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第21話 静けさの中の影

 ――それから一週間。

 隣国バナサミクの動きはひとまず落ち着きを見せ、王都は一時の平穏を取り戻していた。


 王都軍の訓練場には、今日も朝から活気が満ちていた。

 戦争も今後どうなるかわからない情勢であり、皆真剣に訓練に打ち込んでいる。


 その中でも、ひときわ注目を集めていたのは、しばらく王都に駐留することになったティガスだった。

 バルグ砦で名を上げた彼との稽古を希望する兵士が後を絶たず、訓練場の隅では順番を待つ兵士たちが列を作っているほどだ。


「――次ッ!」


 ティガスの一太刀を受け、苦悶の表情をした兵士が後ろに下がる。

 それを見たティガスは、次の番の兵士に声を掛けた。

 彼の額には玉のような汗が滲んでいるものの、その動きにはまだ余力がありそうだった。


「おい、見たか? さっきの!」

「なんであれが避けれるんだ……?」


 そんな囁きが、訓練場のあちこちから聞こえてくる。


 ロルフはその様子を少し離れたベンチで見守っていた。

 模擬戦を一本終えたあとの汗をタオルで拭いながら、ぽつりと呟く。


「……やっぱ、すげえな、アイツ。前より動きがよくなってるじゃねぇか」


「そうなの? 私にはよくわからないけど」


 その背後から声を掛けたのはセファーヌだった。

 文官としての業務の合間なのだろう。

 夏用の薄い支給服を身に着けていて、手にしていた水筒をロルフに手渡す。


「あっ……セファーヌか。ああ、さっきのティガスの相手、結構できるヤツなんだよ。なのに、あっさり倒しちまった」


 ロルフはセファーヌから受け取った水筒を口にし、喉を潤した。

 そのまま彼女の隣に腰掛け、しばし黙ってティガスの姿を見つめる。


「もう……俺の手の届くレベルじゃないな」


「ふふっ、そんなことないでしょ。ロルフももっと頑張らないと」


 ロルフから珍しく弱気な発言が漏れたのを、セファーヌは軽く笑った。

 しかし――


「……でも、なんだか遠くに行っちゃった気がするの、わかるかも」


 ぽつりと、セファーヌが呟く。


「お兄ちゃん、この前の戦争のあと、急にみんなから注目されてるもの。王女殿下が気にかけているくらい。……それに最近あの子とずっと一緒にいるし」


 セファーヌは、別の場所から兄の訓練を眺めている少女に視線を向ける。

 ロルフもそれに釣られて、同じ場所を見た。

 そこには、訓練場の片隅の木陰に座って、のんびりと彼の様子を見ているクィムサリアがいた。


「ああ。リア、だったっけか。すごい魔導士、って話には聞いてるけど、どうなんだろうな。訓練してるところは見たことないし……」


 彼女は王女殿下の指示ということで、ティガスに常に同行しているものの、彼女自身が訓練をすることはなかった。

 いつも彼の近くで眠そうにしていることくらいしかわからない。

 ただ、自身の王都軍の上長であるバルガスが、何かと気にかけている様子は見受けられた。


「でも……。きっとお兄ちゃんは、周りのことなんて気にしてないと思う。だって、あのお兄ちゃんだよ?」


 セファーヌの言葉に、ロルフは目を丸くしたあと、ふっと照れたように笑った。


「そっか。……だったら、俺も負けてられねぇな」


「うん。応援してる」


 一方。

 そんなふたりのやり取りの裏で、自分のことを話しているなど気にもしていなかったクィムサリアは、ひとり静かにティガスの訓練を見守っていた。

 低めの椅子に柔らかく腰かけて、リラックスした様子で目を細めている。

 ――その姿はまるで、保護者が我が子を見守っているような、そんな雰囲気があった。


 そのとき――


 キィィンッ!!


 耳をつんざくような金属音とともに、ティガスの振るった稽古用の剣が折れ、その先端が弧を描いて宙を飛んだ。

 日差しを浴びてキラキラと光を放つそれは、まっすぐにクィムサリアのほうに向かっていく。


「あっ――!」


 ティガスが小さな声を上げた。

 ただ、今から何かできる時間はない。


 しかし――

 クィムサリアは表情も変えず、軽く片手を上げた。――まるで顔の前を飛ぶ羽虫を払うかのように。

 動作はそれだけだった。


 ――ジュッ!


 同時に嫌な音が耳に届く。

 それは焼けた鉄の棒を水に突き刺した時のような音。


 はっと気づいたときには、剣の破片はすでに存在していなかった。

 いや、正確には、空中でまるで霧のように『蒸発』していた。


 「な……!」

 「――ええっ!」


 訓練場がざわめく。

 彼女が何をしたのか理解できた者は多くなかったが、ひとつだけ皆が理解したのは、一切慌てることなく対処して見せたあの少女が只者ではないということ。

 ――欠片とはいえ、事前の詠唱もなく瞬時に硬い剣を消し去ることができる。

 それは、もし相手が人間だとしたら……と考えるだけで、見た者をぞっとさせるものがあった。


 そんな空気の中、涼しげな顔で佇むクィムサリアのもとへ、ひとりの男が歩み寄った。


「お見事です。……リア殿」


 それは使節団の隊長でもあった、バルガスだった。

 彼を含め、そのときの使節団の隊員はもちろんクィムサリアの正体を知っている。

 もっとも、固く口止めされていることは言うまでもないが。


「こんにちは、バルガスさん」


 クィムサリアは小さく微笑みながら頷く。

 バルガスは隣に腰を下ろすと、訓練場の様子を眺めつつ、低く呟いた。


「戦争が近い……こともあり、兵士たちの士気はかなり上がっております。訓練を見て、率直な感想はいかがでしょうか」


「そうね……。剣士の質は昔とそう変わってないと思う。ただ、相手は魔導士が主力だから、できるならこちらも魔導士や弓兵を増やしたほうが良いわね。砦に投石器を設置するのも効果的だと思うわ」


「なるほど。弓兵と投石器は、すぐにでも検討させるよう伝えましょう。ただ……」


 バルガスの口調が僅かに重くなった。


「魔導士はすぐには難しいかと。特に近年、新しく士官する魔導士の数が目に見えて減ってきているのです。……理由は不明ですが」


「……そうなのね」


 クィムサリアの瞳が、ほんの僅かに細められた。

 言葉には出さないものの、思い当たる節はあった。


(これは思っていた以上ね……。厳しい戦いになるかも……)


 そっと、握っていた手が少しだけ強くなる。


「引き続き、気になることがあれば。――失礼します」


 そう言って立ち去るバルガスの背中を見送りながら、クィムサリアはひとり、空に目を向けた。


 ◆


 訓練を終えたティガスが額の汗を手で拭おうとしたとき――

 その前に、ふわりと白い布が差し出された。


「おつかれさま。はい、タオル」


 差し出したのは、それまで木陰で座っていたはずのクィムサリアだった。

 日差しを浴びてキラキラと輝くグリーンシルバーの髪が風に揺れていて、その表情はどこか嬉しそうに目を細めていた。


「ああ、ありがとう。助かるよ」


 タオルを受け取りながら、彼女の表情を見てティガスも自然と笑みを浮かべた。

 クィムサリアはそのまま小さく首を傾けて尋ねた。


「……で、どう? たぶん、前よりもはっきりと『視える』ようになってるんじゃない?」


「確かに……そんな気がする。……でもなんで?」


「もちろん、わたしが近くにいるからよ」


 さらりと答えながら、クィムサリアは小さく人差し指を立てる。

 まるで授業の補足のような口ぶりだった。


「前に話したでしょ? あなたに預けてあるわたしの魂の欠片。あれはね、距離が近いほどリンクしやすくなるの。わたし自身がそばにいると、より強くなる……」


「そうなんだ……。そのあたりはいまいちよくわからないけど」


「ふふっ、頭で理解しようとしなくてもいいの。……わたしがすぐ隣にいる。ただそれだけでいいんだから、ね」


 そう言って、クィムサリアはくすっと笑う。

 ティガスはそんな彼女にタオルを返しながら尋ねた。


「そういや、サリュサは今日来てないんだ?」


「うん。……ティガスさんは知らないと思うんだけど、実はあの子って昼間が苦手なのよね」


 クィムサリアは悪戯っぽい笑みを浮かべ、続ける。


「獣人の体質らしいけど、どっちかっていうと夜行性で。だからたぶん今はぐっすりと……」


「へぇ……」


 それは初耳だった。

 いつでもビシッとしているサリュサにそんなイメージは一切無かったからだ。


 と――


「あのね、今日の午後は休みでしょ? ちょっと行きたいところがあるんだけど、付き合ってもらえる?」


 クィムサリアは上目遣いをしながら、ティガスの目をじっと見つめた。

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