第4話 魔女の呪い
ティガスが森を抜け、村への門をくぐった瞬間、周囲の視線を一身に浴びた。
すぐさま感じ取ったのは「よく戻ったな」という類のものではない。
どちらかといえば 「お前、どこに行ってた?」 という、詰問の色を帯びたものだった。
もちろん視線だけでは本当にそうなのかわからなかったが、それは黙って村をひとり飛び出したことを後ろめたく思っていたことと、魔女から口止めされている焦りからそう感じたのだ。
(……まずいな)
ティガスはごくりと喉を鳴らした。
砂漠での喉の渇きとはまた異なり、緊張感からくるものだろう。
もちろん、伯母さんには看病を頼んで出てきたものの、1週間も村を空けていたのだ。
事前に理由を話せば間違いなく止められると思い、魔女の館に向かうことを誰にも話していなかったのも、その一因だ。
「ティガス! セファーヌを放って、どこをほっつき歩いてたんだ!」
最初に声をかけてきたのは、村の青年の一人、ロルフだった。
ロルフは自分と同い年であり、この村では唯一と言ってもいい幼馴染だ。
もちろん、幼いころから身体の弱かったセファーヌとも旧知の間柄でもある。
ティガスは苦笑いを浮かべながら、できるだけ自然な口調で答えた。
「えっと……。その……薬草を探しに出てたんだ」
「薬草? 1週間もかけてか?」
ロルフが疑いの目を向けてくる。
それも当然だ。村の近くの森にだって、薬草はそれなりにある。
わざわざ日数をかけて遠出する必要などないのだ。
――だが、ほかに適当な言い訳が思いつかない。
「う、うん。ほら、セファーヌの病気がなかなかよくならないからさ……。ロルフだって知ってるだろ? この前ナヴィルに行って調べてきたってこと」
「確かにそれは知ってるけどよ」
「そのときに、もしかしたら……って薬草を見つけたんだ。ただ、ちょっと遠かったから、みんなに心配かけないように……って思って」
ティガスは咄嗟に妹のことを引き合いに出した。
セファーヌの容態が芳しくないことは、村の皆が知っている。
だからこそ、誰も簡単には咎められないはず――その計算は、当たりだった。
「……そうか。――で、それは見つかったのか?」
その言い訳に納得した様子で、ロルフはその首尾を問いかけた。
一瞬、どきりと緊張感が増した。
持っていない薬草のことをどう答えるか。
つまり、『見つけた』と言うか、『見つからなかった』と言うべきか、ということだ。
薬草というのは口から出まかせだから、もちろんこの手に持っていない。仮に見せろと言われても、見せられるはずがない。
しかし、『見つからなかった』と答えると、改めて別のことを追及される可能性もある。
そう考えたティガスは、魔女との話を思い返しつつ、上ずった声で答えた。
「も、もちろん見つけたさ。……うまくいくかはわからないけど」
ロルフは腕を組んだまま頷く。
「……そっか。なら、早く行ってやれ。お前がいない間、セファーヌの具合が悪化して騒ぎになってたんだぞ」
「えっ……!」
ティガスの心臓が跳ねた。
(……もし間に合わなかったら……!)
自分が村を出たのはセファーヌを救うためだ。
だが、その間に彼女の病状が悪化していたとしたら――
「わ、悪い! セファーヌのとこ、行ってくる!」
ティガスはロルフの横をすり抜け、全力で駆け出した。
砂漠を彷徨って疲れはあったけれども、あの獣人の少女――サリュサと言ったか――のおかげもあってか、思っていたよりも体力は回復していたらしい。
「セファーヌ!」
扉を勢いよく開け、ティガスは妹の寝室に飛び込んだ。
そこには、やつれた顔のセファーヌがいた。
彼女は薄い毛布を肩まで掛け、荒い息をしながらベッドに横たわっている。砂漠に向かう前と比べても、明らかに顔色が悪く感じられた。
そして、目を開ける力もないのか、固く閉じたままだ。
「お兄ちゃん……? よかった……。帰ってきて……」
セファーヌは掠れた声を絞り出す。
それは自分の体調のことよりも、兄の帰りを心配していたような、そんな安堵を伴った声だった。
そのことにティガスは胸が熱くなるのをはっきりと感じ取った。
「セファーヌ……!」
ティガスはそんな妹のベッドの横で膝を付き、その手をしっかりと握った。
上気した自分の体温のことを差し引いたとしても、その手は驚くほど冷たく感じた。
(頼む……! 早くセファーヌを……)
セファーヌの手を握ったまま、祈るような気持ちで後から来てくれると言っていたあの魔女の顔を思い浮かべる。
どうやってここに来るつもりなのかわからないが、自分を村の近くまで転移させたことを考えると、あの魔女にとっては容易いことなのかもしれない。
そして――
ほんの少し、部屋の空気が揺らぐような感覚を覚えて、ティガスは顔を上げた。
「――おまたせ。まだ大丈夫みたいね」
焦る自分とは異なり、落ち着いた声が響く。
声のほうを振り向くと、部屋の片隅にクィムサリアとサリュサのふたりが立っていた。
「……クィムサリア様!」
ティガスが名を呼ぶと、セファーヌもゆっくりと顔を動かした。
「……お兄ちゃん……? 誰か……いるの……?」
「ああ。お医者さんに来てもらったんだ。もう安心していい……」
まるで不安を抱える自分に言い聞かせるように、ティガスはセファーヌの耳元で囁く。
「ちょっと見せて」
クィムサリアはセファーヌを挟んでティガスの反対側からベッドに近づくと、少し腰を屈めて両手をかざす。
何かを感じ取ろうとしているかのように、その手をゆっくり動かしていた。
その表情は館で見たときとは大きく異なり、真剣そのものだった。
「……これは厄介かも……」
クィムサリアは小さくため息をついた。
そして額に向かって手を伸ばしかけて――そこで一瞬、ぴたりと止まる。
ごくわずかに震えた指先。
ほんの短い沈黙のあと、彼女は何かを振り切るように、前髪を静かにかき上げた。
(金色の……目?)
ティガスはクィムサリアの顔を見上げながら、前髪を落としていたのはこの目を隠すためだったのだとすぐに直観した。
これまで長い前髪で片目がずっと隠されていたけれども、露わになったその瞳は、不自然なほどの明るい金色に見えたからだ。
クィムサリアはその目を大きく見開き、じっとセファーヌを見た。
そして、彼女の視線は空中をなぞるようにゆっくりと移ろいでいく――まるで、ティガスには想像もつかない『何か』が彼女には見えているかのように――
やがて上げていた前髪を戻すと、そのまま手のひらで両目を覆い、左右に大きく頭を振りながら肺の空気を全て吐き出すほど長い息を吐いた。
まるで『視てしまった』ことを後悔しているかのように――
「……やっぱり。この子……呪われてるわね」
ティガスの顔色が変わる。
それまでどんな医者や魔導士に見せても未知の病気としか言われなかったセファーヌの症状を、こんな短時間で見抜いた魔女の観察眼に驚く。
しかし、それ以上に『呪い』という言葉に驚くばかりだった。
そして疑問がどんどん頭に湧いてくる。
「呪い……? 誰かが……妹に? 何のために……?」
クィムサリアは難しい顔をしたまま小さく頷いた。
「身体そのものには異常はないわ。でも、これはこれで対処に悩むわね……。うーむ……」
「クィムサリア様……」
腕を組んでじっと考えているクィムサリアを、心配そうな目でティガスが見上げる。
「普通の呪いなら、わたしでも解くことができるけど……。これは相当手の込んだ呪術みたい。少なくとも――『魔女』に近い実力がないとかけられないほどの……」
その言葉にティガスは息を呑む。
魔導士の中でも、特に強大な魔力を持つ者だけが『魔女』と呼ばれる。
理由はわかっていないが、例外なく女性の魔導士だけがその高みに到達できるからだ。
そして、このナヴィル国には、そのような存在はただひとりしかいない――クィムサリアを除いては。
「心当たりが無いわけではないけれど……。誰の仕業かは、わたしにも分からない。でも、わかることもある」
彼女は セファーヌの胸のあたりに手をかざし、そっと魔力を流し込んだ。
すると――
ふわりと、頭ほどの大きさの淡い紫色の模様が胸の上に浮かび上がった。
それはまるで、糸が絡まりぐちゃぐちゃになったような――
「……!」
ティガスは息を呑んだ。
「この呪いは、かなり前から――もしかしたら生まれたときくらいから埋め込まれていたようね」
「そんなときから……? でも、セファーヌは3か月くらい前までは元気で――」
クィムサリアの話に、ティガスは疑問を浮かべた。
セファーヌが倒れたのは最近だ。
それまでは貧しいながらも自分とふたりで仲良く、この村で元気に暮らしていたのだから。
「そうでしょうね。……この呪いは、強力な魔力を持つ者だけに発症するように構成されている」
「魔力を……?」
「ええ。つまり、あなたの妹さんは魔導士の素質がある。だから、この呪いが目覚め始めたのよ」
ティガスは唇を噛んだ。
「じゃあ、どうすれば……!」
「残念だけど、呪いを完全に解くのは無理ね」
「……ッ!」
その一言に、ティガスの背筋が凍る。
この呪いを見抜いたクィムサリアですら、呪いが解けないというのであれば、もう他に手の打ちようがないことは明白だ。
しかし、クィムサリアは落ち着いた口調で続けた。
「まあ待ちなさいって。呪いは解けなくても、『発症』しないように抑えることはできると思うわ。試してみるね……」
クィムサリアはそう言うと、もう一度手を伸ばし、セファーヌの上に浮かんだままの模様にそっと触れた。
「――遮断せよ」
その瞬間――空気が凍りついた。
クィムサリアの手から淡い光が溢れ、浮かび上がっていた呪いの模様がかすかに揺らぐ。
静寂の中、ティガスは息を詰めて見守った。
そして――魔女の魔法が、発動した。