ep1-選ばれし者③-
カイルが小屋を出る頃には、天高く昇っていたはずの日は、西に連なる山々に吸い込まれ始めていた。
農道に挿し込む柔らかな陽光は、それに伴い山にかかる薄雲に遮られ、未だ遠くに見える街並みに、早すぎる影を落としていた。
アルマンに連れられて馬車へと乗り込むカイルに、一呼吸置いてアルマンが声をかける。
「カイル、お前は鋭いやつだから私の言う違和感の正体に気が付いただろう。」
「えっと、はい。おそらくあまりに多い警備の数の事じゃないかと思います。」
アルマンは何も言わず小さく頷く。
そして窓から山脈側にある、車輪の音とともに徐々に大きくなる外壁に視線を移す。
カイルもそれにつられて、同様に外に目をやる。
そこに映ったのは、先ほど見たよりも更に数を増した機械人形。
「アル父様が予定より早く帰ってきたのと、何か関係が?」
視線を中に戻したカイルに、アルマンは感心したように、微笑み鼻を鳴らした。
「そうだ。残念ながら近々この街を離れる必要が出るかもしれない。本来であれば先程の友人達に別れを告げさせてやるべきだったのかも知れないが。」
何故それを今言うのか、明日以降で彼等に別れ話をするとは考えないのか。
そしてそれらが意味する事は何なのか。
それをカイルが質問するより早く、馬車がその動きを止めた。
孤児院でもある屋敷は、いつもと変わらぬ佇まいを見せている。
子供たちの声、庭を掃く音、噴水の水音。どれも普段の日常の一部だ。
「お帰りなさいませ、アルマン様。」
滑るように開いた豪勢な門扉の奥で、馬車から降りたアルマンを、優雅に頭を垂れたクレアが迎える。
「ただいま帰った。すまないが話があるのでこの後執務室に来てもらえるか。」
「かしこまりました。1つだけやる事が出来ましたので終わり次第向かいます。」
爽やかな笑顔をアルマンに向けたまま、いつの間にかその右腕の中に捕まっているカイルを持ち上げた。
「カイル…、あなたは今日も晩飯は抜きですね。」
そんなー、というカイルの叫びは夜の帷に消えていった。
「アルマン様。今回の出張はかなり予定より早いお戻りでしたね。」
孤児院の中央最上階にあるひときわ大きな部屋で、クレアはアルマンから預かったスーツをハンガーにかけ、その足で壁際の給仕台へと向かい、用意してあった茶器に手を伸ばした。
「あぁ…。クレア、例の件だが残念ながら予定を早める必要が出てしまった。」
手入れの行き届いた部屋に似つかわしい、全身を優しくつつみこまれそうな椅子に深く腰を掛け、アルマンは天井を仰ぎ、片手を額に当てて胸の奥から息を吐き出した。
「ロンド共和国元老院は何と?」
慣れた手付きでアルマンの下へ、ほんのりと湯気の立ち昇る赤い茶を注ぐと、アルマンは一度香りを楽しんで、真珠色に光るティーカップを口元へと移す。
「べクラール残党軍がここの存在…いや、彼に気付いた可能性がある。」
ソーサーにカップを置いたアルマンの口から出た言葉に、ポットを戻したクレアの手が一瞬だけ止まった。
「明日の夕刻、日の入りと同時に迎えが来る手筈となった。少し荒々しい門出となるが、よろしく頼む。」
卓上の隅に僅かに積まれた書類を眼前に移動させ、足早に目を通して羽根ペンで署名を行うアルマンの脇に、いつの間にか物音一つさせずに目を静かに伏せたクレアが佇んでいた。
「かしこまりました。子供達は…全て連れて行く予定ですか?」
「…可能ならな。」
ペンを止めることもせず生返事をするアルマンに、クレアは僅かに視線を右下へずらし囁くように、そうですか、と低く呟いた。
「どうした?この孤児院の母としての立場を続けたかったか?」
「まさか!私が子供嫌いなのは貴方も十分理解してるでしょう?ロンドに戻ってまでこんな生活はこりごりよ。本業に戻れるならそれに越したことは無いわ」
これまでの完璧な装いをどこに捨ててしまったのかと思うほどの荒々しさに、思わずアルマンは手に持つ羽根ペンの動きを止めてクレアを見た。
「それは残念だ。その姿も似合っているのだがね。」
全力の笑顔を見せるアルマンに、クレアは冗談と肩をすくませた。
翌日の朝は、西の山脈から流れ込んだ薄雲が空一面を覆い隠していた。
街の空気もどこか重く淀んでいるとさえ感じる。
2階の窓から小屋の方向を眺めていたカイルは、昨日の出来事を反芻しながら、胸の奥に残った違和感について考えを巡らせていた。
天気が悪いのはもっともだが、中途半端にアルマンと交わしたやりとりが、今日の脱走計画を躊躇わせた。
「カイル。本日は夕刻に来客があります。ですので勝手に外出しないでくださいね。わかりましたか。」
気づかぬ間に背後に立っていたクレアに、窓際に頬杖をついていたカイルの身が思わず跳ねた。
カイルにとってクレアは母親代わりである。
容姿端麗、才色兼備。
ハウスメイドとしては非の打ち所が無いと言えるほどで、義理とはいえ彼女が母であることはカイルにとっての誇りでもあった。
しかしそれと同時に、度々見せる今の様な動き。足音どころか気配すら全く感じない。
メイドとしてでは無く、そっちの仕事の方が向いているのでは無いかと思う事もある。
「それ、俺に関係あるの?アル父様が目当てでしょ?」
恥ずかしかったのか耳を真っ赤にしつつも、何事も無かったかのように取り繕う。
しかし逆にほぼ無表情で自分を見つめるクレアを前にして、カイルは再び視線を逸らさざるを得なかった。
「いいえ。むしろ貴方が必要なのです。本日は他の子供達と大人しくしておいて下さい。また、アルマン様のお手を煩わせる事の無いよう。」
流石に長年母として接しているだけあって、クレアにとってカイルの扱いはお手の物だった。
まるで自由に行動している事さえ、彼女の掌で転がされているのでは無いかと思えるほどに。
「わかったよ…1日でいいなら大人しくしてる…」
明日の約束を守れなかった事は、明後日に2人共に謝るしか無いなと思う反面、近々この街を離れる事を彼等に説明する為の、気持ちの猶予が手に入ったという安心感も無いかと言えば嘘といったところだった。
しかし、先程のアル父様の神妙な面持ちが頭から離れず、少なくとも今日一日はもやもやしたままで過ごす事になるという予感だけは否定できなかった。
同時刻。
砂埃の混じった風が吹き荒れる中、ベクレルの街には幾重にも重なる地鳴りが響いていた。それは徐々に山脈側へと消えていき、やがて街は何事も無かったかのように一時の平穏を取り戻した…。




