそれ何なんだよ」
「こう……ドン!って」
「擬音やめろ」
ユウはパンをかじりながら言う。
「てかさ、お前昨日の子に完全に切られてたじゃん」
「……」
「“効率悪すぎ”って」
「……」
「刺さってる?」
「刺さってねぇし」
「刺さってるなこれ」
「刺さってねぇって!!」
机を叩く。
その時。
「九十九零」
静かな声が、空気を変えた。
二人が同時に振り向く。
そこに立っていたのは——白瀬アリス。
教室のざわめきが、わずかに落ちる。
「……お」
ユウが小さく笑う。
「来たぞヒロイン」
「だから言うなって」
零が立ち上がる。
「……昨日の」
「白瀬アリス」
「覚えてるって」
「……ギリ」
「減点」
無表情のまま言う。
少しだけ間が空く。
周囲の視線が集まる。
「あなたの戦闘ログ、見た」
アリスが言う。
「お、どうだった?」
「非効率」
「やっぱそこなんだな!?」
即答だった。
だがアリスは続ける。
「でも」
ほんのわずかに間を置く。
「結果が説明できない」
その言葉に、零はニヤッと笑った。
「だろ?」
「誇ることじゃない」
アリスは一歩近づく。
距離が、少しだけ縮まる。
「なぜ“溜める”の?」
「え?」
「演算は即時実行できる。時間をかける意味がない」
理屈としては、完全に正しい。
この世界の常識。
だが零は、少しだけ考えてから。
「……なんかさ」
「?」
「来るじゃん」
「来ない」
「いや来るって!」
「来ない」
即答。
零が頭を抱える。
「なんでわかんねぇんだよ……」
アリスはわずかに眉をひそめる。
「理解不能」
だが、その視線は逸れない。
「あなたの動きは、読めない」
その言葉に、空気が変わる。
零の表情が少しだけ真剣になる。
「それ、褒めてる?」
「分析してるだけ」
「ちぇ」
アリスは続ける。
「通常、未来は一本に収束する」
手をかざすと、空間に光のラインが浮かぶ。
「でもあなたは——分岐する」
線が、いくつにも分かれる。
「最適解が存在しない」
静かな声。
「そんな演算は——ありえない」
零はそれを見て、少しだけ考える。
そして。
「じゃあさ」
「?」
「正解じゃなくても、いいんじゃね?」
アリスの目が、わずかに揺れる。
「……意味が分からない」
「だってさ」
零は笑う。
「間違ってても、カッコよかったらアリだろ」
「……」
沈黙。
その価値観は、アリスの中には存在しない。
「非合理」
「だろ?」
あっさり認める。
「でもさ」
零は前を向く。
「そっちの方が、面白いじゃん」
その言葉に。
アリスは、ほんの一瞬だけ考え込む。
“面白い”という概念。
それは、最適解とは無関係の評価軸。
「……」
だがすぐに、首を振る。
「無駄」
結論は変わらない。
だが——
「試合、見る」
そう言って背を向ける。
「お、ちゃんと見とけよ」
零が笑う。
「惚れるなよ?」
一瞬、足が止まる。
ほんのわずか。
「……ありえない」
そのまま歩き去る。
廊下を歩きながら。
アリスは、自分の中に残った違和感を追っていた。
“面白い”
“カッコいい”
それらは、評価基準として存在しないはずのもの。
なのに。
「……なぜ」
小さく呟く。
再び、零の動きが頭に浮かぶ。
非効率で、無駄で、意味がない。
それでも。
「……読めない」
その事実だけが、残る。
視線を上げる。
試合会場の方向。
ざわめきが聞こえる。
足が、自然とそちらへ向いていた。
同時刻。
「……なんかフラグ立ったな」
ユウがニヤニヤしている。
「立ってねぇよ」
「いや立ってる」
「立ってねぇって」
「絶対あの子、お前気になってるぞ」
「マジ?」
「知らんけど」
「適当すぎるだろ!」
零は頭をかきながら、笑う。
だがその目は、どこか楽しそうだった。
「……よし」
拳を握る。
「見せてやるか」
「何を」
「俺の“カッコいいとこ”」
「その言い方ほんとやめろ」
笑いながら、二人は立ち上がる。




