ep1-選ばれし者②-
街の中央通りは、歩けば肩がぶつかるという事もない人波。
それでも道の左右に立ち並ぶ露店で活気に溢れていた。
「こら、このガキ!待ちな!」
その一言は活気溢れる通りに刹那の静寂を生み出す。
しかしその静寂は、人波に紛れる少年と共に会話の渦に飲み込まれた。
「へへ!」
息を切らしながら、悪い笑みを浮かべ走るカイルの腕には、陽の光を受けて赤く輝く、数個のリンゴが握られている。
人の多い大通りからは建物の影になる、郊外の農牧地帯へと続く裏道に身を翻し、カイルは息を調える。
大通りからの追っ手が無いことを横目で確認し、リンゴを後生大事に抱えて、笑顔でその足を人気の無い通りの奥へと進める。
「はぁ…ん?」
まだ整いきらない息遣いの中、次第に開けた景色を求めて、その視線を郊外と居住区の境目に近い外壁に向ける。
穏やかな空気が流れる普段とは違う、どこか息苦しさをも覚えるそれが正体だった。
「旧べクラール公国軍の機械体…ディダだっけ?」
対獣用として拵えられた、普段は頼もしく感じる濃灰の外壁も、約8メートルあろうかという巨大な機械の人形、機械体と呼称されるディダの前では、まるでただの足場に過ぎないように見えた。
「何で?街の防衛にしてはいつもより多いような…」
8年前の戦争で崩壊した一つの国。
べクラール公国。
このベクレルの街も、かつてはその国の庇護下にあった事から、他国の機械体より旧式であるが、一つの町を守るのにディダという力は多大なるものであった。
だが目に見えるだけで10機程。
これだけで、普段の配置数の倍近くであると考えると、その威圧感は齢12のカイルですら、冷や汗が背筋を伝うほどのものだった。
「いっけね!」
草原に挟まれた静かな農道で、小鳥の囀りはカイルを現実に連れ戻すには十分だった。
胸中にある果実の束を握り直し走り出すカイルを、いつの間にか天に架かる薄雲の隙間から挿し込む陽光が優しく包む。
しかし、足早に畦道を進むカイルの視界の端には物々しいディダの姿が映るのだった。
「はぁ…はぁ…早いな2人とも。」
肩で息をするのも絶え絶えになりながら、カイルは目的地である木漏れ日挿し込む木造の小屋へとたどり着いた。
隙間風が自由に通り過ぎる、決して大きくはない建物には様々な物……所謂、宝物が所狭しと乱雑に並べられており、その中央の壊れた木製の椅子を再利用した机の周りには、少年少女が2人地面に腰掛けている。
「お前が遅いんだよ!」
「そうわよ!待ちくたびれたわよ!」
金の短い髪を天に向けて突き上げた、細いツリ目の少年は気だるそうに片膝を立て、赤土色の鳥の巣の様な癖毛の少女は足を横に流して座り、丁寧に膝の上で両の拳を携えている。
2人とも薄汚れた衣装を身に纏っており、小綺麗に整えられたカイルとはどこか住む世界が違うのでは無いかとさえ感じる。
口調も決して上品なものでは無く、少女に至っては一般とズレた語尾で話す事も少なくなかった。
「おっ!サンキュー!家じゃリンゴなんて食べれないからな。」
年齢相応の笑みを浮かべ、カイルから投げられたリンゴを片手で受け止める。
一度、土埃の舞う空にリンゴを舞わせると豪快に齧り付いた。
「本当わよ。カイルはここらの子供の中じゃかなりしっかりした体付きだし。本当に孤児院の子供なのよ?」
手に持つリンゴと大差なく見える小ぶりな顔の少女も、彼同様にその小さな口に僅かばかりのリンゴを含む。
「そう言われてもなぁ。確かに他のチビ共より身体が大きい分、量は多いんだとは思うけど…」
埃塗れの卓上を手で払い、残りのリンゴを置いて自らもルビーの様に輝くリンゴを頬張り、小屋内で唯一信頼出来そうな最奥の柱に背を預ける。
確かに他の孤児院と比べて建物も衣服も立派なのかもしれない。
当然食も貧困に喘ぐという事は全くない。
これもクレアママと父様のおかげであることは疑う余地もないのだろう。
自分がこうやって好き勝手させてもらえるのも2人に感謝すべき事柄といえよう。
「まぁさ、こうやっていつも外で食べてるからってのもあるんじゃないかなって」
2人に向けて食べかけのリンゴを見せつける様に片目を瞑ってみせる。
食べかけのリンゴからは溢れんばかりの蜜がその栄養価を物語っていた。
他の2人も顔を見合わせて、満面の笑みで手に持つリンゴを突き上げてみせる。
卓上のリンゴも木漏れ日を浴びて輝いていた。
「そうか、いつもこうして食べ歩いていたわけか。」
厳かな声が小屋に落ちた瞬間、今までの空気が一変した。
鈍い音を響かせて開いた木製の扉の奥で純白のスーツを纏った男が、木漏れ日を背に受けながら静かに3人を見下ろしている。
その視線は3人を一巡し、卓上にあるこの場所に似つかない綺麗なリンゴに目をやり、一層厳かになった視線をカイルに落とした。
「あっ……アル父様……」
街の外へ出張に出ていた、カイルの居住する孤児院の主。
そしてこの街をここまで発展させた最大の功労者、タルタッタ商会の会長。
それが腕を組んで三人を見下ろす男、アルマンだった。
予定よりも早い帰還に完全に虚を突かれたカイルは、時が止まったような重い沈黙の中で頭が真っ白になり、言い訳を考える余裕すらない。
それは他の2人も同様らしく、小屋の中には吹き抜ける風でそとにある草木の奏でる音のみが響き渡る。
「リンゴ…いや、他にも色々ある事だろうな。カイル、詳しく説明を願おうか。そちらの2人も、だ。」
結果として、三人はこっぴどく叱られる事となった。
リンゴの件、孤児院の手伝いをせずに日々抜け出していた件、その他の余罪についても。
「最後に質問だが。」
アルマンはチラッと市街地を一瞥し、冷ややかな視線を再び3人へと落とす。
「ここに来るまでに普段とは違うこと…特に違和感は感じなかったか。」
男女の2人は何のことか分からずお互いに向き合い渋い顔をするのみだったが、カイルは質問の意図を理解したらしく険しい視線をアルマンへと返す。
その視線を静かに受け止めたアルマンは、外にいる、と言い残してゆっくりと軋むドアを閉めた。
彼の退出と共に叱責が終わったと理解した小屋では、先程までの張り詰めていた空気が嘘のようにほどけた。
金の短い髪の少年は、頭の後ろを掻きながら気まずそうに笑い、癖毛の少女は足元の土をつま先で蹴っている。
「まさかこの秘密基地がお前の親に見つかるとは思わなかったなー。」
「そうわね。ま、美味しいリンゴに免じて良しとするのわよ。」
二人は顔を見合わせ、どこか安心したように笑った。
「明日も来るんでしょ?」
「来る来る、何とか2人から逃げ出してみせるよ!」
そう言ってカイルは、得意げに拳を握ってみせた。
それを見た3人の笑い声が小屋中に満ちた。
それはいつもと変わらない日常。
--何の根拠もない約束。
小屋の外では、風に揺れる草の音が穏やかに続いている。
「じゃ、またな」
「うん、また明日」
その言葉を最後に、二人は小屋の奥へと戻っていった。
カイルはそれを見送ってから、何も考えずに深く息を吸い込む。
いつも通りの一日だ。
そう、思っていた…。




