第7話 命の灯
――ドオオオン!
これで何度目だろう。
腹の底に響くような轟音と共に、肌が焼けるような熱風が舞う。
しかしティガスにはその回数を数えていられるような余裕はなかった。
バルグ砦の前――砦を守るために急ごしらえで築かれた石積みの防壁は、今や瓦礫の山と化していた。
ティガスはその残骸の影に身を滑り込ませると、荒くなる呼吸を押し殺し、耳を澄ませる。
敵の気配、仲間の悲鳴、そして……何より、自分にできることを探すために。
(……くそっ。なんでこんなことに……!)
砦に配属されてまだ10日も経っていない。
自分に辞令が降りたときは、どこか他人事に感じていた。
しかし、いざこうして戦いが始まってみると、それまでの空気は一変した。
剣士主体で編成されていたバルグ砦の3つの部隊に対して、隣国バナサミクは魔導士を中心とした部隊だった。
故に接近しなければ戦いにならないことは明白だったが、敵の魔法の波状攻撃で近づくことすらできない。
あっという間に隊列は乱され、もはや皆が取れる行動は自分の命を守ることくらいだという有様だった。
(――ッ! ヤバいっ!)
全身の毛が逆立つような気配を感じて、ティガスは咄嗟に飛び退く。
頭で考えている暇はない。
その直後――
――バリバリバリッ!!!
一瞬視界が真っ白に染まったと同時に、これまでで最も大きな轟音――まさに間近に落雷でもあったかと見紛うような――が、ティガスの鼓膜を震わせた。
飛び散った破片が頬を掠め鮮血が噴き出す。
慌てて振り返れば、先ほど自分が潜んでいた瓦礫は木端微塵に弾け飛んでいた。
もしそのまま潜んでいたならば、今頃肉片に変わり果てていただろうことは間違いなく、ゾクッと背筋が凍った。
そこに敵の索敵役の声が響いた。
「――いたぞ! あそこだっ! 全員殺せッ!」
「くっ!!」
爆発からは逃れられたが、安堵している時間はない。
飛び出したことにより敵に見つかってしまったのか。
もはや、もう一度隠れたとしても無駄だろう。
(……だったら、せめて――)
倒れるなら、一人でも多く道連れにしてやる。
ティガスは剣の柄を強く握りしめ、崩れた石を蹴って前線へと駆け出した。
(――なんだ……!?)
覚悟を決めて走り出した途端、ティガスは自分の身体の軽さに気付く。
興奮して感覚が鋭くなっているのかもしれない。
(これなら……!)
自分でも驚くほどの速度で一気に距離を詰める。
それまで楽に勝てると踏んでいたのか、棒立ちで固まっていた敵魔導士3人を視界に捉えると、低い姿勢から一気に切り込む。
そして急所を狙い、素早く剣を走らせた。
「なんだっ!?」
「――ぐっ!」
「がぁっ!!」
あまり近接での戦いに慣れていないのだろう。
それに防具も剣での攻撃を想定したものではなかった。
その幸運もあり、急所――喉を切られた敵兵は、傷口を押さえながら倒れていく。
――そこからティガスの反撃が始まった。
一度自陣に入り込まれてしまえば、剣士の少ないバナサミク兵側は分が悪かった。
何度魔法を打っても、まるで風に舞う花びらを相手にしているように躱され、直撃させられない。
無論、広範囲の魔法を放てばそんなことはないのだろうが、それは味方も巻き込むことと同義であり、使用が憚られた。
そんな戸惑いもあり、対処に迷っているうちに、ひとり、またひとりと倒されていく。
もはや味方を道連れにしてでも止めなければならないのではないかと、覚悟を決めようとしたとき――
「お前ら、なにをしている……!」
戦場に低く、しかしはっきりとした怒声が響き渡った。
その声はティガスの耳にも届き、一瞬足が止まる。
声のしたほうを横目で見ると、それはバナサミク兵の本陣のほう――恐らく敵部隊の隊長が発した声なのだろう。
(アイツさえ倒せば……!)
その男と目が合う。
鈍い光を放つ黒い鎧。
それを隠すようにマントを羽織り、腕を組んでじっとこちらの様子を見ている様子には、敵ながら威厳すら感じられた。
『将』と言うにはまだ若く、恐らく30歳代半ばに差し掛かろうというくらいか。
明らかに他の兵士たちとは違うその立ち姿に、ティガスはごくりと喉を鳴らす。
「ガレリード様! ネズミの一匹、すぐに始末します!」
バナサミク兵の魔導士のひとりが叫ぶ。
しかし、ガレリードはそのほうを一瞥すらせず、じっとティガスを見据えたまま続けた。
「黙れ、役立たずが。――お前らとその若者では『覚悟』が違う。……いいものを見せてもらった」
ガレリードの言葉に、誰も言葉を発することができない。
そのまま満足そうに続ける。
「――それに、そこの若者……面白い力を持っているな? どこで得た?」
次にガレリードが問いかけたのは、明らかにティガスに向けてだった。
会話を邪魔するような真似はできないのだろう。
それとともに、それまで轟音が響いていた戦場に突然の静寂が舞い降りる。
ティガスには何を問われているかわからなかったが、何があっても対処できるよう剣を構えたままで聞き返す。
「面白い……? 何の話だ?」
「……まあよい。このつまらぬ戦にも飽きていたところだ」
少しだけ視線を横に流し、冷ややかに言い放つ。
「――お前ら、下がれ」
ガレリードが一歩前に足を踏み出すとともに、他のバナサミク兵はティガスを取り巻くように慌てて距離を取った。
(しまった……!)
こうして距離を取られてしまえば、魔法の使えない自分では対処しようがない。
敵将の声に足を止めてしまったことを悔やみながら、キッとガレリードを睨んだ。
「ふ……。お前にチャンスをやろう。このままではお前に勝ち目がないことは明白だが……。もし、先ほど俺が止めなければ、こちらの被害はもっと広がっていたであろう。それは本望ではない。……そこで、だ。俺と一対一で戦って、万が一俺にかすり傷でも負わせることができれば、この場は退くと約束しよう。どうだ?」
「な……に……?」
ティガスはその提案に驚きを禁じ得なかった。
敗戦濃厚である自分たちにとって願ったり叶ったりの提案だが、果たして本当に敵がその約束を守るのか、もちろん確証は持てない。
しかし、その提案を飲まなければ、わずかに生き残っている自軍の兵士もろとも、全滅させられるだろうことも確かだ。
となれば――やるしかない。
ティガスは真剣な眼差しでガレリードをまっすぐに睨み、答えた。
「……わかった。その提案を飲もう」
「その覚悟……いいぞ」
ガレリードは満足そうに頷くと、外したマントを付き人に預け、ゆっくりと歩みを進めてティガスに近づく。
同時に、バナサミク兵たちは更に距離を取り、ふたりの戦いの邪魔をしないよう、ぐるりと取り囲んだ。
「ふ……。血が滾るな。これこそ久しく忘れていた感覚だ……。――その命で、思い出させてみろ」
ガレリードはゆっくりと剣を抜きながら、まるでティガスの心の奥底を見透かすように目を細めた。