第8話 魂で視る者
習った通りに剣を上段に構えるティガスとは対照的に、ガレリードは棒立ちでだらりと剣を下げたまま告げた。
「……いつでもいいぞ。さあ、どこからでもかかってこい」
いつでも対処できるという余裕だろうか。
それとも――?
ふたりの距離は、3歩踏み込めば剣先が届くほど。
ひと息で、というほどではないが、遠くもない。
ティガスは間合いを維持したままじっとガレリードを凝視し、つい上がってしまいそうな呼吸を整える。
(落ち着け……!)
緊張で心臓が飛び出そうだった。
だが、ただでさえ格上と思われる相手だ。
緊張で本来の力が出せないのでは話にならない。
そう自分に言い聞かせた。しかし――
「ふふ……。剣先が震えているぞ? 先ほどまでの勢いはどうした?」
ティガスの心中を察しているかのように、ガレリードはにやりと笑う。
そして、ゆっくりと剣先をティガスに向けた。
「……来ないなら、こちらから行くとしよう。――ハアッ!」
一瞬姿勢を落としたガレリードは、『タンッ!』という軽い音と共に大地を蹴った。
しかし、その音が耳に届くよりも早く、ティガスは反射的に斜め後ろに飛び退く。
「――くッ!!」
これまでの戦いで漂っていた煙をかき分け、黒い影が迫る。
――ザザッ!
ティガスは荒れた地面に足を取られぬよう、擦るように着地すると、すぐさま構え直す。
その目には、焦りの色がはっきりと見て取れた。
(速い……!)
重厚な鎧を纏っているはずのガレリードが、どうしてこれほど軽やかに動けるのか。
たった一歩の踏み込み――それだけでこの距離を詰め、空間を切り裂くような閃光が走った。
ティガスの脇をすり抜けた一撃は、髪の先を掠めただけだった。
しかし、改めて『死』を予感させるには十分な重みがあった。
「……やはり勘が鋭いな。見えているのか、それとも視えているのか……?」
ガレリードは再び剣を下げ、悠然と距離を取る。
「だが、それだけではお前に勝ち目はない。……何か隠している力があるなら、早めに出すことだ」
その言葉に、ティガスの喉が音を立てて鳴った。
(……くそっ! 守りに入っても勝ち目なんてない。……こっちから行くしかない!)
そうだ。
先ほどの戦いでも、覚悟を決めて飛び出したからこそ、自分は今ここに立っている。
それがなければ今頃死んでいたのだから。
なら――
「――おおおッ!!」
大きく吸い込んだ息を燃え上がる咆哮と共に吐き出しながら、ティガスは斜め右方に地を蹴る。
「ハァッ!」
小柄な自分の弱点を少しでも有利に繋げるべく、できるだけ低く――相手から小さく見えるように――重心を落とし、相手の死角に回り込む。
しかし、ティガスの狙いはそれだけではなかった。
ティガスの攻撃を予想したガレリードの剣先が、彼の進行方向へと向いた次の瞬間――
右足で思い切り地面を蹴り、一気に向きを変えたティガスはガレリードの正面から剣先を突き上げた。
――ガキィン!
乾いた金属音が響き渡る。
しかし――
「甘いな……」
軽くいなされた剣の反動で態勢が崩された次の瞬間、ガレリードの肘がティガスの背中に叩き込まれる。
「ぐはっ……!」
一瞬、視界が揺れる。
打ち込まれる瞬間、なんとか躱そうと身体を捻ったものの、甘くはなかった。
鎧に覆われた肘の直撃を受け、ティガスは飛びかかった勢いのままうつ伏せに地面へと倒れ込んだ。
(……くそ……ッ! 早く――!)
すぐさま起き上がらねば、背中に剣が突き立てられることは必至だ。
それなのに、焦る気持ちとは裏腹に身体が動いてはくれない。
――だが、ガレリードは追撃しなかった。
代わりに、ぽつりと独り言のように呟く。
「……なるほど。やはり、それは目ではないのか」
ティガスは歯を食いしばりながら起き上がり、膝をつく。
「お前の動きは、視覚ではなく――もっと原始的な……例えるなら、感覚に近いものだな。ならば……どこまで反応できるか、試させてもらおう」
次の瞬間、ぞくっとした感覚がティガスを襲った。
(斬られる――!)
ティガスは跳ね起き、体を捻ってその気配から身を躱す。
しかし、ガレリードの剣は動いていない――
(動いてないのに、斬られた気がした……!)
ただの殺気――いや、斬るつもりという意志だけが、ティガスの感覚を強く揺さぶったのか。
「……やはり、お前は視えているな? その眼ではなく、魂で……」
ガレリードは淡々と告げる。
だがその不気味さに、ティガスの額には冷や汗が浮かんでいた。
(くっ! なにか他に手はないのか……? まともに行っても跳ね返されるだけだ)
ゆっくりと立ち上がりながら、必死に糸口を探す。
これまでは敵の攻撃の気配を捉えることで有利に立ち回ることができた。
しかし、ガレリードにはその手が通じない。いや、先の攻防を考えれば、それを逆手に取ることだって容易なのだろう。
(なら……向こうが予想できない動きをするしかない! セファーヌ、俺に力を……!)
これから自分ができる手はひとつしか思いつかなかった。
だが、それをすれば自分は死ぬかもしれない。
それでも……無駄死にするよりはずっといい。
「……行くぞ……!」
覚悟を決めたティガスは、ガレリードを見据えて剣を構え直す。
「ほう……良い顔だ。これは楽しめそうだ……」
ティガスの顔を見て口角を上げたガレリードは、初めて腰を落とし、しっかりと剣を構えた。
「……いつでも来い」
ふたりは間合いを取ってじっと睨み合う。
しんとした空間に、ふたりの息遣いだけが微かに流れる。
――先に動いたのはティガスだった。
軽く地を蹴り、まっすぐにガレリードに飛び掛かる。
――ガキン!
振り下ろされた剣を自らの剣で受け止めたガレリードは、それを受け流しながら素早くティガスの胴を薙ぐ。
(一撃目はフェイント……)
ティガスは連続したふたつの気配を感じ取っていた。
恐らく、ティガスが避けることを見越しての連撃なのだろう。
そして一撃目をどう躱しても、強烈な二撃目は躱せる間合いではなかった。
(ならば――)
避けられることを前提としたガレリードの思惑の逆を突く――つまり、あえて一撃目を避けずに受けることで、突破口を見出そうとした。
――ザシュッ!
鈍い音が響く。
それと同時に切り裂かれた腹部から鮮血が吹き出し、ガレリードの顔に飛び散った。
「――なにッ!?」
ガレリードの声に一瞬の戸惑いが感じられた。
その僅かな隙に全てを賭け、ティガスは力を振り絞る。
「うおおおおおッ!!」
切られた痛みはまだ感じない。
ティガスは両手で力いっぱい握りしめた剣を、ガレリードに向けて振り下ろした。
――ガキンッ!
鈍い音が響く。
「くっ……!」
見れば、ティガスの剣は鎧に弾かれたものの、ガレリードの頬には明らかにそれとわかる一筋の切り傷を作っていた。
「やった……ぐぅ……っ!」
それを見届けると同時に、ティガスは突然襲ってきた激痛に腰を折り、顔面から地面に倒れ込む。
一方、ガレリードは呆然とした顔で自らの頬の血を手で拭うと、じっとティガスを見下ろした。
「その覚悟、見事だった……。しかし、命を落とせば、その才もまた失われる。惜しいな……」
ティガスは何も答えられない。
その代わり、地面には真っ赤な染みが広がっていく。
誰の目にもすでに手当の施しようがないことは明白だった。
「もはや手遅れだろう。……せめて苦しまぬようにしてやろう」
ガレリードはゆっくりと剣を高く掲げる。
「安心しろ。約束は守ると誓おう。……さらばだ、名もなき若者よ」
ほんの少しの迷いのあと、ガレリードは握りしめる手に力を込めた。
その瞬間、ガレリードは――なにか空間が揺らいだような感覚に囚われつつ――剣を振り下ろした。
――キィン!
しかし、その剣先は道半ばで甲高い金属音と共に弾かれていた。
「くっ!」
ガレリードは咄嗟に飛び退き距離を取った。
そして、突然自分とティガスの間を割って入るように転移してきた人影――ふたりの少女に向かってにやりと笑う。
「……やはり貴様が絡んでいたか」
ひとりは身体の大きさに見合わぬ大剣を構えた獣人の少女。
そしてもうひとりは、まるで光を放っているようにさえ見えるほどの魔力を放つ――魔女。
「……約束したでしょ? ならさっさと退きなさい。まさかひとりでわたしを相手にするなんて無謀なこと、するわけないわよね?」
前触れもなく現れた刻渡りの魔女――クィムサリアは、光る掌をティガスに向けたまま、ガレリードに向けて目を細めた。