第26話 見世物小屋
――夜の王都、裏通りの奥深く。
喧騒から遠く離れたその一角に、他の建物に紛れてひっそりと建つ小さな館があった。
外から見ればただの古びた洋館にしか見えない。
しかし、サリュサはそんな見かけだけのカモフラージュには誤魔化されなかった。
(……正面の扉は硬く閉ざされているのに、裏口はかなりの人の出入りがありそう……)
通りから隠された細い路地の奥にある扉は、頻繁に人が出入りしているのか、取っ手がすり減って光沢が浮かんでいた。
また、その扉よりも奥には蜘蛛の巣が張っているが、扉よりも手前にはそれも見当たらないことから、直近にも人が通っていたと推測できる。
となると、実際の出入り口はこの裏口ということなのだろう。
建物は二階建て。
耳を澄ませると、一階からかすかに声が聞こえてくることから、サリュサは二階から潜入することにした。
軽やかにベランダに飛びあがり、中の様子をそっと窺う。
窓にはカーテンが閉じられていたものの、人の気配は感じられなかった。
サリュサは音を立てぬように、慎重に窓の鍵を外し、するりと中へと滑り込んだ。
(……よし。誰もいない……)
部屋の中をぐるりと見渡す。
その部屋は書斎のような作りで、部屋の中央には机と椅子が置かれており、壁には書棚がある。
机は頻繁に使われているようには見えないものの、埃が被っていることもなく、人の痕跡がないわけではない。
そして、壁の書棚には、本ではなく帳簿のような資料が並べられていた。
暗がりの中、サリュサは身を低くしながら息を殺し、棚から手早く1冊の帳簿を抜き取った。
それは年季の入った革表紙のもので、8年ほど前の日付が書き記されている。
(ふぅん……)
パラパラとめくってみると、中には売上げや仕入れなどの金額が丁寧に記載されている。
そのことから、この場所がかなり昔から営業されていることを示していた。
(……これは大した証拠にはならない、か)
とはいえ、内容はごく普通の帳簿だ。
もし仮に自分が脱税を調べているのであれば、この帳簿にも意味があるのかもしれない。
しかし、今はそうではない。
サリュサは帳簿をそっと棚に戻し、改めて部屋の中を確認する。
ふと――
何気なく、机にある三段の引き出しのうち、真ん中の段に目が留まった。
それは、なんとなく「そこに何かある」という直感に近いもので、野生の勘に近いものだろう。
強いて言うならば、その段の引手の金具だけが他よりもわずかに使い込まれている……という程度か。
サリュサは何気なく、その引き出しに手を伸ばす。
――カツン。
ほんのわずかに動いた引き出しは、小さな音を立て、それ以上引き出すことができなかった。
(他の段は……開くか……)
予想していた通り、その段以外の引き出しは、引っ掛かりもなくスムーズに開く。
しかし、それらの引き出しの中には何も入っていなかった。
となると、途端に鍵のかかった引き出しの中身が気になってくる。
(ふふ……。こんな鍵くらい簡単に……)
サリュサはにやりと口元を緩める。
もちろん本業は盗賊……というわけでもないものの、長く生きたついでに暇つぶしとして、鍵師の真似事も経験があったからだ。
懐から取り出した針のように細い金具を、慎重に鍵穴に差し込んだ。
そして、感覚を研ぎ澄まし、中のピンの動きを感じ取りながら順番にロックを外していく。
――カチャ。
小さな音と共にシリンダーが半回転する。
そっと引手を引くと、先ほどそれ以上引くことのできなかった引き出しが、スムーズに引き出された。
その中には……一冊の帳簿。
先ほど本棚に並べられていた帳簿と似てはいるものの、それよりも更に使い込まれた感があった。
そっと表紙を捲る。
(これは……名簿……?)
どうやらこれは、会員名簿か関係者名簿か、そういった類のもののようだった。
(……さすがに名前は暗号になってるか。それはそうよね……)
暗号になっているということは、解読手段もどこかにあるのだろうが、それを探している時間はない。
それにこの部屋の中にあるとも限らない。
ただ、この名簿を確保すれば、何らかの「証拠」になりえると判断し、サリュサはそっとそれを懐に滑り込ませた。
そして、再び物音を立てないように身を起こす。
部屋の捜索はここまでとする。
次に廊下に出ると、いくつかの扉の閉まった部屋があり、その突き当たりに一階に降りる階段が見えた。
近くに誰もいないことを確認したあと、音を立てぬよう一歩一歩、階下へと向かう。
階段を下りたあと、正面には古びた扉があり、その隙間から僅かに光が漏れている。
サリュサはそっとその隙間から中を覗き込んだ。
(……扉の向こうはすぐにホールになっているみたいね……)
――そこには、聞いていたとおりの光景が広がっていた。
ホールの中央には大きな円形のテーブル……とういうより、舞台のような台座が誂えられていた。
台座の高さは女性の目線くらいだろうか。
その周囲には、パーティ会場のように円卓がいくつも配置されていて、席には酒に酔った男たち――5人ほどだろうか――が笑いながら台座のほうに下卑た視線を向けていた。
そして――肝心の台座の上には、数人の少女たちが並ばされていた。
少女たちはみな同じような、薄手のレース生地の衣に身を包んでいて、首には目立つ大きな金属製の首輪。
下着を身に付けていないのだろうか。
ランプの明かりに照らされて、透けた衣からそのように見えた。
そして、噂通り、少女たちには獣人の特徴である耳と尻尾があった。
(ホントーに趣味が悪いわね……。でも……)
サリュサは視線を少女たちに向け、よく観察する。
確かにそれは耳と尻尾に見えるものの、それらが『本物』でないことは一目で分かった。
(……やっぱり。獣人じゃない。ただのコスプレ……)
自分と同じ獣人が見世物にされている、という危惧から解放された安堵感は正直多少はあった。
しかし、それでも怒りはこみ上げてくる。
恥辱に耐えるように顔を伏せる少女。
無理やり笑顔を作って手を振る少女。
ここでは彼女たちは『商品』なのだろう。
――と、そのとき。
ひとりの客――中年で小太りの男――がスタッフと思われる男性を呼びつけると、そっと耳打ちするのが見えた。
話を聞いたスタッフは何度か頷いたあと、台座の上にいたひとりの少女を手招きする。
躊躇しながらも応じた少女は台座から降りると、その男性客に抱きかかえられるようにしながら奥の別室に連れられていった。
(もしかして、売れた……ということ? 本当に最低ね……)
サリュサはその光景を見ながら眉間に皺を寄せる。
別室で卑猥な行為をさせられるのかと想像でき、扉を開けて足を踏み込みたい衝動を必死に抑える。
(落ち着いて。……いま動いても、助けられるのは数人……。全貌を掴んでからじゃないと……)
そう自分に言い聞かせる。
「ふぅ」と小さく息を吐いて冷静さを取り戻すと、もう一度周囲を見渡した。
と――
先ほど二階から降りてきた階段の奥に、もうひとつ階下に続く階段があることに気づく。
それは夜目が効く自分ですら、死角になっていてこれまで気づかなかった階段だった。
(地下……? なるほど……)
フードの奥で耳をすませる。
下からは、かすかに湿気と……鉄と薬品の混ざったような匂いが漂ってきていた。
――「商品」である少女たちをどこに保管しておくか――
この館に忍び込む前からそれが気になっていた。
地上階であれば防音性も低く、声が漏れる可能性もあるだろう。
それに逃げようと扉を破ることもあり得なくない。
また、この館の外に保管しようとすると、営業するには毎日連れてこねばならない。
総じて、最もリスクが低いのは地下室だろうと読んでいた。
サリュサは音を立てぬよう長い階段を降りる。
湿度が高いのか、両側の壁にはびっしりと苔が張り付いていて、息が詰まる。
そして、階段を降り切ったその先にある大きな鉄の扉を開け、中へ身体を潜り込ませた。
――そこは、無数の扉が並ぶ狭い廊下だった。
まるで牢屋のように、小部屋のひとつひとつが鉄格子で仕切られており、その中には寝台と鎖、そして簡素な洗面器が置かれている。
(……ここが、あの子たちの「控え室」ね。……いや、違う。これは檻……)
今は営業中のためか、ほとんどの部屋は空だった。
だが、廊下の一番奥――ひとつだけ、荒い息遣いが漏れている部屋があった。
サリュサは身を屈めたまま静かにその鉄扉に近づき、格子の隙間から中を覗く。
(……っ!)
その檻の中には、やせ細った一人の少女が、壁にもたれて肩で息をしていた。
首には他の少女と同じく首輪が付けられていて、両手も簡易な枷で壁に繋がれている。
目は虚ろで、意識は朦朧としているように見えた。
(……病気?)
状況はわからない。
ただ、何らかの薬品のような匂いが漂ってくることから、彼女がここで『治療』を受けているのだとわかる。
その効果が出ているとは言い難い光景ではあったものの。
(……この子ひとりなら、連れ出せるかも)
サリュサは周囲に気配がないことを確認すると、先ほどと同じように懐から針を取り出し、そっと鍵を開けた――




