第27話 地下室にて
鍵を開けても、檻の中で壁にもたれて座り込んでいる少女は、さしたる反応を示さなかった。
いや、示すほどの気力もないのだろうか。
しかし、サリュサが近づくと少女はやせ細った体を小さく震わせ、虚ろな目でわずかに視線を向けた。
明かりのない地下室内は暗く、サリュサの顔はあまり見えないだろうと思われるが、あまり警戒している素振りはない。
それでも、サリュサがゆっくりと手を伸ばすと、少女は小さく首を振った。
「大丈夫。……助けに来ただけ」
優しく声をかけると、少女の瞳がぴくりと揺れる。
サリュサは構わず、言い聞かせるようにもう一度声をかけた。
「……声は出さないで」
そう言ってから、サリュサは唇を噛む。
今の少女の状態からすれば、大きな声が出せるようにすら思えなかったからだ。
血色も悪い。
ただの布切れとも言えそうなほどの白い服の下には、下着も身に付けておらず薄っすらと肌が透けて見える。
そして良く見れば、その肌にはいくつもの新しい痣が見て取れた。
(『商品』だとすれば……もっと見た目には気を遣うはず……)
少なくとも、先ほど階上で見た少女達には、そんな痣は無かった。
となれば、もはやこの少女には商品価値がないのだろうか。
――もし、何らかのはけ口としてこの痣が付けられたのだとしたら。
サリュサはそう考えるだけで頭に血が昇りそうになるのを、ひとつ深呼吸して抑え込む。
そして懐から小さなワイヤーソーを取り出す。
細く、鋭く、そして目立たない道具だ。
力自慢の大男を相手にしたとしても、筋力では引けを取らないと自負しているけれど、いつも力だけで切り抜けられるとは限らない。
だから、小技も身に付けておかないと、いざというときに主の役に立てない。
(ま、リア様だったらこんなの簡単なんでしょうけど……)
クィムサリアならこんな首輪くらいあっという間に破壊するだろうと思いながらも、サリュサは首輪の金属部分にそれを当て、静かに引き始めた。
ギリ……ギリ……と、微かに金属の摩擦音が響く。
「……だ、だめ……!」
そのとき、サリュサは初めて少女の声を耳にした。
かすれた小さな声と共に、少女はわずかに首を振る。
――そのとき。
(……っ!?)
突然、鼻を突くような刺激臭が立ち上った。
経験のないけれど、鋭く、鼻腔を焼くような匂いに、サリュサはとっさに息を止めた。
しかし、既に遅かった――少しばかり吸い込んでしまった毒気に、喉がかすかに焼ける。
「ゲホッ……!」
この時ばかりは自慢の嗅覚を忌々しく思いながら、必死に吐き気を堪え、首輪から身体を引いた。
その一瞬、少女の目が恐怖に染まったことに気づく。
(もしかして、逃走防止のため……!? この子、知っていた……?)
恐らく首輪の内部に何らかの毒性ガスが封じられていたのだろう。
無理に外そうとすれば、それが放出される仕組みか。
――シンプルな構造だが、捕らえられた側が逃げる気力を失うには、十分すぎる仕掛けだった。
(どうする……!)
見れば少女も苦悶の表情を見せているではないか。
一瞬とはいえ吸い込んだ感覚からは、幸いにして致死性があるほどの強度はなさそうではあるものの、対処を間違うと自らも少女も危険だ。
油断していたつもりはなかったが、安易な行動に歯ぎしりする。
だが、今はそれを後悔している場合ではなかった。
――ぱちっ。
不意に、地下室の壁に等間隔で取り付けられているランプが点いた。
それまで真っ暗に近かった室内が明かりに照らされる。
直後、地下室への階段を歩く足音が響く。
ひとりではない。
正確なところはわからないが、少なくとも片手……5人ほどに思えた。
(ちっ、気づかれたか……)
何故自分の動きがバレたのかはわからなかったが、それを考えても仕方がない。
そう考えながら立ち上がろうとすると、一瞬視界がふらついた。
(くっ……!)
先ほど吸ったガスの影響だろう。
手をしっかりと握ってみるものの、いつもほどの力が入らない。
サリュサは眉を顰めつつ、懐に忍ばせていたナイフをぎゅっと握りしめて備える。
カツカツカツ……。
階段のほうから、男たちがこちらに向かって歩いてきていることがはっきりとわかる。
その淀みない足取りは、あえて存在を誇示しているかのようだ。
サリュサはフードの奥からその気配を読み取り、唇を噛む。
そして、このまま狭い牢の中にいたのではこの少女も巻き込んでしまうことを理解し、ゆっくりと立ち上がると、廊下に向かった。
(……大丈夫。戦える)
歩きながら、自分の体の状態を確認する。
万全とはいえないものの、普通の人間に後れを取ることはないはずだ。
一瞬振り返り少女の顔を見た。申し訳ないが、今は自分のことを優先させなければならないと言い聞かせながら。
檻をくぐって廊下に出ると、ちょうど男たちが階段を降りたところが視界に入る。
それはすなわち、向こうからも自分の姿が見えていることにほかならない。
サリュサの姿を認めて足を止めた男たちは、黒い服装のうえ更にマスクで顔を覆い、目元だけが露出していた。
手には抜き身の短剣など、狭い場所で扱いやすい武器。
一流の傭兵とまではいかないが、少なくともそれなりに手練れの用心棒に思えた。
サリュサはナイフを握った手を懐に入れたまま、無言で体勢を低く構える。
それを見た男たちもゆっくりと身構えた。
(……倒す必要はない。一気に抜ける!)
そう心の中で呟いたあと、床を蹴り疾風のように飛び出す。
瞬間――彼女の身体は黒い影のごとく一閃し、甲高い音と共に最前列の男の武器が折れ、天井に突き刺さった。
そのままの勢いですり抜けながら、続く二人目の腕を蹴り払い、三人目の男にナイフを突き出す。
――キィン。
しかし、腕を狙った軌跡は、金属音と共に向きを変える。
すかさず二度目、三度目とナイフを振るうものの、いずれも相手の獲物に弾かれて届かない。
(見切られてる……?)
相手の動きを見るに、恐らく自分のほうが上手ではあるものの、あくまで退路を塞ぐように守りに徹している動きに、一度足を止めて大きく飛び退き距離を取る。
だが――
(……っ! まさか……別のガス……!?)
普段ならなんでもない着地。
そのはずが足に力が入らず、そのまま床に膝を付いた。
先ほど首輪から漏れたガスの名残が体内に残っていることは自覚していた。
だが、それとは別に――全く臭いも感じられないこの空気自体に、何か混ざっている――そんな違和感が喉を刺す。
男たちがマスクを付けている理由も、ここでようやく腑に落ちる。
「くっ……ぅ……」
ひと呼吸する度に力が抜け、視界の端がじわじわと滲んでいく。
いまさら息を止めたところで、手遅れなのは明らかだった。
(……だめ……だ……)
意識が朦朧とするなか、顔を上げようと歯を食いしばったとき――。
――ガツン!
頭の中に鈍い音が響く。
それでいて、近いようで遠いような……そんな他人事のようにも聞こえる。
それが鈍器のようなもので自分の頭を殴られたのだということに思い至ったときには、視界は血の色に染まっていた。
――そして、サリュサの意識はそのまま闇に沈んだ。
 




