硫黄島の戦い
硫黄島の戦い
1945年2月半ば。硫黄島の戦いが始まった。
先ず米機動部隊は、硫黄島の援護が行える関東地方を空襲した。
日本側も迎撃機を多数出撃させ、空中戦が展開される。
米機動部隊の動きは、偵察機により捉えられていた。
警戒を強めていた関東方面の部隊の索敵技能持ちにより、敵編隊の接近が感知され、各地の迎撃戦闘機は関東方面にに駆けつける事になった。
命中・回避の技能持ちの割合が増えていた日本の迎撃機は、戦闘機の性能が劣るにもかかわらず善戦した。
米軍機に多数の損害を与え、各地に被害は出たものの反撃を行うまでにいたる。
索敵技能持ちの乗る偵察機が米機動部隊を発見し、多数の一式陸攻と護衛の零戦が出撃。
今回、零戦の搭乗員は命中・回避の技能持ちの割合が多かった。
しかし米直掩機の数は多く、一式陸攻は桜花の射程距離まで到達すると、目標が定まり次第とにかく発射する事になった。
技能持ちの搭乗員はまだ貴重なため、無理をする事は許されていなかったからだ。
結果は目標が被ってしまう事も多かったが、複数の艦艇に命中。
米戦闘機の妨害の影響で、じっくり狙いを定める事ができず、複数の艦艇に被害は与えたものの、多数撃破とはいかなかった。
同じ状況でさらなる戦果を上げるには、もっと護衛の戦闘機を増やすしかないと考えられた。
米機動部隊は日本の反撃に遭いながらも、作戦を終えた。
多数の航空機と複数の艦艇に損害が出たものの、目的は達成されたとされた。
硫黄島では米艦隊による艦砲射撃が始まっており、硫黄島守備隊はいつ終わるとも知れない砲爆撃に耐えていた。
そんな中、米軍の小型艇が接近してきた事で、硫黄島南西端にある海軍の摺鉢山砲台が発砲。砲台の位置を露呈させてしまう。
陸軍は師団長の厳命を守り、発砲を控えていた。士気の高さがこれを可能にしたと思われる。
露呈した海軍の摺鉢山砲台に砲爆撃が集中。
海軍の陣地は破壊されてしまう事になった。
米軍の空襲に対しては時折反撃し、技能持ちの正確な射撃によって、大胆にも低空を飛行していた米軍機を多数撃墜する事に成功している。
砲爆撃の隙を突いての反撃であるため、更なる戦果拡大は出来なかった。
遂に米軍の上陸が始まり、守備隊は師団長の作戦通り敵を上陸させ引きつけ、攻撃開始命令を待った。
水際では技能を使わない散発的な攻撃を行い、敵を油断させ前進を誘った。
米上陸部隊を十分引き付けたと判断した師団長は、一斉攻撃を下命。
瞬く間に上陸部隊は、殲滅されていった。
しかし、米軍も援護の砲爆撃の元で上陸作戦を続け、上陸用舟艇を撃破されながらも上陸を継続していった。
日本軍守備隊の砲撃は正確だったが、米軍の空爆や援護砲撃に邪魔をされるため、配置転換を行いながらの攻撃となった。
米軍がM4中戦車を投入すると、守備隊は正確な砲撃を浴びせ破壊していった。
しかし、米軍の砲爆撃がすぐに来るため、2発も発射すれば配置転換を余儀なくされた。
米兵は、破壊されたM4中戦車を遮蔽物としながら前進していった。
M4中戦車を投入したにもかかわらず、その前進の足は遅く飛行場は遠かった。
米軍は、上陸に伴う損害が過去経験した事のない数値に上っており、震撼する事になった。
硫黄島南西端の摺鉢山陣地も頑強に抵抗し、火炎放射器や火炎放射戦車は射程に入り次第、最優先で破壊していった。
火炎放射戦車は、M4中戦車を改良して造られていたため、撃破するためにはそれなりの砲が必要で、摺鉢山守備隊は臼砲などを用い薄い上面装甲を、技能持ちが確実に狙い撃破していった。
ちなみに、摺鉢山と北部陣地はコンクリートで補強された複数の坑道で繋がっており、地上で摺鉢山が包囲されても補給や連絡が断たれる事はなかった。
硫黄島防衛は、師団長のほぼ作戦通りに事が運び、摺鉢山と北部陣地で米軍を挟撃する形が完成した。
米軍はおびただしい死傷者を出し続け、硫黄島攻略に暗雲が立ち込める事になった。
硫黄島防衛戦が優位に進む中、ある事実が守備隊内で判明した。
位階の高い兵士は、負傷し難いのである。
特に位階が高く頑強の技能を持つ者は、砲弾の直撃でも受けなければ即死しないのであった。
もちろん砲弾が至近弾になれば瀕死の重症になるが、榴弾の破片や手榴弾の至近弾は軽症で済んだ。
頑強の技能を持たない者も位階が高ければ、通常なら助からない状況でも重症で生還し、回復薬で治療後戦線に復帰していった。
これにより、硫黄島守備隊の死者数は、当初の予想を大きく下回る事になった。
兵站が十分にあり、即死しない限りは回復し戦い続けられるため、硫黄島の防戦能力は衰えず、むしろ士気がさらに上がっていった。
米上陸部隊は、遅々として進まない攻略に業を煮やしていたが、物量で押し切る以外の打開策が見付からなかった。
米軍の攻略が行き詰まり、硫黄島守備隊が奮戦する中、海軍の準備が整った。
まず、潜水艦隊による空母殲滅が行われた。
酸素魚雷による一斉攻撃で、米空母を確実に仕留めていった。
一部、酸素魚雷に気付き爆雷や砲撃で、魚雷の針路を変える事に成功した駆逐艦も存在した。
潜水艦による必中雷撃は3度目となるため、対抗策が練られていたと思われる。
しかし米駆逐艦は、酸素魚雷の航跡が見え難いため、気付くのが遅れたのだった。
空母を仕留めた潜水艦隊は一旦下がり、次の目標である米戦艦攻撃に備えた。
次に投入されたのは、一式陸攻と直掩の零戦の大編隊だった。
米巡洋艦と駆逐艦に対し、じっくりと狙い桜花を発射。多数の撃破に成功する。
一式陸攻は本土に戻り次第、再び桜花を搭載し
再攻撃を仕掛ける事になる。
潜水艦隊は準備が整い、頃合を見計らって米戦艦を襲撃。
今回は、対策されている事を考慮しつつの雷撃となった。
戦艦を全て撃沈し、巡洋艦や駆逐艦を一部襲撃した後、硫黄島近海から離脱。またしても大戦果を上げたのであった。
米戦艦が沈み、水上戦闘能力の著しく低下した米艦隊に、日本の水上艦隊が突入した。
高速水雷戦隊であり、今の日本海軍の精一杯であった。
しかし、残存米艦隊にとっては大変なる脅威であり、抗うすべが無く戦闘可能な艦艇はことごとく撃破されていった。
これにより、残された輸送船団と上陸部隊は決断を迫られる事になった。
硫黄島師団司令部は、米艦隊の壊滅を受け総攻撃を決断。
米艦隊の砲爆撃がなくなった事から、遠慮なく砲撃が可能になっており、速やかに米戦闘車両は破壊されていった。
米艦隊が壊滅し、日本軍守備隊が大規模な砲撃を開始した事で、米上陸部隊は戦闘車両を失いながらも上陸地点へ向け後退。
精強なる米海兵隊員は、徹底抗戦を決意。
さらなる砲撃が行われた後、硫黄島守備隊が突撃を開始した。
九七式中戦車等の戦車が壕を出て先陣を切り、守備隊が吶喊していった。
米海兵隊の前に現れたのは、開戦時まことしやかに語られていた超人的な日本兵そのもの、いやそれ以上のナニカだった。
まず、突撃の速度がおかしい、速すぎるのだ。しかも走りながら射撃し、当ててくるのだ。反撃に軽機関銃弾をばらまくも、避けてみせたり、当たっている筈なのに走り続けたりするのだ。手榴弾の爆風などものともせず、破片で負傷しているはずなのにお構いなし。
肉弾戦では、銃剣で突いてくるのだが膂力がありすぎて銃剣が取れてしまったり、代わりに銃床や拳で殴られれば数m飛ばされたり、どこから出したのか身の丈ほどもある大振りの剣を振るう者もいた。
米海兵隊は対人戦闘は最強と自負してきたが、人外は想定していなかった。
米上陸部隊の司令官は、降伏の決断を下す事になった。
硫黄島守備隊は勝利したのである。
1944年8月の時点では絶望的な状況で、米軍の侵攻を遅らせる戦いが精一杯と思われていたが、9月に謎の地下空間を発見してからこれまでの変化は劇的なものだった。
謎の地下空間を活用し、あらゆる物が改善していき、最終的には硫黄島防衛成功にまで漕ぎ着けたのだ。
さらに謎の地下空間を活用していけば、有利な条件で講和ができるのではと希望も見えてきた。
米上陸部隊と輸送船団の降伏を受けて、硫黄島の戦いは終了した。
日本は多数の輸送船を鹵獲した事で、息を吹き返していく事になるのだった。
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今作品で一番やりたかった事が、硫黄島守備隊を勝利させる事でした。そのためにダンジョンというチートを用いました。
米軍の物量を覆すには、これぐらいやらないと駄目でしたw