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第23話 契約の、その先へ

 その後、無事新しいケーキでお腹を満たしたあと、満足そうなクィムサリアを案内して、ナヴァール山へとやってきた。

 この山は王都の人々がよく登る山ということもあって、登山道もしっかりと整備されていて心配はない。多少、虫が鬱陶しいくらいか。

 とはいえ、この暑い時期の日中に好き好んで登る人は少なく、歩いていてもすれ違う人は稀だった。


 そんななか、肩で息をしながらヨロヨロと登っていたクィムサリアは、足を止めて天を仰ぐ。


「はぁ……はぁ……。ちょ、ちょっと……休憩させて……」


「うん。無理しなくていいよ」


 日々訓練しているティガスは軽い調子で頷く。

 そして木陰に置かれたベンチに腰かけた彼女の隣に、自分も腰を下ろした。


「大丈夫? 水飲んで」


「あ、ありがと……」


 クィムサリアは息を整えつつ、ティガスから水筒を受け取ると、ひと口飲み干して「ふぅ~」と大きく息を吐いた。

 彼女の肌からは玉のような汗が噴き出し、片目を隠す長い前髪がベッタリと額に貼り付いていた。

 手にしていたハンカチで汗をふき取りながら、彼女は山頂のほうを見上げる。


「……さ、先が長すぎる……」


 彼女の目には、その山頂は遥か遠くに見えた。

 まだ登り始めて半分にも満たないのに。


 自分の体力の無さを嘆きながら、この場にサリュサがいないことだけは感謝した。

 きっと彼女がいれば『普段全く運動してないからですよ。毎日、あたしと走りますか?』などと皮肉を言われそうだと想像して、少し頬が緩む。


「まだまだ時間あるから、ゆっくり休みながら行こうか」


「うん。ありがとう……」


 だいぶ息は整ってきた。

 もう少し休めばまた歩き出せるだろうか。

 そう思っていると、ティガスが何かを思い出したように口を開いた。


「そういえば……。リアって、砂漠じゃ飛んでたよね? そうすれば楽なんじゃ……?」


「あー……」


 彼が言ったのは、ティガスが使節団として砂漠に来た時のことだろう。

 その時、彼に同行して王都へ向かう道中では、確かに自分は歩かずに魔法で飛んでいた。

 それは自分の体力だと彼らに到底ついていけないからだ。


 今回もそれと同じことをすればいい、という彼の言葉はその通りだった。

 しかし――


「もちろん、そのほうがずっと楽だけど……。今回は自分の足で歩きたいの」


「それは運動のため?」


 聞き返したティガスに、クィムサリアはゆっくりと首を振った。


「ううん。昔、歩いて登ったことがあるの。だから今回も歩きたいなって。それだけ」


「そうなんだ。それじゃ、頑張らないとね」


 息が整ったころを見計らって、ティガスが立ち上がる。

 そして、クィムサリアの前に手を差し出した。


「そろそろ行こうか。でも、無理はしないで」


「うん。ありがと」


 その手をしっかりと握り返し、クィムサリアはゆっくりと立ち上がった。


 ◆


「ついたー!!」


 何度かの休憩を挟み、ようやくナヴァール山の山頂に着いたクィムサリアは、嬉しそうに両手を上げた。

 そして、シンボルツリーのように一本立っている大きな木にゆっくりと歩み寄る。


「お疲れさま。その木、休憩にちょうどいいよね」


「うん。……この木ね、実はわたしが植えたんだよ?」


 クィムサリアはティガスの言葉に頷きながら、笑顔で振り返った。


「え、そうなんだ……」


「ふふっ、驚いた? 懐かしいなぁ……。あの時は小さな苗だったのにね……」


 彼女は大木の幹をそっと撫でたあと、その木陰にあったベンチに腰かけて、今度は眼下に見える王宮を見下ろす。

 ティガスがその隣に座ると、彼女は目を細めて口を開いた。


「……王都はだいぶ変わったけど、王宮だけは変わらないね」


「あの王宮はすごく古いって俺も習ったよ」


「うん。わたしよりもずっと古い建物なの。……ティガスさんにだけは話しておくね。わたし、小さいころはあの王宮で育ったの。……王女として」


「え……。王女?」


 さりげなく話した言葉に聞き流してしまいそうになったものの、はっと顔を上げて聞き返す。


「うん。220年くらい前にね。わたしと妹のリエルヴァはそこで生まれたの」


「リエルヴァ……って、あの?」


 それは王宮の広場にもその名前が付けられているほど、国民なら誰しもが知っている名前だった。


「ふふっ、その名前はみんな良く知ってるでしょ? わたしとリエルヴァは双子だったの」


「そうなんだ……」


「でも、わたしはちょっと特殊だったから、双子なのは公にされなかったんだ」


 そう言いながら、彼女は前髪をそっと手で持ち上げて、金色の目をティガスに見せた。

 『特殊』というのはこのことなのだろう。


「顔はそっくりだったから、時々交代してたりしてたけどね。ふふっ」


 クィムサリアはその頃のことを思い出しながら小さく笑った。


「へえ……。その頃ってどんな生活だったの? 楽しかった?」


 ティガスは疑問に思ったことを素直に口にした。


「それなりに。いろいろ厳しくて、街にはあまり出られなかったけど」


「そうなんだ。だから……」


 王都の街を歩いているときに彼女が話したことを思い出す。

 王女が勝手に街を歩くなど、今でもなかなかできるものではない。現に、シェルヴァ王女が突然現れたなら、大騒ぎになることは間違いないだろう。


「うん。……でも、確か14歳の時かな。ヴァレリアが突然王都を襲ってきて。そのとき、リエルヴァがわたしの代わりに……」


 王宮をじっと見つめる彼女の目はうっすら潤んでいるようにも見えた。


「双子だって隠してたから、ヴァレリアはわたしのことには気づかなかったみたい。それからわたしは王都から逃げて、魔女になったの。……いつかまた、魔女が攻めてきたときのために」


「……そうだったんだ。そんなことがあったなんて、どこにも……」


 ティガスとしても、魔女に関する書籍はいろいろ目を通していた。

 しかし、彼女が語ったようなことは、どこにも記されてはいなかったはずだ。


「ふふっ、知らなくて当然。残ってたわたしの記録も、全部消してもらったから。……だってわたしが元王女だなんてわかったら、他の国からも狙われるでしょ?」


「そんな……」


 彼女の言葉を聞いて、複雑な気持ちが湧いてくる。

 自分の国のために、自らの存在を消去することを選ぶなど……彼女がどんな思いだったのか。

 それを感じさせない口調ではあったものの、きっと葛藤があったに違いないと思えた。


「あー、話せてすっきりした! サリュサだって全部は知らないと思う。ティガスさんは特別中の特別、だから……ね」


 クィムサリアはティガスのほうに顔を向けて、少し頬を染めた。

 そして、彼女はひとつ頷くと、真剣な目をした。


「……もう隠し事はしない。だから、一番大事なことも、ちゃんと伝える。……聞いてくれる?」


 それまでと変わり、その声は一段低いトーンだった。

 それは彼女が大事な話をする時の声だということを、今は良く知っていた。

 ただ、緊張しているのだろう。その手が小さく震えているのもわかる。


「もちろん」


 ティガスもその決意に応えようとはっきりと頷いた。


「――うん。……あのね、それは『魂を分ける魔法』のこと。……さっきは怖くて言葉を濁しちゃったけど、これが真実。……あの魔法は、二度と解けない。一度分けたものは、もう戻せないの……」


「え……。それは……」


 彼女の告白に一瞬戸惑う。

 しかし、すぐにそれまでの彼女の行動の『理由』がはっきりと繋がったことを理解した。

 それはつまり、なぜ彼女があんな『契約』を持ち出したのか、ということに。


「……最初は、ティガスさんのことが気になって、軽い気持ちで使っただけだった。でも……やっぱりダメだよね、って思って、魔法を解こうとしたんだけど……。どうしても元に戻せなくて……」


 本当に後悔しているのだろう。

 彼女の青い目にはどんどん涙が溢れてくる。

 ただ、顔を伏せることなく、まっすぐにティガスを見つめたまま、震える声を紡ぐ。


「……ごめんなさい……ずっと、ティガスさんの人生を勝手に巻き込んじゃったって思ってて……。でも……どうしてもあなたに頼らないといけなかった。……だから、せめて全てを終わらせるまでは……そばにいて……お願い……」


「リア……」


 クィムサリアの言葉からは、彼女の苦悩が痛いほど伝わってくる。

 そして、その意思も。

 彼女はヴァレリアとの戦いを終わらせたあとのことまで考えていたのだと。


 ティガスはそんな彼女の手をそっと両手で握った。

 彼女が自らの生まれた国のことを想っていることと同じように、自分もこの国のことを想っている。

 それ以上に、目の前の少女のことも……。


「大丈夫。たとえどんなことがあっても、俺はリアを恨んだりなんかしないよ。セファーヌや俺を助けてくれた事実は変わらないから……。――だから全部終わったら、一緒に……未来のことを考えよう」


「ティガスさん……」


 彼女の目に溢れた涙は、ついに溜めきれず頬を一筋の曲線となって流れ落ちる。

 しかし、その涙に宿っていたのは、後悔ではなく――心からの安堵だった。


「……やっぱり……ティガスさんで良かった……」


 クィムサリアは、ティガスの手をぎゅっと握り返しながら、溢れそうな想いを呟く。

 そして、そのまま隣に座る彼へとそっと身を預けた。


「……ずっと……こうして触れていたい……」


「……それって、魔法のせいで……?」


「たぶん……」


 それは自分でもはっきりとはわからなかった。

 もちろん、魔法の影響があることは間違いないけれど、きっとそれだけじゃない。

 色んな想いが混ざり合って、うまく整理ができなかった。

 ただ――


「近くにいるだけでもすごく安心できるんだけど……。直接触れると全然違うの。自分でもびっくりするくらい……」


 ――本当はもっと深くまで繋がりたい。

 つい求めてしまいそうになる独りよがりな想いを飲み込んで、クィムサリアは彼の手にそっと指を絡める。

 そして、恥ずかしそうにティガスの顔をそっと見上げた。


「だから……もう少しだけでいいから……このままで……」


「うん。リアの気が済むまで……」


「……ありがとう」


 クィムサリアは微かな声で呟きながら、ゆっくりと目を閉じた。

 少しでも彼の優しさを感じ取るために。

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