【003】魔法と祝福
カサンドラは、神託の魔法を持つ魔女だということになっている。
それは、おしゃべりな神託が様々な知識をカサンドラに与えてくれている……という建前で、実際のところ、その知識はカサンドラの前世に依るものなのだが。
なお、この建前を利用することは、神側から許諾がおりているので不敬ではない。
カサンドラの趣味により、そうして出てくる知識は食べ物や美容、服飾などの分野に偏っているため、カサンドラの魔法は権力者からすれば「はずれ」なのだという。
もちろん、その知識も使いようであることは間違いないので、聡い一部の権力者たちとは定期的に連絡を取らされている。その聡い権力者の筆頭がこの国の王子だという事実は、正直なところ勘弁してほしいとカサンドラは思っているが。
実は、恵麻の転生は、この世界で神と称される存在のうっかりによって引き起こされたことらしい。
神は目的の別の人間の魂だけを掬い上げたはずが、同時刻同じ場所で死んだ恵麻のことをひっかけてこの世界に持ってきてしまったのだという。つまり、恵麻はさっぱり気づいていなかったが、轢死仲間が居たらしい。
ひっかかっていた恵麻の魂は途中でころりと転げ落ち、偶然か必然か、同じ名を持つ少女の身体にひっかかった。
恵麻の魂を内に宿したエマは未来予知の魔法――聖女の場合は奇跡と呼ばれる――を扱う聖女だった。
しかし、尊重されるべき至高の聖女だったはずのエマは、周囲の誰からも大切に扱われないため満たされず、強い衝撃によってその繊細で脆い心は粉々に砕けてしまった。
そんなエマの身体を引き継いだカサンドラが持つ魔法は、未来予知が歪んで変容したものである。おそらくそれは「はずれ」どころか「大あたり」といっても差し支えのないような、繊細で大胆で些細で強力で――面倒な魔法だ。
それらの状況をひっくるめての詫びとして、神側に便宜を図ってもらった結果、魔法を偽装するという結果に落ち着いた。変容してしまった魔法を元に戻すことは、現段階ではどうにも難しいらしい。
詫びという建前だが、実際は無駄に世を乱させないためだろうとも、カサンドラは予想している。
とはいえカサンドラとしても、下手に目立って権力闘争に巻き込まれたくなんてないので、利害は一致しているので何の問題もない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
開け放った窓から風が通り過ぎ、網戸として編んだ麦わらのネットがひらひらと揺れる。そのおかげで、火を使い終えたばかりのダイニングキッチンは酷暑を回避していた。
室内までの案内ついでの雑談で聞いた話では、役所側の判断でパム爺の後任がアーサーに決まったのが最近らしく、本来なら次回以降の訪問で引き合わされる予定だったらしい。当のアーサーは興味深そうに薄暗いダイニングを見渡しつつ、カサンドラが今朝の段階で瓶ごと井戸の水に浸けておいた冷たい茶を飲んでいる。
「――へぇ、アーサーさんは、緑の祝福……。農民兼薬師としては羨ましい限りですね」
「おれからすると、魔女たちの薬の祝福のほうこそ羨ましいものですけど。緑は町住まいだと役立て難くて……カサンドラさんの助手にどうです?」
「あら、魅力的な提案。アーサーさんが公務官をクビになったらお願いしましょうか。手が回らないだけで、他にも育ててみたい物がいろいろあるので」
見た目に反した意外な軽口を叩くアーサーに内心で驚きつつもけらけらと笑い、カサンドラは昼食の準備を進めていく。
この世界には魔女や聖女が持つ魔法の他に、人間や一部の動物なら誰でも持つ「祝福」というささやかな能力がある。
それらの多くは少しだけ自然に干渉できる能力で、「恵麻」からすれば、祝福とて十分に魔法の領域だと思うものだ。
土の祝福で鍬を使わずに畑を耕したり、水の祝福で水を撒いたり、緑の祝福で植物の成長を助けたり。ささやかだが堅実に、自然と対話し人々の生活を支える能力だ。
しかし、魔女たちの薬の祝福はそれらとは少し違う特異なものである。それもそのはずで、魔女たちが人の中で生きられるようにと、その目的のために神が改めて作った能力だからだ。
魔女が作る薬は、より効果の高いものになる。だから、魔法薬だとか魔女薬などと呼ばれるそれは、一般的に高い値段で取引されている。
ちなみに、聖女が作る薬は市場には出回らないため、決まった通称が無いというのはただの余談である。
「そういえば、パム爺の腰って妖精の一撃ですか?」
「うーん、どうでしょう……今朝、ベッドから降りるとき急にきたって話だったので、多分そうではないかと……」
「それならせっかくだし、炎症を緩和するクリーム軟膏を渡してもらえると有り難いのですけれど」
「えっ、あっ、わかりました……?」
高価なはずの魔女薬を、あっさりと人伝いで渡そうとするカサンドラに、アーサーは慄いた。
カサンドラからすれば、アーサーの人となりを試すには丁度いい機会だと思っただけで、普段はこんな無責任なことをしない。パム爺ならカサンドラの薬がどういうものか知っているので、万が一すり替えられてもすぐに判るのだ。
口を動かしながらも調理は進み、完成したピタサンドを手際よくバスケットに詰める。
追加のガラスコップをアーサーに手渡し、カサンドラはまだひんやりとしているお茶入りのガラス瓶を持ち上げた。
「よし、完成! ……訊き忘れていましたけど、アーサーさんは玉ねぎのピクルスって、食べられます?」
ピクルスは好みが大きく分かれる食べ物だ。
カサンドラは悪戯少女を彷彿とさせる幼さのある表情で、形の良い唇の端をニィと吊り上げた。