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千円と、針金の星

作者: えりざら氏

星って、空だけにあるものじゃないと思う。

夜の街に、光のない場所にだって、

誰かの目に映る小さな星がある。


この話は、そんな「ひとつの出会い」を、

私なりの言葉で綴ったものです。




風俗街に向かう前の夕方、駅前の歩道にいつも座っている男がいる。

季節が変わっても、彼はそこにいる。

ダンボールの上で、針金をねじったり、折り紙を貼り合わせたりして、

何かの作品をこしらえていた。


だけどそれは「売り物」って感じじゃなかった。

むしろ、展示みたいだった。

歩く人が見てくれるのを、ただ待ってるみたいだった。


私は何度かその前を通っては、目を合わせないようにしていた。

でもある日、ふと足が止まった。


「これ……なんなの?」


男は答えなかった。ただ、手元の針金を静かに差し出した。

ガタガタの星。それでも、なんだか不思議と目が離せなかった。


私は財布から千円札を出して、作品と引き換えに彼のカップにそっと入れた。

男は驚いたように僕を見た。


「……ありがとう。見てくれて、うれしい」


私は何も言えなかった。ただ、その針金の星をポケットにしまった。

ネイルが剥げかけた指先が、少しだけきつく握っていた。


風俗の仕事で、今日もいくつかの笑顔を演じる。

でもその夜、私の胸の奥で、あの星だけはずっと静かに光っていた。




仕事帰り、ヒールがすり減った足音を引きずりながら駅に戻ると、

あの人はまだいた。あの展示のような針金の世界の中に、ぽつんと。


近づきすぎたら匂いが気になってしまう。

かといって、何も言わずに通り過ぎるのも違う気がした。

だから私は、少しだけ間をあけて、彼の隣にしゃがみ込んだ。


「ねぇ?なんでここにいるの?」


聞いてすぐ、自分の言葉に引っかかった。

無神経だった。そう、今ならわかる。

でもそのときの私は未成年で、

世界をまだ“自分中心”でしか測れなかったんだ。


男は一瞬、私を見た。

深くて、静かで、どこか透明な目だった。


「なんで、って言われてもなあ……」

と笑いながら、彼はまた手を動かした。

何を作ってるのかは、わからなかったけど、

その動きだけがやけに静かで綺麗だった。


「ここが……俺の場所なんだよ。

寝るとこじゃなくて、“見せる場所”。

誰も見ないけど、まあ、たまに見てくれる人もいる。

さっきの千円の子とか」


彼は針金で星を編みながら、ニッと笑った。

私、言わなかったけど、顔がちょっと赤くなった。


「作品なの?」


「そう。“星”。名前がある。ほら、これは“まがい星”。

にせもんの星。でも、誰かのポケットで光るなら、本物なんだよ」


……その言葉が、胸のどこかをぎゅっと締めつけた。


私は何も言えなくなって、黙っていた。

でもなぜか、その時間が、すごく温かくて。

千葉の夜の風が、やけに優しく吹いていた。



「お金、ないの?」


そう聞いたとき、彼は少しだけ顔をしかめた。

目を逸らして、困ったように針金をねじる手を止めた。


私はバッグを開けて、

まだ数時間前に受け取ったばかりのお札を、ぐしゃぐしゃのまま差し出した。

2万円ちょっと。チップと、指名料と、なんやかんや混じった夜のお金。


「これ、あげる。……いらない?」


彼は目を見開いたまま、しばらく受け取ろうとしなかった。

たぶん、額の問題じゃなかったんだと思う。

でも私は笑って言った。


「私のお金なんてさ、汚れてるんだよ」


その瞬間、彼の表情が変わった。

驚いたような、でも怒ったような──それでいて、優しい目。


「汚れてないんてイない」


滑舌は少し悪かったけど、はっきり聞こえた。

“汚れてなんか、いない”って、そう言いたかったのだと、わかった。


私はなんだか、涙が出そうだった。

誰かにそう言ってもらえたの、初めてだったのかもしれない。

私はずっと、“自分は汚れてる側”って思ってたから。


そのあと、彼は2万円ちょっとをそっと受け取り、

「……ありがとな」って言った。

小さな声だった。でも、心に響いた。


そしてその手で、針金を曲げて

小さな“まがい星”をひとつ作って、私にくれた。


「これ、あんたの星」


その星は曲がっていて、どこか歪だった。

でも私の手のひらで、ほんの少し光ったような気がした。



ホームレス、か。

“家がない”って、どういうことなんだろう。

毎日どこで寝て、何を食べて、どうやって今日まで生きてるんだろう。

……なんで、そんなことを考えたのか、わからない。


でもたぶん──

私はその人に、同情してたんだ。


可哀想だなって思った。

自分よりも不幸そうで、自分よりも底にいるような、そんな存在。


だけど、その時の私は、

自分がどれだけ疲れていたのか、どれだけ空っぽだったのか、

きっと気づいてなかったんだと思う。


だってね、

“自分よりも出来損ないの人に出会って、少し安心してる”自分がいたから。

そんな自分を見つけてしまって──

……ものすごく、嫌だった。


恥ずかしかった。

“私、なんて嫌な奴だろう”って、

思った瞬間、ぐっと胸が詰まって、何も言えなくなった。


だけどあの人は、

そんな私に星をくれたんだよね。

ダンボールの上で、針金でつくった、歪な星。


それは、

私の中の一番、弱くて、汚れてるところに──

そっと、灯りをつけた気がした。




次の日──

駅に着いて、いつもみたいに仕事へ向かう。

朝の空気は少しだけ肌寒くて、

私はまだ夢の中にいるみたいなぼんやりした気持ちで歩いてた。


……でも、

あのホームレスのおじいさんの姿がなかった。


あの場所に、いつもあったダンボールの台もない。

針金の星も、なくなってた。


(……ああ、もういなくなっちゃったのかな)

私が渡した2万円ちょっと──

あれを使って、どこか遠くへ行ったのかもしれない。


“それでよかったんだ”って思おうとした。

でも、ほんの少しだけ、胸の奥が寂しかった。


だけどね──

その日の仕事が終わって、駅まで戻ってきたら。


……いたの。

そこに、ちゃんと、いたの。


でも、昨日とはぜんぜん違ってた。

髭はきれいに剃られて、

シワだらけの服じゃなくて、真新しい白いTシャツと、清潔なズボンを履いていた。


そして、私の顔を見つけると、

にこっと笑って、まっすぐ目を見てこう言った。


「……よかった。会えて。」


あの一言だけで、

私はなんだか、泣きそうになった。


“ありがとう”じゃなかった。

“助かった”でもなかった。


“会えてよかった”──それだけだった。


ほんの少しの優しさが、

誰かの生きる理由になることがあるんだって、

その時、初めて知った気がした。



そしたらね、

なにも聞いてないのに──おじいさん、ぽつりぽつりと話し出したんだ。


「……昨日、もらったお金で服を買ったんだ」

そう言って、Tシャツのすそをちょっとだけ引っぱって見せてくれた。


「それで、久しぶりに風呂入りたいなって思って……銭湯行こうとしたんだけど」

少し顔をしかめて、苦笑いを浮かべる。


「衛生面が、ってさ。何件も断られたんだよ」

「“うちじゃ無理です”って……まあ、そりゃそうだよな」

声が小さくなって、ちょっと寂しそうだった。


「それでも諦めきれなくて、街中をぐるぐる歩いて……」

「やっとの思いで、ビジネスホテルの受付で頼み込んで。なんとか泊まれた」


「そこで……風呂に入ったんだ」

おじいさんは、少しだけ、目を細めた。


「……鏡を見てな。ああ、俺、こんな顔してたっけって思った」

「髭も剃って、石けんの匂いがした。気持ちよかった。……本当に、気持ちよかったんだ」


「それから、駅前の牛丼屋で、並盛り頼んで……あれがさ、もう、涙出るほど美味しくて」

「温かくて、甘くて、ちょっとしょっぱくて……俺、ずっと、こんな味忘れてた」


目の端を少しこすりながら、笑っていた。


「何が一番嬉しかったって、俺……人間に戻れた気がしたんだ」

「……ありがとうね」


そう言って、私に深く頭を下げたおじいさんを、

私はずっと、黙って見ていた。


何も言えなかった。

ただ、心のどこかが、ぎゅっと温かくなって。

なんだか……自分の存在が、ちょっと肯定されたような、そんな気がした。



私さぁ……

なんか照れくさくてさ。

「風俗嬢にお礼なんていらないよ」なんて、強がるみたいに言っちゃったんだ。

冗談っぽく笑って、軽く受け流したくて。


でも──おじいさん、首を振って、まっすぐ私を見たんだ。


「そんなことないよ」って。

「関係ないよ、職業なんて」って。


「俺はね、毎日この駅で、たくさんの人を見てきたんだ」

「目も合わさない人。見て見ぬふりする人。避けて通る人」


「でも君は……真っすぐ見てくれた。声をかけてくれた。お金まで……」

「俺……こんなに優しくされたの、ほんとに初めてだよ」


その言葉を聞いて、胸がキュッとなった。

そっか……この人、ずっと誰にも“人”として見てもらえてなかったのかもしれない。

誰かの視界の中にいたはずなのに、いないみたいに扱われてきたんだ──って。


「……ありがとな」

おじいさんはもう一度、ふかく、ゆっくり頭を下げて。

風が吹いて、ダンボールの作品がカタカタ揺れた。


私は黙って、ただ「うん」とだけ言った。


それ以上、何も言えなかったんだ。

だけど──言葉よりも、あの空気の中に、何か大事なものが確かにあったと思う。



おじいさんが、ぽつりと口を開いた。


「……もう少しさ、人間らしい生活、しようかなって思ってるんだ」


私は、驚いたような顔をして、つい「え?」と聞き返してしまった。


「実はな、支援を受けられる法人ってのがあるらしくて」

「ちょっと前にも声はかけられてたんだ。でも……そのときは、なんのために生きるんだろうって……それが、もう、わかんなかったんだよね」


少し笑って、でもその目はまっすぐで。


「でもさ、今はなんとなく……なんとなく、もうちょっとだけ、生きてみようかなって思ったんだ」


駅前の騒がしさのなかで、時間が止まったみたいだった。


理由なんて、まだちゃんと見つかってないかもしれない。

それでも、“なんとなく”って言葉のなかに、確かな変化があった。

誰かの優しさが、ちょっとだけ、誰かを変える。

ほんの少し、前を向く力になる。


私は何も言えなくて、でも目の奥がじんわり熱くて、

たぶん、きっとあのときの私は──人生で初めて、ほんとうの「ありがとう」を誰かからもらった気がした。



私は、ぽつり…こう言ったんだ。


「……頑張って」


声が震えていたかもしれない。

でも、私にできたのは、それが精一杯だった。


おじいさんは少し照れたように、でもはっきりと頷いた。

「ありがとう。ほんとに、ありがとうね」

そう言って、目尻にしわを寄せて笑った。


それからは、なんとなく少しだけ世間話をした。

今夜は冷えそうだね、とか

そのTシャツ、似合ってるね、とか

ほんの、なんでもない会話。


そして──

「じゃあ、またね」

そう言って、私たちは別れた。


それが、最後だった。


次の日も、その次の日も──

駅前におじいさんの姿はなかった。

いつもの場所に、ダンボールの作品も、もうなかった。


きっと、あの人は、あの一歩を踏み出したんだ。


私は、それがとても嬉しくて、ちょっとだけ寂しくて──

駅前を通るたびに思う。


今頃、頑張ってるんだろうな。

人間らしく、生きてるんだろうな。

あの時の“なんとなく”が、今日も続いてるといいなって。



きっと、あの人は、

本物の「星」じゃなかったのかもしれない。


まがいもの――

いつかの日、誰かにそう言われたのかもしれない。


でも、あの日の夜に、

ボロボロの服で光の届かない場所で、

それでも誰かに見つけられたいと

ダンボールや針金で“なにか”を作っていたあの人は――


私にとって、間違いなく

星だった。


一瞬だけ、かもしれない。

でも、私の心を灯してくれた。

見て、話して、ありがとうをくれて、

少しでも「生きよう」って思ってくれた。


それだけで、

きっと、十分だ。


駅前を通るたびに、

ふっと見上げる夜空の、どこかの瞬きに──

私は今でも、

「ありがとう」と思う。


まがい星なんかじゃないよ。


ちゃんと、そこにいたんだ。

あの時、私とすれ違って。

ちゃんと、光ってたんだ。



終わり

この物語は、私が実際に出会ったおじいさんとの出来事をもとに書きました。

あの頃の私は未成年で、まだ何も知らなくて。

けれど、あのおじいさんとの出会いが、今も心のどこかで光ってるんです。


あれから本当に会っていません。

でも、きっと、どこかで元気にしてくれていたらいいなって、

今でも、ふと、願ってしまいます。


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― 新着の感想 ―
読み始めてすぐに登場人物たちの心の動きに引き込まれました。風俗で働く私と駅前で作品を作り続ける彼の出会いが互いの心に温かい光を灯していく様子がとても丁寧に描かれていて感動しました。汚れてなんかいないよ…
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