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第15話 砂漠の妖精

 ――雲ひとつない砂漠の夜。

 満月が煌々と砂漠を照らしていた。


 ティガスは見張りをしながら、ぽつりと呟く。


「……魔女、か」


 刻渡りの魔女に会うためのこの旅も今日で10日ほど。

 日中の暑さと夜の冷え込み、得体の知れない魔獣との戦いなど、砂漠の厳しさを嫌というほど味わってきた。


 どこに向かえば会えるのかもわからない。

 それどころか、このまま砂漠から出ることすらできないのではないかと不安になるほどだ。

 皆、疲れが溜まっており、これまでは2人起きていた見張りも、今晩からはひとりに減らしていた。


「本当にこんな砂漠にひとりで住んでるのか……? 一体どんな人なんだよ……」


 それはシェルヴァ王女から伝えられた記録でしかない。

 王女を疑うわけではないが、心身ともに疲れ切っていて、どうしてもそんな疑問が湧いてくる。


 ふと、夜風が頬を撫でた。

 ひんやりとした風に身震いすると同時に、羽織っていた毛布に身を埋める。

 と――


「……こんな人で悪かったわね」


 そんな『声』が、聞こえた気がした。


 ティガスは思わず顔を上げる。

 しかし、周囲を見回しても誰もいない。


(相当疲れてるな……俺……)


 先ほどの風の音のせいか。……それとも、うとうとして夢でも見ていたのかもしれない。

 そう思いかけたとき――突然周囲が暗くなった。


 月が雲に隠れたのだろうか。

 そう思って空を見上げる。


「――あれは……」


 明らかに雲とは違う。

 それは――月を背にして浮かぶ小柄な人影。


 丁寧な装飾があしらわれた真っ白なドレス。

 長い銀緑の髪が風にたなびき、月の明かりでキラキラと輝くその姿は――

 まるでお伽話から出てきた妖精のようにさえ思えた。


 言葉も出せず見惚れていると、その人影――クィムサリアは、ドレスをはためかせながらゆっくりと砂漠に降り立つ。


「――ふふっ。……ようやくひとりになったわね」


 今度ははっきりと耳に届く声。

 聞き覚えのあるその声は、なぜか自分の心にすっと染み込むような気がした。


「あ……あなたが……魔女……?」


 聞かなくても、ティガスはそう確信していた。

 その問いに、彼女は柔らかな微笑みをもって返す。

 否定しないことが『答え』であると。


 彼女ははっきりと顔が見える距離まで、ゆっくりとティガスに近づき、右手を差し出す。


「……ティガスさん。あなたをわたしの館に招待しましょう。さあ……」


「館に……?」


 すぐには頭が回らなかったけれど、すぐに現状を理解して答えた。


「ありがたい話ですが、見張りの役目が……」


 自分がこの場を離れたら、他の使節団の兵士たちが危険に曝されることになる。

 せめて隊長に説明して許可を取らねばと、そう考えたときだった。


「大丈夫。皆、わたしの魔法で深く眠っています。それに、この砂漠はわたしの庭みたいなものですから、心配しなくても構いません」


「え……。そうなんですか……?」


 いつの間にそんな魔法を掛けたのか、全く分からなかった。

 しかし、この目の前の少女が『魔女』だというのなら、簡単なことなのかもしれない。


「ええ。――それでは……行きますよ?」


 クィムサリアが微笑んだ瞬間、足元から風が巻き起こる。


 次の瞬間、ティガスの視界はふわりと白く染まり――

 気づけば、夜の砂漠は消え、静かな石造りの廊下に立っていた。


 ◆


「ここは……?」


 ティガスはゆっくりと周りを見渡す。

 広い廊下の両側には、ランプの明かりが灯されていて、調度品が幻想的に揺らめく影を作っていた。

 初めての場所にもかかわらず……なぜか懐かしくもある。そんな場所だった。


 自分を転移させた魔女は、廊下の奥――大きな扉の前で、こちらを見ながらまっすぐ立っている。

 その表情からは『こちらへ……』と言っているように感じて、ティガスは足を踏み出した。


 ギィイ……


 ほんの小さな音を立てて、扉が開く。

 そこは円形の大きな部屋だった。

 正面の窓の外は月明かりに照らされた木々が影を作っていて、その更に遠くまで赤く見える砂漠が続く。

 そして部屋の中央には三日月状の机がひとつ。


 魔女はその机の近くまで先導したあと、優雅に振り返ると、ドレスのスカートがふわりと広がる。


「ようこそ、わたしの館へ。……ずっと、あなたが来るのを待っていました」


 その言葉は、本当にお伽話の中に迷い込んでしまったようにさえ思え、ティガスの胸にすっと染み込んだ。


「あなたは……なぜ俺をここに……? あ、いえ、それより……どうして俺を知っているんですか……?」


 ティガスは明らかに自分を知っている様子の彼女に疑問を口にした。

 最初に名前を呼ばれたときは気にしなかったけれども、これまで名乗ったことは……ないはずだ。


 クィムサリアは少し目を伏せ、困ったような顔をしながら答える。


「……そうですね。それに答える前に……。――サリュサ」


「はい、リア様」


 クィムサリアが視線を扉のほうに向けて従者の名を呼ぶと、廊下に控えていたサリュサがはっきりとした声で返す。

 ティガスも声のほうに振り返る。

 そこには、白いエプロンドレスに身を包んだ獣人の少女。


(確か……あのときの……)


 もちろん服装は違うものの、バルグ砦で自分を助けてくれたとき、魔女と共にいた少女に間違いない。


「ティガスさんにお茶をお出しして」


「承知しました」


 一礼して踵を返すサリュサを見送ったあと、クィムサリアはティガスに椅子を差し示して笑顔を見せる。


「立っているのも疲れるでしょう。……さ、座ってください」


「は、はい……」


 まだ完全には緊張が解けてはいないものの、周りを見回しながら彼女に勧められた椅子へと腰掛けた。

 そして部屋を見ていたティガスへと、彼女は問いかける。


「どうですか? 魔女の館は……」


「は、はい。砂漠のなかにこんな立派な館があるなんて……。でも……」


 この広くシンプルな部屋。

 窓に広がる砂漠。

 なによりも、この不思議な魔女との会話。

 初めてのはずなのに、なぜか初めてだとは思えなかった。

 まるで夢の中で見たことがあるように。


「なぜだかわからないですが……俺は……ここを知っている気がするんです」


「…………」


 クィムサリアは表情を変えず、何も答えない。

 ただ、ティガスの様子をじっと見つめていた。


(……魔法が解けかかっている……?)


 この少年――いや、5年前と違い青年になった――の記憶は完全に消したはずだ。


(もしかして、わたしの魂の影響で……? まさか……)


 その理由に思い当たることがひとつあった。

 しかし確証はない。

 いずれにせよ、その『理由』などは些細なことだ。


 そのとき、サリュサがトレーにお茶を載せて部屋に戻ってきた。


「お待たせしました。……どうぞ」


「これは……」


 三日月状の机に二客のカップが並べられる。


 ふと――

 甘い香りが部屋の中にふわりと広がった。

 そのお茶から漂ってきているのだろう。

 しかし、気分が落ち着くようなその香りは……どこかで……?


「さ、飲んでください。かなり珍しいものなんですよ?」


 勧められるままに、ティガスはカップを手に取り、香りを確かめる。

 鼻から大きく吸い込んだそのとき――

 一瞬、頭の中が真っ白になったように感じ……それまでずっと霞がかかっていた違和感が徐々に晴れていくような気がした。


 ふと天井を見上げると、天窓から月明かりが差し込んでいる。

 ――確かあのときは……もっと眩しい日差しが差し込んでいたような……。

 そんな光景が目に浮かんだ。


「今のは……」


 不思議に思いながら、改めて目の前に座るクィムサリアを見た。

 彼女は心の中まで見透かすような視線をティガスに向けたまま、ゆっくりと口を開く。


「……どうしましたか? もしかして……なにか思い出した……とか?」


「いえ……。まだ……はっきりとは……。ただ、間違いなく……俺はここに来たことがある……って思いました」


 クィムサリアはすっとその青い目を細める。

 そして――


「なるほど。……それじゃ、これではどう……?」


 彼女はそう言いながら、片手でゆっくりと前髪を持ち上げ、それまで隠されていた左目を露わにさせる。

 それは透き通るような金色の瞳。

 明らかに反対側とは異質なその瞳に見つめられると、なにか……心の底まで見透かされるようにさえ感じた。


 それと同時に――

 かつてその目を見たときの光景が脳裏に浮かんだ。


 ――病気を患いベッドで寝込むセファーヌ。

 ――その妹に、真剣な顔で手を差し伸べる魔女の姿。


(……そうだ! あのとき……俺は……)


 そのとき、はっきりと記憶が蘇る。

 かつて、この魔女と出会い――命より大切なものを救ってもらったということを。


 あまりに突然記憶が戻ったことで、何を話せばいいのかわからなかった。


 ティガスの震える指先が、そっとティーカップの取っ手を離れる。

 目の前にいる『魔女』は、ただ静かに、しかしどこか嬉しそうに彼を見つめていた。


「やっぱり思い出したのね? ……せっかく綺麗に消しておいたはずなのに」


 ゆるく肩をすくめ、少しだけ目を伏せる。


「でも、まあ……悪くないわ。……うん。それもまた、ね」


 そうして静寂がふたりの間を優しく包み込んだ――

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