第14話 導かれし刃
「――うわぁあぁぁ!!」
乾いた地響きとともに、砂が盛大に吹き飛んだ。
ティガスは咄嗟に飛び退き、荷物を降ろしながら、砂煙の向こうから現れたそれに目を見張る。
――砂漠に棲む魔獣。
この『乾きの砂漠』には何種類かの魔獣の存在が確認されていた。
今回眼前に現れたのは、そのなかでも大ネズミとも呼ばれる魔獣の一種で、マウラン種と呼ばれるものだ。
ただ、名前だけはネズミとは言うものも、全く可愛げのかけらもない巨大な牙と鋭利すぎる爪を持っていて、その黒光りした体躯は見上げるほどの大きさだ。
それが砂の中から突然飛び出してきて、先行していた兵士の一人をかすめ飛ばした。
「くそっ……! なんだよ、こいつは……!」
ティガスは剣を構えながらも、頭の片隅でこれまでのことが頭に掠めた。
(――この砂漠に入って、これでもう何日目だ……?)
シェルヴァ王女からの書状を開いたティガスは、その翌日には王宮で『魔女』への使節団の一員として任命された。
とはいえそれは秘密裏に派遣されるもので、王女のほかごく一部の重臣たちにしか、その存在は公表されていない。
ティガスさえも、セファーヌに対して黙って出立しているほどだ。
使節団の人数はティガスを含めて6人。
自分を除けば、いずれも王都軍でいわゆる『精鋭』と呼ばれる者たちだ。
隊長であるバルガスは剣士として名を馳せていたし、数少ない魔導士隊の中からも2名、同行していた。
それほどの面子の中に自分がいることが場違いだと思えるが、王女からの指名に拒否権などあるはずがない。
――しかし、まさか砂漠に魔獣が出るなどとは、予想すらしていなかった。
『――ぎゃおおおぉおッ!!』
突如、大ネズミが天を向いて吠え、ティガスは目の前の相手に集中し直す。
最初に接触した兵士もすでに体勢を立て直していて、他の兵士と共に魔獣を取り囲むように布陣を整える。
「死角に回り込め! 爪に気を付けろ!」
バルガスが声を張り上げた。
その声に焦りはない。
それが初めて魔獣を相手にするティガスにとって、安心できる材料のひとつだった。
「うおおぉっ!」
そして先陣を切って斬りかかるバルガスをフォローするため、ティガスも続いて砂を蹴った――
◆
一方、淡い光が差し込む石造りの部屋では――
クィムサリアは大きな窓のそばに立ち、遠くまで広がる砂漠――自分の庭でもある――を静かに眺めていた。
そのとき、控えめな足音とともにサリュサが現れた。
その両手に抱えた銀のトレーには、山盛りのムーンフルーツが乗っていた。
「はい。今年初めてのムーンフルーツ、切ってきましたよ。リア様」
その声に、クィムサリアはようやく振り返り、少しだけ表情を緩める。
「ん、ありがとう」
窓際から離れ、部屋の中央にある椅子へと腰を下ろすと、フォークを手にひと欠片を口に運ぶ。
果実の瑞々しさが舌の上で弾け、ほっとしたように微笑む。
「おいしー」
その幸せそうな声に、サリュサはわずかに口角を上げる。
だが――
幾欠片かを食べたあたりで、クィムサリアはふいに手を止め、表情が曇った。
「あ……」
視線が再び窓の彼方へ向けられ、眉が僅かに寄る。
「どうしました?」
同じくムーンフルーツを頬張るサリュサが首を傾げると、クィムサリアは小さく息を呑んだ。
「えと……。ティガスさんのとこに砂漠の魔獣が……」
それを聞いたサリュサの目がわずかに鋭くなる。
「魔獣……ですか。どのタイプです?」
「ネズミさんだから、大丈夫だと……思うけど……。1匹みたいだし……」
「ネズミ……。ああ、マウラン種ですか。そうですねぇ……あのくらいなら、ティガスさんがやられるとは思わないですけれど」
淡々と答えながらも、サリュサはそっと様子を伺う。
しかし、クィムサリアの落ち着きのなさは増す一方だった。
椅子の上でもぞもぞと落ち着きなく身じろぎし、大好物のムーンフルーツを口に運ぶ手も止まっている。
「……リア様。そわそわしすぎですよ?」
「ふ、ふえ……!? そ、そそそ、そんなコト……ないヨ……?」
彼女はあからさまに動揺していた。
その挙動不審さに、サリュサは心底呆れたように息を吐いた。
「そんなに気がかりなら、行ってあげればいいと思うんですけど……」
「い、今わたしが行ったら……計画が狂っちゃうじゃない……!」
そう言ってクィムサリアは唇を尖らせる。
そんな様子すら微笑ましく、サリュサはいたずらっぽく言葉を返す。
「大丈夫ですって。こっそり見るだけならバレませんよ。計画に支障はありません」
「うー……。またそんな誘惑を……。でもダメダメっ。わたし……我慢しないと……」
手をぐっと握りしめ、ひとりで自制心と格闘している様子は、サリュサから見て微笑ましく映る。
「そんなこと言ってても……危なくなったら、すぐ行くつもりなんでしょう?」
「……うん。もちろん、それはそうだけど……」
その素直な答えに、サリュサはくすりと笑う。
「ふふふっ」
「な、なによその目は……?」
クィムサリアが睨み返すが、サリュサは悪戯っぽくにんまりと笑う。
「いえ、別に何も。……リア様が可愛いなって思っただけです」
「むううぅ……っ」
耳まで真っ赤にしながら、クィムサリアはぷいっとそっぽを向いた。
そんな姿を眺めながら、サリュサは満足げに目を細めていた。
◆
「――はぁはぁ……!」
ティガスは息を荒げながら後退し、砂の上に足を滑らせつつ体勢を立て直した。
太陽の照り返しに焼かれた肌が汗で濡れ、指先から流れる感覚がじんじんと痺れている。
(くそ……ッ! 斬れてはいるけど……届いてない……!)
剣は確かに大ネズミの皮膚を裂き、血が滲んではいる。
だが、魔獣は怯むどころか怒りをあらわにし、より獰猛さを増していた。
(――狙うべきは急所。どんな相手だって、どこかに決定的な一撃を入れられる場所があるはずだ)
ティガスは一度、深く息を吸い込んで集中力を高める。
焦りを封じ込めるように、静かに――けれど鋭く相手を観察することを意識する。
大ネズミの動きは速いものの、比較的単純だ。
動きも読みやすい。
前傾姿勢で動くその胴体をよく見ていると、お腹のあたりは毛皮も薄く、刃が通り易そうに見えた。
(――狙うならあそこだ。心臓のあたり……)
普通の動物と同じで、心臓が急所だと予想し、ティガスはその一点を狙うべく剣の柄を強く握り直した。
相手の動きを読み、タイミングを合わせて砂を蹴る。
その瞬間――ふいに、風が吹いた。
熱砂が突然渦を巻き、舞い上がった砂粒が白昼の光にきらめく。
それはつむじ風のように渦を巻き、魔獣の足元をの砂を巻き上げた。
「っ……今だ!」
好機と捉えたティガスは、砂煙の中に飛び込み、急所の一点だけを狙う。
そして突き出した剣は、大ネズミの脇腹に突き刺さった。
『――ぎゃ、ぎゃおおおぉおッ!!』
獣が断末魔のような叫びをあげながら、ゆっくりとその場に崩れ落ちる。
――ドサッ!
そのあとには、砂塵に埋もれるように倒れ伏した大ネズミの姿があった。
ティガスは砂上に膝をついたまま、上がった呼吸を整えようと大きく息を吐き、呟いた。
「……やった……!」
と――
その言葉に応えるように、後方から歓声が上がった。
「すげぇぞ、ティガス! 一撃で仕留めやがった!」
「今の見たか!? さすが英雄は伊達じゃねぇ!」
仲間たちの声に振り返る余裕もないまま、ティガスはただ黙って空を仰いだ。
そこには強い陽射しが容赦なく降り注いでいた。




