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第6話 記憶のほころび

「――ハアアッ!」


 気合が入ったロルフの重い一撃が、間一髪のところで躱したティガスの肩口をかすめた。


(やっべぇ……!)


 訓練用の木剣とはいえ、もし直撃していれば脳天が割れるほどの強烈な一撃だ。

 二撃目が来る前に、ティガスは急いで後ろに一歩飛び退いて剣を構えなおした。


「ちょっとは力加減しろよ、ロルフ!」


「手加減してたら訓練の意味ねーだろ!」


 ふたりはナヴィル国の王都軍の敷地内にある訓練場で、木剣を交え続けていた。

 周囲に広がる訓練兵たちの掛け声、剣戟の音、教官の怒鳴り声。

 そのどれもを意識から遮断して、ティガスは目の前の相手だけに集中する。


 これまで幾度となく剣を交えてきたロルフは、相変わらず手強い。

 剣の腕も自分と互角以上だし、体格や筋力でも敵わない。

 だが――


(この()()……次は左下から来る!)


 ティガスは腰を低く落とし、ロルフの力強い踏み込みにあわせて一瞬だけ身を逸らす。

 そして、大振りで空いた胴へ鋭く打ち込んだ。


「ぐっ……!」


 ロルフがわずかによろめいたところで、教官が手を上げて試合を止める。


「そこまで!」


 息を整えながら、頭を守る兜を外したロルフが苦笑いを浮かべる。

 彼の額には玉のような汗が浮かんでいた。

 それは相手をしていたティガスも同じで、手のひらでその汗をさっと拭う。


「くっそー! 今度は勝ったと思ったんだけどな。……本番になるとやたら強いの、ほんとなんなんだよ、お前は……」


「さあね。でもたぶんそのうちロルフのほうが強くなるよ。俺は体も小さいから……。やっぱ最後は力があるほうが有利だって」


 ティガスは肩をすくめて答える。


「へっ! 将来負けてもいいようにって、今のうちから予防線か? ま、今に見てろよ。ははっ」


 ロルフはそう言って笑う。

 ふたり揃って王都軍に志願し入隊してから、こうして共に訓練してきて、これまで何度も繰り返されたセリフだ。

 「次は勝つ」とロルフは心に誓いつつも、体格が劣るにもかかわらず、自分と対等以上の戦いぶりを見せるティガスに信頼を置いていた。


 二人が笑い合いながら、休憩のために木陰で向かったそのとき、近くの建物のほうから軽やかで澄んだ声が飛んできた。


「おつかれさま、ふたりとも」


 陽光を浴びて、淡い栗色の髪がきらきらと光を放ちながらふわりと揺れる。

 それはティガスの妹であるセファーヌだった。


「セファーヌ!」


 ロルフの声がほんのわずかに上ずる。

 ティガスも振り返り、気恥ずかしそうに手を上げながら、妹に向かって声を掛けた。


「今日も仕事が忙しいって言ってたんじゃない? 平気なの?」


「うん、ちょうどお昼の休憩時間だったから。差し入れ、持ってきたよ」


 彼女が持っていたのは、ガラスの瓶に入った冷たい果実水と、焼き菓子の包み。

 そういえば、朝せわしなく何かを作っている様子を見ていたけれども、これだったのかと気づく。


 2年前にティガスが王都軍に入団すると決めたとき、一番気がかりだったのは村に残ることになったセファーヌのことだった。

 彼女は身体が弱く、5年前には大きな病気で死の淵を彷徨っていたこともあったからだ。


 しかし、実際にティガスが王都でひとり暮らしをしていたのは1年足らず。

 その後のセファーヌは勉学に精を出し、王都で文官としての任を得て、今は兄妹ふたりで日々を過ごしていた。


 手作りと思われる焼き菓子を受け取ったティガスは、ぱちぱちと目をしばたたいた。


「……そういえば、前に熱出したときにも似たようなの作ってくれたな。あの時はあまり味がわからなかったけど」


「ふふっ、あのときはお兄ちゃんが頑なに『俺は大丈夫だ』って言ってて、結局全然熱下がらなかったんだよね。最後には突然倒れちゃうし、心配したんだよ?」


 セファーヌが柔らかく笑う。

 ロルフもそのやりとりを見ながら、ティガスの肩をバシッと叩いた。


「まったくだな。頑固なんだよな、こいつ」


「うるさいな……お前は元気すぎるくらいだったろ」


「ははっ、一度決めたらやり通すってとこだけは尊敬しててやるよ」


「なんか……言い方がお前らしいなぁ」


 と――。

 ふとセファーヌがティガスの脇腹に目を遣り、はっと声を上げた。


「あれっ? お兄ちゃん、血が出てる? ちょっと見せてっ」


 見れば、質素な訓練服に血が滲んでいるようで、鮮やかな赤色に染まっていた。


「――えっ? いつの間に?」


 ティガスにはその自覚がなかったのか、きょとんとしながらも、セファーヌが上着の裾を捲りあげるのに身を任せる。

 しかし――。


「……うそ。もう……ほとんど跡しか残ってない……?」


 傷口と思える場所には血がべったりと付いていたけれども、それを濡らしたハンカチで拭うと、うっすらと痣のような跡が残っているだけだった。

 まだ血を流してからあまり時間が経っていないように見えるにも関わらず、だ。


「ははは、お前、本当に人間か? たまに予想外の動きをするしな。なんか憑いてるんじゃねーの?」


 冗談交じりでロルフが笑う。


「え? そ、そうかな……? 気のせいじゃない?」


 そう返したものの、確かにいつの頃からか、多少の怪我をしても気にならなくなったような。

 それがいつからだったか、考えようとすると不思議と頭がぼんやりとしてくる。

 まるで、何かを思い出すことそのものが、どこか遠くから拒まれているような感覚だった。


「少なくともガキの頃はそんなことなかっただろ? ほら、どっちが勇者役やるかってんで、血が出るまで引っ掻き合いしたっけ?」


「……覚えてない」


 ロルフが昔を懐かしむように苦笑いするが、ティガスは首を傾げるばかり。

 しかしセファーヌが眉を顰めながら口を挟んだ。


「あー! それ、あったあった。手当てするの大変だったんだからね! あんまり無茶しないでよね」


「あはは……。善処するよ」


 はっきりとは思い出せなかったが、ロルフはセファーヌに合わせて頭を掻いた。

 そのとき、近くの荷馬車の陰で休んでいた兵士たちの会話が、風に乗って聞こえてきた。


 「……そういや、『魔女』について、お前どのくらい知ってるんだ?」


 「魔女? ああ、お前が言いたいのは『刻渡りの魔女』ってヤツか? 魔女のなかでも、とびきりヤバいって3人。そのふたりが百年前の魔女戦争で大暴れしたとか……」


「そうそう。その戦いの余波であんなでっかい砂漠ができたって伝説じゃんか。それが本当なら人間じゃねぇよ、バケモンだ」


「でも、最近は話にまったく聞かないよな。ま、戦争で死んだんじゃねぇの? そのほうが良いって」


 興味半分、噂話の類だろう。

 だが、『魔女』という言葉に、ティガスの心が微かにざわめいた。


「……魔女……か」


 隣で立ち上がろうとしていたロルフが、肩越しにティガスを見る。


「どうした?」


「いや……特には……」


「ふーん、そっか」


 さほど興味がないようにロルフが呟く。

 だが、言葉にはできない違和感だけがティガスの胸の奥で静かに燻っていた。


 そのとき――

 ティガスの思考は突然の来訪者によって破られた。


「ティガス・ニルヴィエ!」


 隊長代理の男が真剣な面持ちで駆けてくるのが視界の片隅に入った。

 はっと顔を上げて、ティガスとロルフが直立する。


「はいっ!」


 敬礼して応じると、男は手にしていた巻紙を差し出した。


「急遽、辞令が出た。国境のバルグ砦への配属が決定された通知だ。明朝、第三部隊と共に出立する」


「……っ!」


 それまで和やかだった空気が男の言葉で一瞬にして凍りついた。

 ティガスは震える手で巻紙を受け取り、素早く目を通す。

 確かに、そこには自分の名前と、戦線への配属命令が記されていた。


「いきなり、どうして……?」


「西方の隣国・バナサミクの動きが不穏だ。偵察隊と思しき部隊が国境近くで何度も目撃されている。まだ詳細はわからない。ただ、これは俺の私見だが……かなり緊張した状態なのだろう」


 そう言い残すと、隊長代理は再び訓練場の向こうへと去っていった。

 その手にはまだ巻紙が幾枚か握られていたことから、ティガスのほかにも辞令が出た者がいるのだろう。

 そして、その対象にロルフが入っていないことは状況から明白だった。


 その場に、静寂だけが残る。


「お兄ちゃん……」


 セファーヌの声は、どこか不安げだった。


「……大丈夫だよ」


 ティガスは苦笑しながら、妹の頭に手を置いた。


「……誰かがこの国を守らなきゃいけないんだ。だから、俺が行ってくるよ」


「でも……」


「心配するなって。何があっても帰ってくるよ。お前が待ってる場所に、必ず。……これまでだってそうだったろ?」


 ティガスの声は静かだが、強く響いた。

 その横で、ロルフが拳を軽く突き出した。


「しみったれた顔すんなよ。お前ならやれるさ。……でもさっさと片づけて戻ってこいよ。次は、俺が勝つ番だからな」


 ティガスも手を上げると、拳をコツンとぶつける。

 その音は他の訓練兵の剣戟の音にかき消されたが、ふたりの耳にははっきりと届いていた。

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