【011】人間と妖精
早朝に湖畔の町を発ち、領をまたぐ関所を抜け、日が暮れる前にマーガトン子爵領の領都へと順調に到着した。
到着日は休息に当てて、いざ動き出したのがその翌日のことであるが――。
「さて、調査の基本。エフィストからの依頼のために、まずは地道な聞き込みね」
「聞き込みとはいっても、町で妖精の目撃証言はあまり期待できないと思うけど……」
「そうなのよねぇ……」
一晩たっぷりと睡眠をとり、身体的には元気なはずなのだが、カサンドラとアーサーは朝から気が重かった。
爽やかに広がる青い空と白い雲を見ていると、今日も休みにしたくなるほどである。
今回の仕事は、妖精消失現象の調査――可能ならその解決。
そもそも妖精とは、成人の手ほどの大きさの身体を持つ精神体のような存在で、自然現象のひとつと言われている。
この世界の裏側に存在するという、穏やかな光と緑で溢れた妖精界に住む彼らは、刺激を求めて気まぐれにこの世界を訪れる。そして、時に人間の手伝いをし、時に悪戯をして楽しく過ごすのだ。
そんな彼らのことは、祝福や魔女と同様に神の思し召しなのだと考えられ、不可思議な存在ながらも人々に受け入れられている。
植物を好む妖精は、都市や町よりも森や農村で目撃されることが多い。カサンドラも、自宅の庭で妖精たちが遊ぶ姿をよく見かけるものだ――同時に、悪戯もよくされるが。
しかし、たちの悪い悪戯ばかりをする妖精は悪い何かが溜まり、存在が歪んでいくのだという。故意に人を傷付けたりするのならばその歪みは加速し、妖精ではない何か――魔物や怪異と呼ばれるものに転化してしまう。そうさせないためにも、センチネルは魔女や聖女に対処を依頼するのだ。
妖精に言葉は通じないが、テレパスのような能力があるらしく、多少の意思疎通は可能である。脅したり一緒に遊んだりして悪戯を止めさせ、妖精界に帰るように促すのは、だいぶ骨が折れる仕事である。
なお、妖精界にもまとめ役――つまりは妖精王とその配下が存在するらしいが、夢という形などをとって精神が妖精界に迷い込んだ人間の対処はそちらの仕事。迷惑はお互い様なのだ。
「……あれ、そういえば、御使い様は?」
「エフィストなら、猫の体を活かしてチョロチョロと独自に調査するみたい。正直こっちは期待できないし、あっちのほうで何かが見つかれば良いんだけど……」
午前中の目標は、人の出入りが多い商業地区での聞き込み調査。
こういった地方都市で、妖精の好む植物が一番あるのは大抵が領主の屋敷である。よって、可能ならそこの使用人に話を聞きたいところだが、唐突に訪問するのは好ましくないため手近なところからである。
そのあたりの約束を取り付ける目的も兼ね、カサンドラとアーサーはまず商業地区に隣接する役所へと足を向けた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
時は進んで、時計塔の鐘が十二回響く頃。
空を見上げれば、朝とは違ういまにも雨の降りだしそうな重たい気配を漂わせている。そんな空の下、カサンドラとアーサーの姿は、中心地から少しはずれた屋台街にあった。町の飲食を担う各ギルドが共同で運営するこういったタイプの屋台街は、カサンドラの好奇心を存分に刺激してくる。
カサンドラは、パン屋の屋台でバゲットのような細長い形をした全粒粉のパンを買い、半分にカットしたところで縦に切り込みを入れてもらう。そこに肉屋の屋台で売っている大きなソーセージを挟み、おまけのマスタードペーストを載せれば立派なホットドッグの完成だ。
ついでに近くの屋台で根菜と香草、豆の煮込み料理を買って匙をふたつ付けてもらう。
そうして、ふたつのホットドッグが載った皿とで両手が塞がったところ、ふたつのエールを持ったアーサーに見つかった。
「カサンドラさん! 両手が……すみません、ありがとう」
「お互い様でしょ。重い方をありがとう」
「重いと言ってもまったく大したものじゃないんだけど……それが、興味のあったもの?」
「そう、これ。やっぱり女ひとりだと、こういう屋台街って寄り難くて」
カサンドラは自分で作ったものではなく、屋台でホットドッグが食べたかった。けれども、地球では十九世紀中頃に成立したと言われているホットドッグという料理は、この世界にはまだ存在せず。なので、こうして店ごとに注文する屋台街なら、試すのにうってつけなのである。
ところで、どこの屋台でも食器は少額の保証金を支払って利用するものである。それが面倒な客は、カットしたパンに載せたり薄く平らに焼いたパンに包んで、別途購入する肉を食べることが多い。つまり、少々一般とは違う切り方をするだけで、普通の食べ方だと言える。
「そういえば、あっちに魚の燻製が売ってたよ」
「えっ!? あ、あぁー……今はお肉の気分だから大丈夫……大丈夫……」
屋台のホットドッグが完成した充足感にカサンドラが身を任せていると、アーサーから耳寄りの情報が寄せられる。
町の立地を考えるに、おそらくはトラウトの燻製だろう。手元の煮込み料理と合わせてパンに挟めば美味しいかもしれない……とまで一気に考えるが、それを振り払って現実を引き寄せた。
大丈夫と言いつつも逡巡をするカサンドラの反応を見てアーサーは肩を震わせて笑い、カサンドラはその様子をじっとりと睨みつけた。
とはいえ、アーサーはカサンドラが本気で怒っているわけではないことなど見抜いている。
アーサーはそのままの笑顔でカサンドラを促し、空いている席を確保するために動き出すので、カサンドラも大人しく後ろに続いた。
「――さて、何も収穫がなかったという事実が午前の収穫なのだけれど」
「まったくもって有り難くない収穫だね……」
「ええ、ほんとうに」
空いていた席に座り、午前中の総括をはじめる。
商業地区での聞き込みは空振りに終わっていた。正直なところ、何を訊けばいいのかわからないほどに事前情報が無いため、妥当な結果とも言える。
道行く人々に「最近、妖精が消える現象に遭遇していないか」などと確認したところで、「妖精はよく消える」といった返事があるなんてわかりきっていた。妖精界に帰ったのか、どこかにその小さな身を隠しただけなのか、それとも存在が消えたのかなんて、普通の人間には判別できない。その場にいたとして、魔女にだって判別ができるか怪しいものだ。
なお、この町にハーティ・ベルの店舗はないため、実家由来のアーサーの人脈の利用は難しい。他の商会の店舗従業員にも話を訊いてみたが芳しくもなく、話のきっかけにと購入した商品が鞄に増えただけだった。
思い出してげんなりしてきたカサンドラはホットドッグにかぶりつき、肉汁と香草がたっぷりのソーセージを堪能する。マスタードペーストもほどよい辛味で、あの店は当たりだと評価をつけた。
アーサーも気に入ったようでどんどん食べ進め、口の中の脂をぬるいエールで押し流している。
一応聖女だったエマよりも上等な育ちをしてきたはずなのに、アーサーはどっぷりと庶民の文化に馴染んでいる。以前、上流社会に馴染めないと言っていたことが、本心なのがよく伝わってくるほどに。
「……なんだか、別にエールも悪くないんだけど、カサンドラさんのところで飲んだお茶が恋しくなるな」
「ローズマリー緑茶のこと? さっぱりするから、お肉や脂との相性が良いものね」
「うん。この時期だから、冷たくしてもらっていたのも良かった」
カサンドラは先にソーセージを食べ終え、残ったパンに根菜と豆の煮込みをたっぷりと盛る。決して上品とは言えない行為だが、肉汁を吸ったパンと香草の効いた煮込みがよく合った。
「……じゃあ、終わったら冷たい緑茶で乾杯しましょ」
「いいね。贅沢な打ち上げのために頑張ろうか」
僅かな手がかりすら無い状況に徒労の予感を抱えつつ、苦笑いのふたりは同時にエール入りのカップを持ち上げた。