第18話 交差する思惑
バナサミク国の王宮の奥深く。
玉座の間は凛とした静寂が支配していた。
その玉座に身を預けるように座っていたのは、真紅に染まったドレスを纏った妖艶な美女。
闇を思わせるような濃紺の髪を気だるげに持ち上げながら、近づいてきた足音に顔を向けた。
「ガレリードか。どうした?」
「ヴァレリア様。……どうやら、あのクィムサリアが砂漠を離れたようです」
ヴァレリアの前に傅きながら、ガレリードは告げた。
その報告にヴァレリアのまなざしが僅かに細まる。
「そう。あの子が動くとは……思わなかったわ。……なにがあったのかしらね」
「さあ……。俺にはわかりかねますが。……いかがいたしましょう?」
ガレリードは深く頭を垂れながら、淡々と尋ねた。
しかし、それはあくまで形だけのもので、最古の魔女の返答など、彼にとってはすでに折り込み済みだった。
そして……魔女はガレリードの想定通りの言葉を紡ぐ。
「そうね……。まだその時じゃないわ。駒が揃うまでは……」
「はっ。仰せの通りに」
ガレリードは深く頭を下げると、踵を返し玉座の間を立ち去る。
途中、彼の口元が僅かに緩んだ。
それが何を意味するのかを知る者は――まだ誰もいなかった。
◆◆◆
「ようこそ、お越しくださいました。わたくし、ナヴィル国第一王女、シェルヴァと申します」
「クィムサリアよ。はじめまして、王女殿下」
使節団が無事王宮に戻り、早速クィムサリアはシェルヴァ王女の私室に招かれていた。
この場にはふたりしかおらず、ティガスとサリュサは別室で待機していた。初めての客人で護衛も付けないというのは異例のことだ。
「要件を単刀直入に……」
シェルヴァが本題を持ちかけようとしたとき、ふとクィムサリアがリエルヴァの肖像画を見上げているのに気づく。
「これは……?」
「リエルヴァ王女の肖像画ですわ。記録を基に描かせたのです。……似ていますか?」
「そうね……。まあまあ、ってところかしら」
目を細めて懐かしむような表情のクィムサリアを見て、シェルヴァは確信する。
(やはり、この方はサリヴァ王女……。間違いない)
肖像画と眼前の少女。
髪型などは全く違うものの、雰囲気がよく似ている。
ただ、もし自分の絵ならばそんな顔はしないだろう、とも。
しかし、その確信を事実に変えるのは今ではない。
「バルグ砦に貴女が現れた、と報告を受けたとき、わたくしは驚きました。魔女戦争以来の出来事かと……」
「そんなことないわ。記録に残ってないだけで、たまには外に出ていたもの」
クィムサリアは軽く首を振ってシェルヴァの話を否定した。
「そうだったのですね。それは失礼しました。……ただ、いずれにしても偶然とは思えませんから……きっと、ティガスさんと関わりがあった……のでは、とわたくしは思っています」
シェルヴァはクィムサリアの顔色をじっと観察しながら、これまで受けた報告からの推論を続けた。
「そしてそれは、もしかして彼の妹、セファーヌさんに関係するものではないかと……」
クィムサリアはその話に、感嘆するような口ぶりで顔を上げる。
「気づいていたのね……」
「はい。初めてセファーヌさんを見たときは、違和感があった……という程度でしたけれども」
「そう。それがわかるだけでもかなりの才能ね。……今でもナヴィル王族は伊達ではない……か」
クィムサリアは昔を懐かしむように呟きながら、眼前のシェルヴァの魔力を探る。
(確かに、鍛えればかなりの魔導士になれそうには思うけれど……)
だが『境界』を越える才ではない。
その事実に、少しだけ安堵する自分がいた。
シェルヴァ本人もそれを自覚していたのか、少し俯いて答えた。
「幸いなことに。……ですが、残念ながら魔女には遠く及びません」
「でしょうね。……だけど魔女になんてならないほうがいいわ」
それはクィムサリアの本心だった。
自らが『魔女』と呼ばれる存在になったことで得たものと失ったもの。
それを考えると、誰しもに勧められるものでないことは自分が最も良く知っている。
しかし、それでも――
(でも、まさかこの永い刻の果てで、求めていた『答え』に手が届きそうになるとは、ね……)
自嘲するように心中で呟く。
そんな彼女の考えを知ってか知らずか、シェルヴァは重々しく頷いた。
「はい。それは重々承知しています。ですから貴女に来ていただいたのです。……協力していただけますよね?」
「ええ。そのつもりよ。……ただ、条件は飲んでもらうけれど」
無論、この場に来たということはそのつもりだった。
しかしここでしっかりと決めておかねばならないこともある。
この国の未来に道筋をつけ、未来を紡いでいくためにも……。
「承知しました。わたくしにできることなら、なんなりと」
「それなら――」
クィムサリアは不敵な笑みを浮かべながら、3つの条件をシェルヴァに提示した――
◆
会談を終えたあと、シェルヴァはクィムサリアの最後の言葉を繰り返す。
『敵は外だけとは限らないわ。……特にこういう時は、ね。気を付けなさい』
その忠告には確かな重みがあった。
予想でしかないが、きっと彼女には苦い経験があるのだろう。
確かに、この王都内には不穏な影が潜んでいるという報告は既に受けていた。
(早く……憂いを絶たないと……)
夕焼けに紅く染まった城下の街並みを見下ろしながら、ただ静かに胸へと誓った。
◆◆◆
クィムサリアがシェルヴァ王女と会談している間――
王宮の一室に残されたティガスは、壁際の椅子に座って外を眺めていた少女へと声をかけた。
「あの……。サリュサさん?」
「はい。なんでしょう?」
いつものメイド服とは違い、地味で目立たぬ衣装に身を包んだサリュサが、ちらりと顔を向けた。
獣耳を覆い隠すような帽子は変わらず、少し浮いたその姿にどこか違和感を覚える。
「えっと……少し、聞きたいことがありまして……」
「……どうぞ。でも、先にひとつだけ。あたしに敬語は要りませんよ? それに『さん』付けもなしで結構ですから」
「え、えぇっ? ……どうしてですか?」
「コホン。だってあなたはリア様の契約者じゃないですか。契約とは、対等な立場で結ぶもの。……つまり、あなたはあたしにとっても『主人』と同じなんです。まさか、そのご自覚がなかったとでも……?」
「そ、そそ、そんなことは……」
曖昧に答えてはみたものの、ティガスの心の中には疑念が浮かび上がった。
――自分が結んだ『契約』というものは、ただの口約束。軽い同意のつもりだった――
しかし、サリュサの当たり前とでも言わんばかりの口調に、その認識が根底から揺さぶられる。
(……え? もしかして、俺……とんでもないことを……?)
内心に冷や汗をかきかけたそのとき、サリュサはにこりと微笑み、まるで全てを見透かしているかのように言った。
「ふふ、ご理解いただいていたようで安心しました。なので遠慮なく、『サリュサ』とお呼びください。……ご命令があれば、どんなことでもなんなりと」
そこだけは妙に芝居がかった口調で、ぴしりと姿勢を正して見せる。
冗談か本気か分からず、ティガスは戸惑いながらも本題を切り出した。
「……じゃあ、あの、サリュサ。クィムサリア様とは……どういう関係なんだ?」
その問いに、サリュサの表情が少し曇る。
聞くべきではなかったかと後悔しかけたが、彼女はゆっくりと口を開いた。
「うーん……。それはちょっと複雑なんです……。ただ、ざっくり言ってしまうと、あたしも昔リア様に救われたんですよ。もう100年くらい前のことですけどね」
「――100年!?」
ティガスの目が見開かれる。
彼女の姿は、どこからどう見ても年若い少女――だが、嘘を言っているような素振りはない。
「はい。それが『魔女』の魔法ってやつです。最初は自分でも不思議でしたけど、もう慣れました」
だが、すぐに彼女はため息交じりに続ける。
「それに……ま、あたしがいないと、リア様ったら何もできませんしね。生活力皆無ですから」
「そ、そうなんだ……?」
「ええ。すぐによーくわかると思いますよ」
にやりと笑うサリュサの顔は、どこか楽しげでもあり、世話を焼く家族のようでもあった。
長く付き従ったからこそ許された距離感なのだろう。
「つまり、共生しているとも言えるでしょうか。ご質問の答えとしては、そういうことになります」
「なるほど……」
サリュサの説明は非常にシンプルだが、なんとなくふたりの関係性は理解できた。
ただ、それであれば、クィムサリアが自分に『契約』を求めたのはなぜだろうか、という疑問が湧いてくる。
「興味があった」と彼女は言っていたけれど……。
ティガスの考えを読んだかのように、サリュサが口を開いた。
「……それはですね、リア様にはティガスさんが必要なんですよ。あたしとは違う意味で」
「俺が必要……?」
彼女の言葉の真意が分からなくてティガスは聞き返した。
しかし、サリュサは軽く首を振る。
「いずれリア様が話してくれるはずですよ。……でもまぁ、とっても繊細なお方ですから、なかなか言い出せないんじゃないかなとは思いますけどね」
と、そのとき――
ふいにサリュサが顔を上げ、扉のほうに視線を向けた。
「……終わったみたいですね。すぐに来ると思います」
静まり返った室内で、ティガスが耳を澄ましても何の物音も聞こえなかったが――
サリュサはさも当然のように椅子を立ち、背筋を伸ばした。