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第1話 砂漠に棲む魔女

「はぁああぁぁ……」


 ため息の元となった少女――クィムサリアは、ぐてーっと机に突っ伏していた。

 それはまるで、大事に大事に仕舞ってあった大好物が、いつの間にかネズミに食べられてしまっていたことに気付いた時のような。

 それは『砂漠に棲む伝説の魔女』らしからぬ姿だ。


 あまり整えられていない長く淡いグリーンシルバーの髪。

 それが、だらんと机に広がっていることなど気に留めず、冷たい天板に頬を付けたまま、もう一度ため息をついた。


「はあぁ……」


 そしてゆっくりと目を閉じる。

 ――と、部屋の扉付近からその様子を立って見ていたもうひとりの少女――使用人風の恰好をした――が、うんざりした顔で言葉をかけた。


「リア様。もうあれから一週間になるんです。そろそろいつもの調子に戻ってくださいよ」


 『リア』と呼ぶのはフルネームだと長くて呼びにくいからだろう。

 しかし呼ばれた当人は、さしたる反応もせずに動かない。


「あっ、そうだ。少し運動でもしてきたらいかがでしょう? あたしもお付き合いしますから」


 クィムサリアはそこでようやく目を開けて、小さな唇をツイッと尖らせた。


「……サリュサと運動なんかしたら、わたし死んじゃう……」


「リア様が死んだらあたしが困りますから、そんなことにはならないですって。ほらほら……」


 改めて催促するサリュサから顔を背けながら、クィムサリアは声のトーンを一段と落とした。


「うー、しばらく放っておいてよぅ。どうしてか、気分が乗らないの……」


「ホントーですかぁ? 昨日も同じこと言ってたじゃないですか」


「そんなことないよぉ。……たぶん」


 不満そうな声を上げながら、クィムサリアはゆっくりと体を起こす。

 椅子の背もたれに身体を預けると、窓から差し込む朝の日射しを浴びて彼女の髪が透き通るように光を帯びた。

 そして両目が隠れるほどの前髪を片手で払うと、ジトっと恨めしそうに細めた右目が顔を見せた。


 そんなことはお構いなしにサリュサは続ける。


「あの『(とき)渡りの魔女』ともあろうクィムサリア様が実はこんなだって世間に知れたら、みんなびっくりしますよ」


「ぶーぶー。それとこれはカンケーないもん。……それに、どーせ人なんて滅多に来ないんだから」


「そんなにバンバン来客があっても困りますっ。今回の方、20年ぶりくらいですよね、確か」


 サリュサが視線を斜め上に向けながら、過去を思い返すように言う。

 『今回の方』というのが、先日この館に訪れた少年を指していることはクィムサリアにもすぐにわかった。


 それを聞いて少し落ち着いたのか、クィムサリアがペロッと舌を出す。


「そうならないように、忘れてもらったんだから……」


「だったら、そんな後悔せずに、リア様もキレイサッパリ忘れてください。じゃないと……」


 ――そんな主人を見ているのが辛い。

 それがサリュサの本心だったけれど、口にはしなかった。


「えー……。流石にそれは無理……。だって……」


 クィムサリアは頬を膨らませながら、サリュサの提案を否定すると、光の射す窓のほうに視線を向けた。

 薄いレースのカーテン越しに広がる風景は、館の近くこそ緑が生い茂っているものの、その先はどこまで行っても砂漠――に見えた。


「はぁ……。あのですね、一言言わせてもらいます。正直、リア様はお優しすぎるんです」


 ひとつため息をついてから、はっきりと告げたサリュサが指摘する。

 クィムサリアは、はっと驚いたような表情を見せたが、すぐに少し暗い顔をしながら頷いた。


「……うん、わかってる」


「だからもう自分を責めないでください。……あたしも妹君のことは理解しているつもりです。――お茶でも淹れてきますね。わざわざムーンフルーツを買ってきたんですから、一緒に食べましょう」


「ん……。ありがとう」


 サリュサがくるっと向きを変えて、部屋の扉を開けた。

 そのとき、彼女の腰から伸びる猫のような黒く長い尻尾がクネクネと動くのがクィムサリアの目に入った。


 その様子を見る限り、その口ぶりとは裏腹に機嫌は悪くないらしい。

 落ち込んでいる自分を見かねて、わざとそう振る舞っていたのか。

 それとも、楽しみにしていたムーンフルーツに意識が向いているのかもしれない。彼女らしいといえばこちらだろうか。


 クィムサリアは口元を緩めて、サリュサが出て行ったあとの扉に向かって小さく呟いた。


「……いつもありがとう」


 そして、彼女の瞳は再び窓の外へ――砂漠の彼方に思いを馳せる。

 ――あの少年がこの館に現れた10日前のことを思い返しながら。


(彼はわたしに助けを求めていた……。けれど……本当は……)


 目を閉じれば、彼が嬉しそうに礼を言ってくれた光景がはっきりと目に浮かぶ。


(……ううん。わたしも忘れなきゃ。そうじゃないと不公平だよね。でも……どうしてこんなに……?)


 胸にぽっかりと穴が開いてしまったように、何もやる気が起きない。

 魔女として200年以上生きてきて――こんな気持ちになったのは、初めてのことだった。


 ◆◆◆


 『(とき)渡りの魔女』クィムサリアの館は、砂漠の中の小さなオアシスにぽつんと建っていた。


 館の周囲は緑に溢れているが、その少し先を見ればどこまでも続く砂漠。

 この場所にたどり着くのがどれほど困難か、この館に住まう者は――良く知っている。


 ――そんななか、すべてが始まったのは10日前のことだった。


 ◆


 魔女の館を目指して一人の少年――ティガスが、熱風の吹きすさぶ砂漠の真ん中をふらふらと歩いていた。


 外見上は恐らくまだ15歳くらいで、少し大人の雰囲気も漂わせ始めた年頃に見える。

 短い黒髪は砂漠を歩く間に傷んだのだろう。白っぽくくすんでいた。


 彼の喉は既にカラカラだった。

 唇はひび割れ、焼け付くような熱が皮膚にまとわりつく。

 足は砂に沈み込み、歩くたびに重みが増していく気がした。


「……誰か、水を……」


 声を発するだけで更に喉が渇くということにすらもはや頭が回らず、それでいてその声は砂漠の熱風に掻き消される。

 こんな場所で助けを呼んだところで――届くはずもないのに。


 視界が揺らぐ。


(絶対に……! ここで倒れるわけにはいかない……!)


 しかしここに足を踏み入れた()()を改めて胸に刻み込むと、必死で重い一歩を踏み出す。


(……セファーヌ! 待ってろよ……!)


 そのとき――。

 白く霞んだ世界の向こうに、淡く光る何かが見えた気がした。


(――なんだろう……?)


 それが何なのか、考える余裕はなかった。

 ただ本能に従って、ふらつく足を前へ前へと運ぶ。

 気がつけば、砂に足を取られながらも、その光に向かって進んでいた。


 それが救いか、それともただの幻なのかもわからないまま――


 そして――


 月明かりに照らされた砂漠の夜――ティガスは、ついにそこに辿り着いた――


 ◆


 ここだけ不自然に緑が溢れるオアシス。

 魔女の館は、そのなかに建てられていた。


「ダメに決まってるじゃないですか。さっさとお引き取りください」


 館の扉の前に立ちはだかる少女――サリュサは全く表情を変えず、突然の来訪者――ティガスに向かって冷たく言い放った。


 ボロボロのティガスとは対照的に、その少女は艶やかな濃いグレーの髪を左右のリボンで軽く結んでいて、メイド服のような服装だ。

 歳は……ティガスとそう変わらないように見える。

 金縁の眼鏡も印象的だけれども、それよりも特筆すべきは頭から生える大きな耳と、くるんと丸まった細く長い尻尾。

 ティガスは見たことがなかったが、これが噂に聞く獣人なのだろうか。


 ただ、今はそれどころではない。


「そこをなんとか。ひと目、魔女様にお会いさせていただくだけでも!」


 ティガスは最後の力を振り絞って、獣人の少女に深く頭を下げる。

 ほとんど飲まず食わずで砂漠を5日彷徨った挙句に、虚ろな意識のなかで見えた光を追って奇跡的に辿り着いたのだ。

 世界に3人しかいないと言われる『刻渡りの魔女』のひとりが住むこの屋敷へと。


「だからダメですって。あなたのような方がこれまで何人も来られましたが、クィムサリア様がお会いされたことは一度もありません」


 サリュサは改めて首を振った。


 恐らくこの少女は魔女の使用人なのだろう。あるいは使い魔や弟子なのかもしれない。

 日中の灼熱とは打って変わって冷え切った砂漠の深夜、ティガスがこの館に辿り着いて扉を叩いたとき、ほどなくして中から現れた少女は自分と同じくらいの歳に見えた。


 とはいえ、あの刻渡りの魔女と共にいるというのであれば、見かけどおりの年齢ではないのかもしれない。

 この少女が本当に獣人かどうかは自分にはわからないが、エルフなどの長命の種族もいるし、そもそも会いに来た目的の魔女は『刻渡り』という修飾語が示すように『不老』だと聞く。


(それほどの力があるなら……妹を助けられるかもしれない……!)


 ティガスは魔女に会いに来た目的を心の中で再確認する。

 これまで調べうる限り、その手段しか自分には残されていなかったからだ。


「俺の命なんてどうなってもいい……! だから――妹だけは助けてほしくて!」


 と――

 ティガスが叫んだ言葉を聞いて、一瞬何かを思い出したようにサリュサの視線が揺れた。

 しかし彼女はすぐにそれを消し去ると、無言で何か考えたあとティガスに問いかけた。


「……妹さんが、どうしたのですか?」


 表情は変わらないけれども、その声は先ほどまでの冷たい態度とは違い、優しく穏やかな、心地よい響きに感じられた。


「俺の妹……セファーヌは――」


 ティガスが口を開こうとしたが、続きが口に出てこない。

 こんなところで目的を果たす前に倒れるわけにはいかないと、必死に意識を保とうとするが、霞がかった視界はあっという間に薄れていく。

 最後に映ったのは、それまでと違う……眼鏡の奥でどこか揺れる彼女の瞳だった――

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