第17話 あなたと共に
「改めて……。あなたの目的を話してもらえる?」
クィムサリアは静かにそう問いかけた。
「はい。まず……俺たちは、ナヴィル国のシェルヴァ王女殿下から預かった書状を、クィムサリア様にお渡しするのが役目です」
「書状……ね。いま、それは持ってる?」
「いえ、書状そのものはバルガス隊長が持っています。ですが、内容は知っています」
その書状は手元にないものの、もし途中で紛失したり燃えてしまったりした時のことを考えて、使節団全員が内容を把握していたからだ。
「そう……。じゃ、ざっくり話してもらえるかしら?」
「承知しました。えっと……。現在ナヴィル国は隣国バナサミクからの侵攻に備えています。ですが、バナサミクは魔女ヴァレリアを擁していると王女殿下は見ており、もしそうであれば……本格的に侵攻されればひとたまりもありません。ですので、クィムサリア様に手助けしていただきたい……というような内容です」
ティガスは間違いがないよう、自分の言葉を確かめながら、書状の内容をクィムサリアに伝える。
それを聞いた彼女は、「ふぅ」と小さなため息をついた。
「……ヴァレリア、ね。まぁ、その予想は当たっていると思うわ。あのガレリードが出てきたってことは、ね」
「やはり……。王女殿下がそう考えたのも、先日のバルグ砦での戦いで、『ガレリード』と名乗る剣士がいたことからです」
「確かにガレリードは魔女ヴァレリアの腹心……。わたしも何度か、顔を合わせたことがあるわ」
遠い目をしながらそう呟いた彼女には、その男とどんな過去があったのだろうか。
聞いてみたかったけれども、今は話を逸らす場面ではないと思い直した。
「それで……書状の件、どうでしょうか?」
ティガスは緊張しながら、クィムサリアに返答を尋ねた。断られる可能性も十分にあると思っていたからだ。
しかし――
「わかったわ」
彼女はすでに答えを用意していたかのように、そう答えた。
むしろ、ティガスのほうが面食らったほどだ。
「え、そんな簡単に……構わないんですか?」
「ええ。……だって、視ていたから。最初から知ってたわよ、そんなこと」
「な、なるほど……」
そう言われると、納得せざるを得ない。
それに、あのときガレリードと相対している彼女ならば、そういう未来が待っていることを予測していても変ではないと思えた。
クィムサリアは、ほっとした様子のティガスをじっと見つめていたが、ひとつ頷いてから口を開いた。
「――ま、それはそれとして……。せっかくここに来たんだから、あなた個人として……わたしになにか望むことはある? ひとつだけ、聞いてあげる」
「俺の望み……?」
それは予想していなかった問いだった。
王女からの頼み事を伝えに来ただけのつもりだったからだ。
「ええ。勝手に魔法をかけていたお詫び……として。もちろん、わたしにできることに限られるけれど、ね」
突然のことに、ティガスは思考を巡らせる。
ただ、セファーヌも元気になっている今、これ以上望むものなど思いつかなった。
むしろ――
「……それなら……俺に恩を返させてほしい……です。妹を救ってくれたのに、クィムサリア様には何も返せていないから……」
「え……?」
クィムサリアは呆気に取られて、小さく驚きの声を上げた。
しかし、すぐに口元を緩める。
「ふふっ、わたしが……って聞いてるのに、変な人ね」
「す、すみません……」
恐縮するように肩をすくめたティガスをじっと見たクィムサリアは、ひとつ頷いた。
そして、真っ直ぐにティガスを見て続ける。
「それじゃあ……わたしは、これからあなたと行動を共にすることにするわ。もしなにか恩返ししたいなら、ご自由に。逆にわたしはこれからもあなたを手助けする。……それでどうかしら?」
「は、はい。それで構いません……けど」
彼女の提案は、少し考えてみたもののなにも問題がない。
逆に、はたして彼女にとってメリットがあるのだろうか、と思うほどだ。
その疑問が顔に出たのだろう。
クィムサリアは首を傾げながら口を開いた。
「……ん? わたしのメリット? ええと……ほら、王都で目立ちたくないのよ。だから、英雄ティガスを補助する魔導士……って感じにすれば目立たないでしょ?」
「あ、なるほど……」
確かに『魔女』として招聘するならば、彼女の懸念通りになるだろう。目立たぬはずがない。
しかし、正体を隠した場合、素性の知れない魔導士が王都軍に突然入隊して、しかも自由に行動するのも違和感がある。
となれば、不自然にならぬ程度に自由がある立場を準備しなければならない。
その隠れ蓑としてティガスの存在を利用しようということだろう。そして、彼女はバルグ砦での戦いにも顔を出していることから、説明もしやすい。
「ん。じゃ、『契約成立』ね。……ないと思うけど、もし契約破棄する場合は双方の合意で……ってことにしましょうか。よろしくね」
「は、はい。よろしくお願いします」
クィムサリアが右手を差し出すと、ティガスはその柔らかく小さな手を握り返す。
それに応えるように、彼女はぎゅっと力を入れて、嬉しそうに微笑みながら小さく頷いた。
――なお、机の下で彼女の左手が小さくガッツポーズをしていることに気づいたのは、遠目から見ていたサリュサだけだった。
◆
「じゃあ、ティガスさんは先に転移させるから、準備してから合流するわね。日が昇ってからになるとは思うけど。……でも安心して。さっき言った通り、わたしの魂はずっとあなたと共にあるから」
クィムサリアが柔らかく微笑む。
ティガスはその笑顔に胸が跳ねるのを自覚しながら小さく頷いた。
「……えっと。は、はい……」
と――
それまで大人しく黙っていたサリュサが再び横から口を挟んだ。
「……リア様。そのドレスでその台詞……。早くもプロポーズですか……?」
サリュサは呆れたように肩をすくめて苦笑いしていた。
「……ふぇ?」
その指摘に、クィムサリアは呆けた顔のまま、先ほどの自分の言葉を頭の中で何度も繰り返した。
と同時に、みるみるうちに顔が朱に染まっていく。
「――えっ!? ち、ちが……! あ、いや……。あ……う……」
もはや何をどう答えたらいいのか自分でもわからなくて、クィムサリアは口ごもりながら固まっていた。
それを見たサリュサは、不敵に笑いながら続ける。
「それじゃあ、ティガスさん。契約通り、リア様を末長くよろしくお願いしますね」
「――!!」
口をパクパク動かしながらも、なにも言葉が出てこないクィムサリアは、頭から湯気すら見えそうなほど茹で上がっていた。
「ふふっ。――さあ、リア様。新郎をお待たせしないよう早く準備しましょうね」
サリュサは満足そうにそう言うと、カチコチに固まったままのクィムサリアに優しく手を差し出した。
◆◆◆
その後。
見張りに戻ったティガスは、夜半過ぎ、交代のために起きてきたバルガス隊長にクィムサリアからの手紙を渡した。
それは、説明しやすいようにと、彼女が気を利かせて持たせてくれたものだった。
その内容は非常にシンプルで、『ティガスから話を聞いた。あとで説明に行くから王都へ帰りなさい』というものだった。
バルガスには驚かれたが、『本人とは知らなかったものの、過去に魔女と会ったことがある』ということを伝えると、合点がいった様子だった。
そして翌朝になり、改めて準備を整えた使節団は、王都に向けて帰路に就いた。
と――
――ぎゃおおおぉおぉおおん!!!
――ぐわわわっ!!!
行動を開始した使節団の前に現れたのは――2体の魔獣だった。
「くっそ!! 1匹でも大変なのに……!」
ティガスはすぐに剣を抜きながら、魔獣たちを睨みつける。
片方は前回現れたのと同じ大ネズミ――ただし、そのときよりもふた回りほど大きい――だった。
そして、もう片方は巨大なコウモリのようで、軽やかに空を舞いながらこちらの様子を窺っているようだ。
バルガスは声を張り上げる。
「気を付けろ! コウモリは魔導士に任せて、まずはネズミを仕留めろ!」
「はいっ!」
バラバラに攻撃するよりも、確実に一体ずつ倒そうと考えたのだろう。
ティガスは剣を握りしめ、前回と同じように急所を見定めて機を窺う。
そのときだった。
「――どおりゃああああぁああっ!!」
突然、聞き覚えのない掛け声が耳に届いた。
声が聞こえたのは――空中!?
慌てて見上げれば、大ネズミの真上――小さな人影が勢いよく落ちてくるのが見えた。
(――えええっ??!?!)
呆気に取られてティガスは口を開ける。
その一瞬の後――
落ちてきた人影が振り下ろした大剣に、真っ二つに切り裂かれた大ネズミは叫び声を上げる間もなく倒れ伏した。
「あははっ! 楽勝ッ!」
どんな運動神経をしているのか。
軽やかに砂漠へと降り立った人影は、腰に手を当てて勝ち誇っていた。
それは、ティガスにとって見覚えの深い少女――サリュサだった。
「――さ、サリュサさん!?」
驚きとともにティガスが声を掛けると、彼女は満足そうに笑顔を見せる。
しかし、すぐに眉を顰めて空を見上げた。
そこにはもう一匹の魔獣――大コウモリが飛んでいて、サリュサの動きを警戒したのか、更に高度を上げるのが見えた。
「ありゃりゃ、ちょっと届きそうにないですねぇ」
サリュサがのんびりとした口調で呟く。
その余裕は、降りてくればいつでも仕留められる――という自信からだろうか。
「……不本意ですけど、あっちはリア様にお任せしましょうか。――よろしくお願いします」
手に持った大剣――体の大きさに見合わぬほどの――を背中に背負った鞘へと器用に仕舞いながら、サリュサがそう言った。
――それが合図だった。
ティガスの耳に『――キィン』という耳障りな音が届き、直後にチカッと空が光る。
(なんだ……!?)
慌てて空を見上げれば、悠々と飛んでいたはずの大コウモリは、既に細かい塵となって風に散っていた。
――そして、その静寂を割るように、魔女が降臨する。
「ふふっ、お待たせしました」
風とともに届くその澄んだ声は、どこか心の奥に響くようだった。
そして、姿を見せた『刻渡りの魔女』クィムサリアは、呆然と立ち尽くす使節団の前にそっと降り立つ。
この灼熱の砂漠には不釣り合いなほど純白の……柔らかなローブを身に纏って――




