第20話 理解と信頼
王都郊外の一角にティガスが借りている小さな家。
普段はそこで妹のセファーヌとふたりで暮らしていた。
滅多に来客が座ることのないソファには、セファーヌと向かい合って座ったティガスと、そのすぐ隣に不思議な雰囲気を纏った少女――クィムサリアがぴんと背筋を伸ばして座っていた。
ただ、理由こそわからないけれど、その表情には先ほどまでの緊張感が感じられなくなってきていた。
そして、その来客の従者――サリュサは壁際に立ち、状況を見守っている。
セファーヌは兄ティガスと、彼と並んで座る少女とを交互に見やる。
(……なんか、座る場所、違わない……?)
自分自身、時間が経ったことでだんだんと落ち着いてきたと自覚はしている。
しかし、初対面の少女が、なぜか兄と身体を寄せ合うように座っていることに釈然としない思いが燻る。
叶うならシェルヴァ王女に説明してもらいたいけれど、それは無理な願望だろう。
沈黙を破ったのはティガスだった。
「セファーヌ。先にひとつ、話しておかないといけないことがあるんだ」
思いのほか真剣な兄の眼差しに、セファーヌはついごくりと喉を鳴らす。
「この前のバルグ砦でのことはセファーヌも聞いているだろ? 実は……あのとき、俺の命を救ってくれたのは、このふたりなんだ」
「え……?」
兄の言葉にセファーヌが目を見張る。
すると、隣で座っていた少女――クィムサリアがそっと頭を下げた。
「あのとき、偶然近くを通りがかって……。ですが、力及ばず、ティガスさんひとりを助けるのが精一杯だったんです。残念でなりません」
先ほどまであれほどテンパっていた少女とは思えない、落ち着いた口調だった。
セファーヌは返す言葉を探しながらも、視線を彼女の手元へと向ける。
(……震えてない。さっきまではあんなに……)
その真剣な目を見ていると、少女の話に嘘偽りなど一切感じられなかった。
それに兄が自分に嘘など言うはずもない。
(……この子が……お兄ちゃんの命の恩人……)
せめてお礼を言わなければ、とセファーヌが口を開きかけたとき――
それを遮るように、サリュサが一歩前に出て口を開いた。
「ご心配されているかと思いますが、リア様とわたしの住まいは、こちらの隣家に用意されております。ご安心くださいませ」
「……え、隣?」
思考が中断されたセファーヌは、思わずオウム返しに問い返す。
同居ではないと聞き、心の奥で安堵の声を漏らすものの――
(そ、そっかぁ……。うん、いくらなんでも、いきなり同居しろとかはないわよね……。でも……)
ティガスの隣に座る少女と、四六時中『理解と信頼』を深め合う任務――
それはつまり、いま目の前のソファに並んで座るふたりの光景そのものな気がしてならない。
そんなセファーヌの胸中を見透かしたように、サリュサがさらに言葉を続けた。
「ちなみに『理解と信頼』について、僭越ながらご説明いたします。――リア様の魔法の特性上、また魔導理論においても、『魂の繋がり』が深いほど、魔法の出力効率が飛躍的に向上いたします。相互の連携における魔力の相乗効果も見込めるため――理解と信頼は、戦術面でも非常に重要な要素なのです」
「…………」
セファーヌの頭に『?マーク』が大量に浮かぶ。
正直、魔導士でもない自分には、あの従者の少女が何を言っているのかちんぷんかんぷんだった。
とはいえ、ひとつだけわかることがある。
この要求を出したシェルヴァ王女殿下は、もちろん表立って戦うことはしないものの、優れた魔導士でもあるということ。
そんな王女が認めたのだから、きっと間違いなどないのだろう。
しかし――
ひとつだけ、確認しておかねばならないことがあった。
「……リアさん」
セファーヌは改めて、リアに向き直った。
「王女殿下の命令だから、って……それだけで納得してるわけじゃ、ないよね? 『理解と信頼』って……あなた自身は、それで良いと思ってるの?」
クィムサリアはそっと目を閉じてしばらくの間、静かに考える。
そして――
「……もちろんです」
その声に、セファーヌは一瞬、どきりと胸が跳ねる。
彼女の声は、それまでの少女のものとは全く違って聞こえた。
「これはわたしの意志。……王女殿下の命令以前に、わたし自身の希望でこの場所へ来たんです。ティガスさんがいるこの国を守るために……」
一瞬、言葉が途切れたが、リアはまっすぐセファーヌを見て続けた。
「――わたしのすべてをかけてでも……」
その言葉はあまりにも静かで、重かった。
セファーヌは思わず言葉を失い、彼女の決意を頭の中で繰り返す。
(私には……そんなこと口にできない……)
仮に自分に人並ならない魔法の心得があったとしても、果たしてこれほどまでに国を想う決意を口にできるだろうか。
ましてや、その力すらないのだから。
(この子……すごい……)
王女殿下はそれを知っているのだろう。
だからこうして手紙まで書いて理解させようとしたのだと、いまはっきりと分かった。
ただ、彼女の決意に対して自分がどんな言葉をかければいいのかわからなくて、セファーヌは少し顔を伏せた。
どんな言葉を紡いでも、彼女の言葉に比べると薄っぺらい気がして……。
――その沈黙を破ったのは、壁際に立つ少女だった。
「……そろそろ夕食にしませんか。セファーヌさんのその食材……恐らくヴァス鴨のトマト煮込みを作るおつもりなんでしょう? 僭越ながらあたしもお手伝いしますから」
「え……。なぜそれを……?」
買い物袋の中身は見せていないはずだ。
それなのに、何を作るつもりだったのかピタリと言い当てたことに驚きの声を上げた。
「はい。コクのある独特の匂いから、ヴァス鴨の丸鴨だとすぐにわかります。それに天然モノ……奮発しましたね。あとはサラダにするには熟れすぎたアビラ種のトマト。それに生ハーブ……。それらから想像すれば答えはひとつです」
自信満々にそう答えたサリュサがにやりと笑う。
それまでほとんど変えなかった彼女のその表情は、目の前の少女とは別の意味でゾクッとするものがあった。
(まさか匂いだけで……? あり得ない……)
――そのときだった。
セファーヌの視界の端で、何か黒い影が『すっ』と床を横切るのが見える。
(あっ……!)
確かめようと反射的に目を向けたときには、すでに別の影が動いていた。
その影――サリュサは目にも留まらぬ速さで床を蹴ったかと思うと、テーブルに置いたままだったペーパーナイフを手にし、流れるような動きで空間を切り裂いた。
一瞬の閃光のようにさえ見えたナイフの先には、見事に串刺しにされた黒い影。
その長い触覚と手足がほんの少しピクピクと動いていた。
(……い、今のって……アレ……だよね……!?)
お目汚しとばかりにセファーヌからその黒い影を隠しながら、サリュサは涼しい顔で言った。
「……失礼、虫がおりましたので」
そしてサリュサは何事もなかったようにスカートを払うと、静かに後ろへ下がって元の位置へと戻っていく。
その間、足音ひとつすら聞こえなかった。
(な、なにあの動き……。もしかして、この子も……『すごい人』……なの……?)
……これなら、兄を任せてもいいかもしれない。
でも――だからって、すぐに全部を認めるわけじゃない。
セファーヌは、そんな想いをひとつ呑み込み、ふっと微笑んだ。