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第11話 紡がれた伝承

 ――翌朝。


 兄の無事が前日に確認できたこともあって、セファーヌは久しぶりに清々しい気分で王宮に登城していた。

 兄が前線に配属されてからは、不安で心の休まる日がなかったからだ。


 しかし、本日兄が帰ってくる。

 負傷……というのがどの程度かわからないけれど、生きて帰ってきてくれるだけでも、感謝しないといけないと思えた。


 王宮に入る前、両側に緑の街路樹が立ち並んだ『リエルヴァの(みち)』をゆっくりと歩く。

 詳しいことはわからない。

 けれども、200年以上前の戦火で、あの最古の『刻渡りの魔女』ヴァレリアから民を守って命を散らしたという若き王女の名前が付けられていることは、学校でも習う有名な話だ。

 そして、今もナヴィル国が存続しているのは、歴代の王女がその力で護ってきたという歴史があった。


 そのことに敬虔な気持ちを抱きつつ、リエルヴァの径を抜けたセファーヌは、仕事場でもある執務室に入った。

 まだ文官全員が出てきてはいない。

 しかし、昨日とは雰囲気が違うものの、ざわめきが漂っていた。


『……この報告書なんだけど、見た?』

『ああ。ホントかな? いや、疑うわけじゃないんだけど、……一人で敵を……? 信じられるか?』

『だよね? それにこの名前……』


 しかも何やら、自分のほうをちらちら見られているような気がして、なんとも居心地が悪かった。


(なにがあったのかな……?)


 疑問はあれども、とりあえず自分の仕事を進めなければならない。

 戦火のせいもあり、いつもよりも仕事の量が増えつつあったからだ。


 しばらくして――。


「セファーヌさん、おはよう」


 声の主は、直属の上司である文官局長――リマーネだった。

 セファーヌは急いで立ち上がり、挨拶を返す。


「リマーネさん。おはようございます」


「うん、元気そうね。……ところで、この書類には目を通した?」


「書類……ですか。いえ、まだですけれど……」


 提示された書類を見て、セファーヌは首を振った。

 その表紙には「バルグ砦戦況報告書」と書かれているから、先日の戦いの詳細が記載されているのだろう。

 もちろん興味はあったけれども、今は自分の仕事を優先していたため、まだ目を通せてはいなかった。


「見たほうが良いわよ。……特にこのあたり」


 リマーネは分厚い書類をセファーヌの机に置くと、パラパラと捲る。

 報告書という名前の通り、戦闘開始の時刻、敵軍の侵攻ルート、砦側の布陣、交戦の詳細――などが克明に記載されているようだ。

 そのなかで、リマーネが指し示したしたのは最後のほうだった。


「ほら、バナサミク兵が撤退する直前の記録ね。……私もちょっと信じられないんだけれど……」


 セファーヌは書類を手に取って、じっくりと目を通す。

 そこに記載されていたのは、兄ティガスの名前だった。


『第三部隊所属:ティガス・ニルヴィエ兵、最前線にて単独行動。敵陣に突撃し、敵将と思しき個体と一騎打ちと思われる交戦あり。その後、ティガス・ニルヴィエ兵を残し、敵軍は一斉に退却を始める』


 息を呑んだ。

 報告書には確かにそう記載されている。

 自分には戦いの場面などイメージできないが、これを読む限り、兄の行動がきっかけとなって敵が退却した、と読み取れた。


(……お兄ちゃんが、ひとりでこんなことを……?)


 もちろん、兄の性格はよく知っている。

 覚悟を決めたらどんな危険があっても行動する性格は、時に不安にもなるけれど、引っ込み思案な自分からすれば尊敬できる兄だ。

 かといって、何も考えずに無謀な行動をするということはない。

 何らかの勝算があったか、それともその選択しか残されていなかったのか、そのどちらかだったのだろう。


「すごいわよね。どうやら、かなり派手なことをやってくれたみたいじゃない」


 リマーネが、少し冗談めかして肩をすくめる。

 しかし、セファーヌにはまだ信じられないという思いのほうが強かった。

 

「……正直、信じられませんけど……」


「そうよね。私も最初は驚いたもの。でも、これは砦からの観察兵が記録したものだから、間違いはないわ。――ところで」


 リマーネが続ける。


「この報告に関して、シェルヴァ王女殿下が興味を持たれたみたいなの。今日、その話題のティガス・ニルヴィエ兵が王都に帰ってくるわけでしょう? 殿下も参列する意向を示しているわ。それに先立って、セファーヌさん、あなたと話がしたいって仰られているの」


「――は……? シェルヴァ王女殿下が……?」


 セファーヌは、一瞬返す言葉を失った。

 まさか雲上の存在である王女殿下から自分に声がかかるというのは、想像すらできなかったからだ。


「わ、私なんかが……」


「ま、大丈夫だと思うわ。――一応、私も同行するから。ね?」


 柔らかな声でそう言って、リマーネは優しく微笑んだ。


 ◆


 案内されたのは、王宮の南棟──

 一般の文官どころか、上級貴族ですら滅多に足を踏み入れることなど許されない、静かで格調高い廊下の先だった。


 手入れの行き届いた柔らかなカーペットの上を、緊張しきった面持ちのセファーヌはリマーネに続いて歩く。

 「肩の力を抜いて」とのリマーネの言葉も、今はほとんど耳に入らなかった。


 リマーネの顔を確認した王女の付き人らしき人が、廊下の終端にある一際大きな扉をゆっくりと開けた。


「――よくいらしてくださいました、セファーヌ・ニルヴィエさん」


 静かな空間に、凛とした涼やかな声がよく通る。

 ひとりの若い女性が、扉の向こう側からこちらを見て柔らかく微笑んでいた。

 落ち着いた青灰色のドレス。

 薄い銀色のセミロングをゆるく結い、深い蒼の瞳を持つ彼女からは、凛とした雰囲気が漂ってくる。


 そう、彼女こそがナヴィル王国の王女――シェルヴァ・フィンレクトだった。


「こ、こちらこそ……光栄です、殿下……!」


 セファーヌは慌てて腰を軽く下げ、失礼にならぬように礼をする。

 その背筋に、汗が伝うのを感じた。


「ふふっ、そんなに気を張らなくて大丈夫ですよ。……ここは、わたくしの私室ですから。リマーネ先生も、お忙しいところありがとうございます」


 その柔らかな口調は、予想していたよりずっと穏やかで、セファーヌは戸惑いながらも顔を上げた。


「リマーネ……()()?」


 ふと、先ほどのシェルヴァの言葉が気になり、聞き返した。


「はい。わたくしが幼いころ、リマーネ先生からは色々と勉学について教えていただいたのです。家庭教師として……」


「大昔の話です。――今はこうして立派に王女として成人なされたのですから、もう私の出る幕などありませんわ」


「そんなことはありませんわ。まだまだ先生のような見識は持ち合わせておりませんゆえ……」


 謙遜しながら返すシェルヴァの物腰は、しかし嫌味があるような言い方ではなく、純粋にそう思っているような、そんな雰囲気が感じられた。

 シェルヴァはふたりに向けて、「さ、座ってくださいな」とソファのほうを指し示した。


 セファーヌが恐縮しながらソファに腰かけると、続いてリマーネもその横に並んだ。


 ようやく少し落ち着いてきて、王女の部屋の調度品に視線を向ける。

 部屋の雰囲気は、それまで想像していた華美な王族の住まい――というものではなく、静かな知識人の書斎のように見えた。


 光の入らない側の壁には、丁寧に誂えられた大きな書棚があり、たくさんの書物が整然と並んでいる。

 また、シェルヴァの机の正面には、ひときわ丁寧に飾られた額縁の古い肖像画があった。

 若い女性のように見えるその絵には、眼前に座るシェルヴァと似た雰囲気の――しかし、もっと幼い雰囲気の少女が描かれている。


「……この絵は……?」


 どうしても気になったセファーヌが尋ねると、シェルヴァは静かに頷いた。


「200年以上前のナヴィル国の王女――リエルヴァ・フィンレクトの肖像画ですわ。わたくしの、もっとも尊敬するお方ですの」


 その名前は、このナヴィル国の国民であれば、知らない者などいないだろう。

 王宮の正面の通りにも、その名が冠されている。

 しかし、肖像画を見たのは初めてだった。


「歴史の記録より、こうして『顔』を見ているほうが、心に残るでしょう?」


「確かに……」


 その言葉に、セファーヌは思わず頷いた。

 たしかに、肖像画のなかのリエルヴァの青い瞳は、今にも語りかけてきそうな温もりと決意に満ちているように感じられた。


「さて、本題ですが……」と、シェルヴァが姿勢を正す。


「昨日の戦況報告、わたくしもすべて目を通しました。――あなたの兄、ティガス・ニルヴィエ兵のことも」


「……はい」


「その上で、わたくしは――彼のことに興味があります。彼のことについて、教えてもらえますか?」


 セファーヌは一瞬、どう答えればいいか迷った。

 ただ、自分も誇らしく思っていた兄のことを、王女ほどの人物が気にかけている、というのは嬉しかった。


「はい。兄は……昔から、不器用な人です。言葉より行動で示す人で、あまり自分のことは話したがりません」


 昔を懐かしむように、セファーヌは兄の顔を思い浮かべながら続けた。


「でも……困ってる人を見たら、放っておけない性格で……。自分が怪我してでも、誰かを守ろうとするところがあるんです」


 話しながら、少しずつ緊張がほどけていくのを感じる。


 シェルヴァは静かに頷き、優しく目を細めた。


「……やはり、そういう方なのですね。……自分を犠牲にしてでも……ですか。――昔、リエルヴァ王女もそうだったと聞きました」


 そして、シェルヴァはゆっくりと視線を肖像画のほうに向けた。


「リエルヴァ王女の伝記は、学校で習いましたよね? ――そう、国民を守るためにその力を使い……亡くなられたと。でも、それだけではないんです。実は……リエルヴァ王女には、仲の良かった双子の姉がいました」


「姉……ですか?」


 それはセファーヌには初めて聞いたことだった。

 姉妹がいたという話は、教科書にも載っていない。


「はい。……王家に密かに伝わっている伝承では、リエルヴァ王女が命を賭してでも守ったのは、その姉なんです。自らが囮になって……。もちろん、立場上、褒められたことではありません。でも……わたくしは、その覚悟と意志を『美しい』と思いました。わたくしにそれができるだろうか……と。誰かを、本当の意味で、守るということが」


「シェルヴァ様……」


 そのとき、控えの者が静かに部屋の扉を叩いた。


「失礼いたします。……まもなく、負傷兵たちが王宮前に到着するとの報告が入りました」


 セファーヌがはっと顔を上げる。

 シェルヴァは立ち上がると、優雅に背を伸ばし、セファーヌに向けて手を差し出した。


「――それでは、迎えに行きましょうか。英雄の帰還を……」

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